第52回メリーモナーク・フェスティバルで、クム、ロバート・カジメロのハラウ「ナ・カマレイ・オ・リリレフア」が、10年ぶりに総合優勝を勝ち取った。
カジメロのハラウがメリーモナークに出場するのは、10年に1度だけである。前回出場した2005年には、男子のカヒコ部門(古典フラ)とアウアナ部門(現代フラ)で圧勝し、総合優勝を飾っている。
今年は、同ハラウの若く旬のダンサーたちが、2日間に渡ってエディス・カナカオレ・スタジアムを熱狂させ、トロフィーを獲得した。
カヒコで踊った”Ka ‘Aha Kilu Le‘ale‘a i Ka‘akopua”は、ヌウアヌウのお祭りのゲームと、ハエナへのセイリング旅行についての物語であり、観客を魅了した。男子の歌うハーモニーは、技術と正確さによって、ステージで様々なフォーメーションを創りあげた。
男子アウアナでは、アロハシャツにプルメリアのレイを飾り、ダイヤモンドヘッドに捧げる”Le`ahi,” を披露した。この曲は、1895年に「ブク・メレ・ラフイ(ブック・オブ・ナショナル・ソングス)の中で「ダイマナ・ヒラ」として収録され、現在知られるように有名な曲に成長した。ダンサーたちは大きな笑顔でカジメロと一緒に歌い、フラを楽しんでいるのが伝わってきた。
カジメロはすでにハワイで最もよく知られるミュージシャンのひとりである。カジメロが1975年にフラ・マスター、マイキ・アウ・ラケに師事し、男子だけのハラウでフラを習い始めたとき、ほとんどの男性は、女のようにめめしく思われるのを恐れてフラを踊らなかった。翌年、メリーモナークに初めて男子部門が設置され、このハラウは男子部門で優勝した。
土曜日、カジメロのハラウが総合優勝を伝えられたとき、カジメロはすぐに」アンティ・マイキ」のことに思いをはせたと話している。マイキは1984年に亡くなった。
「私たちは偉大な女性、マイキ・アイウ・ラケの教えを通じて生きてきました。私が今、ここにいるのは、彼女のおかげです」66歳のカジメロは挨拶した。
金曜日と土曜日の夜、28のグループ(男子10・女子18)がステージでベストを尽くした。木曜日はミス・アロハ・フラが行われた。
今年は、カリフォルニアから2グループが出場し。オアフ島からは16のハラウが出場した。その他は、ハワイ島、カウアイ島、マウイ島、モロカイ島のハラウだった。
女子の総合優勝は、クム・フラ、カウイオナラニ・カマナオとクネヴァ・ムーク率いるオアフの「フラ・ハラウ・オ・カムエラ」だった。
このハラウのソリスト、ジャスミン・カレイヒヴァ・ダンロップが、11人の出場者の中で最高得点を記録し、ミス・フラ・アロハの座に輝いた。
今年の審査員は、フランク・カヴァイカプオカラニ・ヒューイット、ヴィッキー・ホルト・タカミネ、ナラニ・カナカオレ、マエ・カママル・クレイン、ジョアン・S・リンジー、ケアリイ・レイチェル、アリシア・ケアヴェカネ・スミスの7名。