シカゴで7月29日に開催されたU.S.クラシックHOPES部門でハワイ出身の相馬生(そうま・うい)さん(12歳)が優勝した。これによりオリンピックがまたひとつ近づいたことになる。
ハワイの家族や友達と別れ、単独サンフランシスコの体操チームで厳しい練習を重ねてきた成果が形となった。
2016年リオデジャネイロオリンピックで個人総合を含む金メダルを4つ獲得し、国際的なスターとなったシモーン・バイルスもこの大会同部門で優勝している。
ういさんは「自分がバイルスからもらった夢と勇気を、今度は自分が与えられるようになりたい」と語った。
【以下 8/5(土曜日)の紙面より】
全米体操界で最もオリンピックに近い12歳
単独サンフランシスコで厳しい練習を重ねてきた成果が形に
「家族と別れるのが、ハワイを離れるのが嫌だったら、体操を辞めていいよ、と言ったら、『ママ何言ってるの? もう決めたことだから行く!』と言われました」
そう話すのは、「銀座ブスママ」としてTBSテレビの「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」にも出演したことがある母親の石川香さん。銀座でクラブ、割烹、英会話託児所、ハワイアンサロン、Barほたる、ワインバー・バトナージュを、ハワイでロミロミマッサージスクールやプリスクールを経営する、メディアでも知られた実業家だ。
石川さんの次女、相馬生(そうま・うい)さんは、東京生まれのハワイ育ち。去る7月29日にイリノイ州シカゴのシアーズセンターで開催された「2017 U.S.(体操)クラシック HOPES部門」で優勝した。
アメリカの体操界には年齢別に「HOPES(10〜12歳)」「ジュニアプリエリート(11〜14歳)」「ジュニアエリート(11〜15歳)」「シニアエリート(16歳以上)」といったチームがあり、これらに所属している選手だけがオリンピックへの出場を作用する大会へ出場できる。こうしたチームへの選抜はほとんど奇跡の領域といわれる狭き門だ。
それをハワイから初めて成し遂げたのがういさんだ。ういさんはさらに、Developmental Training Camp at Karolyi’s National Training Center へのチーム加入も果たしている。ナディア・コマネチ選手などを育てたことで知られるベラ・カロリーの名前を冠したオリンピック強化キャンプだ。選手たちはここで、エリートナショナルコーチ、大会審査員、USA体操チームスタッフと会う。体操選手としてのキャリアに大きなアドバンテージとなる。
全米体操界で最もオリンピックに近い12歳となったういさん。その彼女が体操を始めたのは6歳と、オリンピックを目指す選手の中ではかなり遅い。そもそもは香さん夫婦が仕事でハワイから日本へ一時帰国中、ういさんの友達の母親が知らない間にういさんを体操教室に通わせたのだという。日本語補習校などもあり忙しいスケジュールの中、ういさんの熱意に負けてしぶしぶ通わせ続けた形だった。当初は逆立ちも出来ず、コーチから怒られ、呆れられ、泣きながら練習していたというういさんはしかし、めきめきと頭角を現した。やがてオリンピックがういさんと香さん一家の目標となった。
ういさんが通う学校へは、体操女子USA代表チームのヘッドコーチ、ワレリー・リューキンから、「アメリカチームにとってぜひとも必要な選手であり、特別の配慮を乞う」とした手紙も届いた。午前中は学校に出席し、午後から夜までは練習。練習の合間に教師がジムへ出張授業にやってくるなどし、1日約8時間365日の練習を続けた。が、ハワイでの練習には限度がある。
2016年7月、ういさんは大好きな家族や友達、体操教室、学校、ハワイと離れ、サンフランシスコへ単独で渡った。冒頭はその際の香さんとういさんの会話だ。
アメリカ人家庭でホームステイをしながら、毎月、ときには毎週、全米各地での合宿や大会に足を運ぶ。チームに入れてもスコアが悪いとすぐにチームから外されてしまう。学校の成績も一定以上を保たなくてはならない。
先方の都合で突然ホームステイ先を出なくてはならなくなったこと、インフルエンザにかかって頼る先がなかったことも。そんなときも、「英語も話せない80歳の私の母親が『ういのためなら』とサンフランシスコへ飛んで、洗濯機もないワンルームで面倒を見てくれたり、一度しか会ったことのない同じジムのお母さんがインフルエンザのういを預かってくれたり。感謝しかありません」と、香さん。
ホームステイ先でういさんが必ずしも居心地がいいわけではなかったことも、香さんは周囲の人々から聞いたという。「周りから耳にして初めて知りました。ういは、文句も愚痴も悪口も何も言わなかった。親バカですが、よくあの環境の中で頑張ったと思います。才能がないので、人の百倍千倍努力するしかない。人が遊んでるときもいつも練習、練習。なぜならオリンピックで金メダルを獲れば、ういが出来たのだからみんなも出来ると世界中の人が思ってくれますから」
香さん一家もまた、ういさんと同様、努力している。夫婦で日本とハワイ、ローテーションを組みながら生活。空港で家の鍵の受け渡しをすることもあるという。ハワイで学校に通う長女と長男は自分たちで食事を作る。
今回ういさんが優勝した「2017 U.S. クラシック HOPES部門」では、2016年リオデジャネイロオリンピックで個人総合を含む金メダルを4つ獲得し、国際的なスターとなったシモーン・バイルスもまた、優勝している。バイルスに憧れ、目標としてきたういさん。 「自分がバイルスからもらった夢と勇気を、今度は自分が与えられるようになりたい」と、ういさん。
オリンピックへ着地するまで次回の目標はジュニアエリート部門での優勝だ。実現を心より祈りたい。
2020年の東京オリンピック出場には年齢が2カ月足りないういさん。その実力に関わらず現在の規定では出場が望めないが、オリンピック規定はほぼ毎年変わっている。出場年齢規定の変更をぜひとも望みたい。 |
◆2016年1月に行われた日刊サンによるういさんのインタビューはこちら。