福島県副知事、鈴木正晃氏が震災復興の今を伝える
日本人が初めてハワイへ集団移住した明治元年(1868年)から150周年になる今年、秋篠宮殿下ご夫妻もハワイに来られ、祝賀行事やシンポジウムに御臨席された。 また6月3日には、ホノルルを訪れている福島県の副知事、鈴木正晃氏が“ホノルル福島県人会”の創立95周年記念式典に参列。東日本大震災後の福島復興の現状を伝えるセミナーを開催した。 鈴木副知事はセミナーの冒頭で、カウアイ島での豪雨による災害、ハワイ島で今も続くキラウエア火山の噴火による災害へのお見舞いを述べた。そしてホノルル福島県人会創立95周年に祝意を示すとともに、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故後に対するハワイからの支援へ感謝を伝えた。
世界にも例のない4つの複合災害の今
2011年3月11日に起きた東日本大震災で、福島県は県内の半分以上が震度6の激震に襲われた。沿岸には津波が押し寄せ、浸水面積は112k㎡と、岩手県を上回った。そして地震と津波の影響で、東京電力の福島第一原子力発電所では、メルトダウンなど放射性物質の放出をともなった原子力事故が起きた。
これは国際原子力事象評価尺度において最悪のレベル7に分類され、炉内燃料のほぼ全量が溶解し、除染や廃炉作業の具体的プランは7年経った今も不透明なところが多い。鈴木副知事は、 「雄大で美しい自然に囲まれた福島で、穏やかで平和な日常を送っていた人々は、地震、津波、原発事故という三重苦の大災害で、命を家族を住まいを仕事を故郷を失いました。そして風評被害という根深い偏見や差別も加わり、現在も四重苦の困難の中にいます。こんなふうに4つもの災害が重なることは世界的にも前例がなく、復興の道は大変険しいものです。しかし、ハワイをはじめ世界中の心ある方々からの支援に支えられて、私たち福島県民は少しずつ復興の歩みを進めています。その現状を今日はお話しさせていただきます」
鈴木副知事は、3つのトピックスを映像を交えながら紹介した。まずは“光、グッドニュース”。
除染作業は終了、世界の都市と同等の放射線量に
「まず、東電の原発事故による除染作業についてです。福島県内の帰還困難区域を除いた地域での、放射性物質を取り除く除染作業はすべて終了しました。事故当初、県内の12%が避難区域になっていたのですが、現在は田村市や南相馬市など帰還困難区域も2.7%のエリアにまで縮小することができました」
“帰還困難区域”とは、放射線量が非常に高いレベルにあることから、バリケードなど物理的な防護措置を実施し、避難を求めている区域のことだ。 「除染作業で福島県の市町村の放射線量は、東京やパリ、ニューヨークなど世界の都市の放射線量と比較しても、同じレベルに回復しています」
確かに表面の汚染土壌などは取り除かれたが、除染で出た廃棄物の処分の道筋は多難であることも事実。専門家は、除染作業の終了が、住民の帰還などの復興につながっているのか、合理的な効果を検証する必要があるとも指摘している。
福島の日本酒、6年連続金賞、日本一!
ホノルル福島県人会95周年を祝う会場には、福島県産の日本酒もずらりと並び、試飲ができるようになっていた。 「食品の安全、安心に向けた取り組みは、基準値を超える放射性物質を含む食品を流通させないため、検査体制を強化して安全性をきめ細かく確認しています。米や桃、和牛、魚介類など、福島県は美味しいものをたくさん産出していますから、特に主食である米については、県内全域で生産・出荷されるすべての米を検査しています。また本日は、酒造り400年の歴史のある福島の日本酒が用意されています。酒造りに最も適した米として長い年月をかけて開発された“夢の香”を使用した酒や、“うつくしま夢酵母”を酵母とした酒です。福島は全国新酒鑑評会で金賞受賞数6年連続日本一の酒どころです。まだまだ風評被害もありますが、どうか皆さん、福島の安心、安全なうまい酒を飲んで、ハワイにも広げてください」
祝賀会では鈴木副知事を囲み、デイビッド・イゲハワイ州知事、カーク・コールドウェルホノルル市長、伊藤康一在日本国総領事、ホノルル福島県人会ウォリス・ワタナベ会長が、お揃いのハッピを着て樽酒の鏡開きをし、美酒を飲み交わした。
帰れない…人口が急激に減少
除染や食品の安全性など復興に向けての改善は進む一方で、厳しい現実もあると鈴木副知事は報告する。 「7年前の震災直後、家の倒壊や原発事故の影響で福島県内のどこかに避難した人は10万人強、県外に避難した人は6万人強で、およそ16万5,000人が避難しました。現在は5万人が避難していますが、除染が進み、避難区域が減った今も故郷に帰る人は激減したままです。さらに安心して帰れるよう、環境整備をするとともに、産業の振興や雇用の創出など、若い人がもっと働ける場を創り出していくことが重要課題です。また東京電力の汚染水問題や廃炉問題は進んではいるものの、30年なのか50年なのか極めて長い戦いになります。中期、長期のロードマップを具体的に示すことを県としても要求していきます」
2020年オリンピック、福島県で野球開催!
未曾有の災害を経験した福島県だが、“がんばっぺ ふくしま”を合言葉に、復興のチャレンジを続けている。 「たくさんのプロジェクトを始めておりまして、成果も出ています。たとえば震災後、農産物の輸出は9割も減少してしまいましたが、官民挙げて農産物の魅力を伝え、昨年8月にはマレーシアに福島の米を10トン輸出することが決まりました。輸出量は震災前を上回るほど好調です」 外国人観光客の足も戻ってきたという。ホノルル福島県人会の、ウォレス・ワタナベ会長も、 「2014年と2017年にホノルル福島県人会の会員が大勢、福島を訪ねて故郷の魅力や復興が進む様子を見ました。今後も県との連携を強化してサポートしていきたい」と語っている。
鈴木副知事は、 「外国の人が福島を見て、どんな魅力を感じたか、海外のクリエーターに動画を作成してもらい、ソーシャルメディアで発信しています。昨年は震災前の107.8%と外国人観光客が増えました。新幹線なら東京から80分で来れる福島です。アメリカからのお客さまも150%に伸びました。そして嬉しいことに、2020年東京オリンピック・パラリンピックにおいて、野球・ソフトボール競技の開催が決まりました。開催に向けて推進会議を設立し、オール福島で準備を進めます。福島の未来を変える、未来を創るため、どうか皆さん、引き続き温かなご支援をよろしくお願いします」
ホノルル福島県人会、200名結束
鈴木副知事はまた、日系人移民150周年とホノルル福島県人会95周年の祝賀イヤーにハワイを訪れることができたことも光栄だと喜んだ。 「都道府県別の移民の方々の数字を見ると、福島県は全国で7番目、東北では一番多いそうですね。深いつながりを感じます。昨日も、マキキの日本人墓地に行き、1898年に福島県人で最初にハワイに渡ったと言われる、岡崎音治さんの墓にもお参りしてきました」
明治年間、福島県人は約6,600人がハワイに移民し、大正時代に入ると約8,400人に急増している。これは東北6県内で桁違いの多さで、背景には凶作が続くことによる農家の疲弊や戊辰戦争(ぼしんせんそう:明治初期、倒幕派と幕府派との間の一連の戦い)の影響があるといわれる。
たび重なる凶作でコメ騒動が起きたり、戊辰戦争で敗れた者が会津地方に残る不穏な世情の中、ハワイに渡ってアメリカのマリーン相手に洋服の仕立て業で成功した、福島桑折町出身の岡崎音治氏。彼のサクセスストーリーが口コミで伝わり、海外で一旗上げる夢が膨らんだのだろうか。1894年には東北移民を乗せた第1号船“ドゥリック号”がハワイに向けて出航した。 「ハワイの福島県人会の皆さんは現在200人以上おられるそうです。皆さん本当に結束して、震災後の福島をサポートしてくださっています。3世、4世の日本語を知らない方達も“がんばっぺ”の福島弁はよく知っておられる。エールに応え、これからも力強い復興の歩みをお伝えしていきたいです」(取材・文 奥山夏実)
(日刊サン 2018.06.13)