あまりにも長い距離が隔たる中で悪夢が始まった。 9・11、ニューヨークとワシントンD.C.が震撼しているころ、アントワネット・パパさんはホノルル時間の朝、目覚めた。パパさんはニューヨーク出身だが、15年前の1986年9月11日にハワイに転居してきていた。
恐怖は朝のラジオから流れてきた。時間が経過していても与える衝撃は凄まじかった。悲惨で混乱した時間が過ぎる中、パパさんはワールドトレードセンターに勤務している彼女のいとこスーザン・デートリッヒさんが死亡したことを知った。 「何が起きているのか知るため、周囲にひたすら電話をかけ続けていました。初めはデートリッヒが無事だと分かったのです。でも、その後に…」。彼女は絶句した。
ホノルル警察、ホノルル消防局、緊急医療サービス、緊急管理局、アメリカ陸軍、国内・国外の航空会社、一般参加者を含む数百人の参加者と共に10日土曜日、パパさんはホノルル市長主催第11回9・11被害者追悼ウォークに参加した。 イベントはベレタニアストリートにあるホノルル警察本部で開始され、次いでサウスストリートのホノルル消防局でセレモニーを行った後、ホノルルハレで正式な式典を開催した。
パパさんはこの行進に毎年参加しており、シンプルだが意図してニューヨークをテーマにしたシャツとジーンズに身を包んだ。 「本土との距離が縮まることはありません。襲撃は全国民に影響を与えますが、ここにいると時々私は全く異なる世界にいるような気になることがあります」と彼女は話す。 全米各州で“9・11被害者の記憶のための行進イベント”が始まり、ホノルルでも市長主催の追悼ウォークが開催されることになった。10年以上経過する中で一部のイベントは、襲撃とその余波という焦点から外れ、政治的な方向に趣旨がずれているとの批判もある。 一方、ホノルルで行われるこのイベントのように9・11を思い出すだけでなく地域の緊急救援者を称賛する式典に進化しているケースもある。
パパさんは「追悼ウォークに参加し続けることこそが、あの日を忘れていないというメッセージを確実に伝えるのだと思っています。私は誰にもあの日を忘れてほしくないのです。そのために私は参加するのです」と話している。 ホノルル市長カーク・コルドウェル氏は、感動的なスピーチの中で勇敢さと恐れを感じさせる瞳で若い消防隊員がビル群に向かっていく写真について語り、アメリカンエアライン77便で家族と旅行中に亡くなった若い少女の洋服の展示についても触れた。
「15年経っても9・11の悲劇は語り続けられています。15年経っても私達は未だに痛みと悲しさを感じています。15年経っても恐ろしい敵と対峙したままです。15年経っても市民のための社会を残さなければならないと、皆が戦っているのです」 コルドウェル氏は地域の安全を維持するために貢献した緊急救援者を表彰した。
カイルア在住のジョニー・ビタンガさん(50歳)は、被害者追悼と地域の緊急救援者への感謝を込めて行進に参加した。「彼らの貢献は時に見逃されがちです。彼らは本当に社会のために尽くしてくれている。勤務中でも、私的な時間でも市民貢献をライフスタイルにしてまで尽力してくれているのです。彼らのような勇敢な人達に奉仕してもらえるなんて私達は本当に恵まれています」と話した。