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姑の介護体験から思うこと|ドクター國陶ゆかりの終活コラム5

日本の介護施設にくらべて、アメリカの介護施設はどうなのでしょうか。私のアメリカ人の姑の一例を紹介してみたいと思います。
1929年生まれだった姑は、40代で離婚後二人の息子を育て上げ、公立図書館司書として62歳まで勤務をしていました。DC郊外の持ち家を売って、いわゆるリタイアメントコミュニティに移ったのは66歳の時。野鳥が見られる場所がいいと、東部メリーランド州の川べりの小さな大学町にある施設に移動しました。そこは総合施設になっており、大好きなグランドピアノを置いて、3匹の猫と一緒に、タウンハウスでの一人暮らしでした。何かあれば、敷地内に医者や看護師が常勤する総合介護施設だったので、安心できる様子でした。

75歳を過ぎてから、軽度の認知症と関節炎が進んでしまったため、同敷地内のケアホームに引っ越しました。ポジティブ思考だった姑は、「カフェテリアで隣人たちと食事もできる」「買い物ツアーや映画会もあるのよ」と話してくれましたが、シニアだけが暮らす様子は、アジアから来た私にはやや違和感がありました。独立心旺盛だった姑には、運転もできない、プライバシーも限られていたこの生活は、口には出さなくとも、嫌な面もあったことと思います。

80歳になる少し前に、ケアホームのフロアから病棟フロアの個室に移されたのち、姑の生活は激変してしまいました。介護士さんによるスケジュール管理、車いす、シニア用オムツでの生活。食事など何不自由ないと言えば確かにそうですが、一日のほとんどがベッドから空を見つめている生活になりました。私がハワイに移動する前、最後に姑を訪ねた時、関節炎のために折れ曲がってしまった指で、ラウンジの古いピアノを弾いてくれようとしたのを覚えています。もし介護施設に移らずに、自宅で孫や猫に囲まれて、ピアノを弾き続けていたら、姑の余生はもっと違っていたのかもしれない・・・と思わずにはいられませんでした。

今回のエピソードはあくまでも一例です。これを読んでくださっている皆さん自身や、親御さんの介護など、それぞれに合った終活を真剣に考えるきっかけになっていただければと思います。

 

【プロフィール】

Institute of Transpersonal Psychology 博士号修了。ハワイのWEBテレビ放送局、THINKTECH HAWAIIで日本人コミュニティで活躍する人々を紹介する番組「Konnichiwa Hawaii」でパーソナリティーを務める。本業はライフコーチ・催眠療法士。

 電話(808)286-2085 メール [email protected]

WEBサイト:http://www.yukari-kunisue-coaching.com