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ナロー・ファームズ、再建をかけ農地を売却

ハワイの多角農業のパイオニアであるナロー・ファームズのディーン・オキモト氏は、経済的な苦境を乗り越えるため両親から受け継いだ2.5エーカーの土地の売却を決断。州から借りている14エーカーも彼の農場で働く従業員にリースを移し、オキモト氏は少額出資者として運営を続ける。 この決断は退職への一歩でもあり、ファームの経営を安定させる目的もある。63歳になるオキモト氏は「農園への興味は持ち続けています。農業への熱意は変わらないので、農園に携わっていたいのです」と話す。同氏は農地に130万ドルの価格を設定。仲介業者はCBREが担当する。売却が成功すれば、ナロー・ファームズが連邦が定めた農園食品安全要件に準ずるために投資した100万ドル以上を補填できる。3世代が引き継いだ農場の2度目の危機を乗り越えることができるかどうかが、この売却にかかっている。

 

規模拡大が結果的に裏目へ

 

オキモト氏の祖父と父はマノアで農業を始め、後にワイナマロに拠点を移す。同氏は1983年、29歳で農地を受け継いだ。当時はバジルをメインに栽培し、月に1万ポンド以上本土へ輸出していた。1度目の危機が訪れたのは1989年。作物が病害に侵され、廃業を考える程の被害を受けた。しかしその1年前に『ロイズ』を始めていたシェフ、ロイ・ヤマグチ氏と出会う。「ロイは私に葉物を育てるように勧めました。どんな品質でも彼が買い取ると言ったのです」と、オキモト氏。ナロー・ファームズはレタスや葉物の栽培を開始し、トレードマークとなるサラダミックス『ナロー・グリーンズ』を生み出した。ヤマグチ氏をはじめとするハワイのシェフが集まった参加費1000ドルを超えるイベントも開催され、オキモト氏はセレブ農園主と呼ばれるまでに。ハワイ農業局連盟(HFBF)の代表にも就任した。2008年には州の土地14エーカーを借り、栽培面積を4倍以上に拡大。この頃、連邦が作物を小売店に卸す大規模農園に対して設けた食安全基準に対応するため、設備投資を決意する。当時オキモト氏はこの基準が義務化されると予想し先行投資が利益に繋がると考えていたが、実際は負債になってしまった。基準に対応した農園を必要とするホール・フーズ等の大手チェーンと取引できるという利点もあったが、本土の監査機関に払う費用も毎年発生し、オキモト氏には痛い出費がかさんだ。ナロー・ファームズはこのコストを理由におよそ2年前からホール・フーズへの納入を中止。販売額も減少し従業員の解雇を余儀なくされた。

 

現在はフードランド、ドン・キホーテ、タムラズ・スーパーマーケットと70~80店レストランに納入を続けている。年間利益はおよそ100万ドルだが返済額が重く、倒産申請も考えたという。しかしオキモト氏は近年大手農園の廃業が続く中、ハワイ農業の汚点の1つになることを避けたかったと話す。売却にはオキモト氏の母と兄弟が日本の技術を用いてグリーンハウスでトマトを栽培する土地は含まれていない。「私たちはもう1度やり直そうとしています」とオキモト氏は述べた。

 

(日刊サン 2018.04.12)