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8才、人生初のひとり旅 その2

 釜山港に迎えに来てくださったパクさんファミリーは、5人家族。お父さんとお母さん、私より3つ年上のお姉ちゃんソンニョン、私と同じ歳の女の子ソンジョン、そして、末っ子は私より1つ年下の弟ソンウォン。言葉が全くわからない環境の中、とうとう、小学3年生の夏休み1カ月間を利用して、人生初の海外生活がスタートした。  

 今から考えると、よく一人で行ったな〜と思うけれど、とにかく好奇心が旺盛な私は不安よりも、ワクワクの気持ちの方が勝っていたように思う。このときの体験が今の私の人生にも深くつながっているとつくづく思うのだが、何より、どこか新しい土地や国、人々と触れ合うことが今でも最高に大好きだ。  

 韓国でのホームステイで今でも鮮明に覚えているのは、毎朝毎朝、食卓に並んでいた10をこえる数のキムチの種類。どれもお母さんの手作りだった。言葉も違えば当然文化も違う。あと、こんなこともあった。食事中、日本で教えられた通り、器を手にとりご飯を食べていた私。そんな私に向けられていた、家族からの何か冷たい視線を感じること数日。様子がおかしいな、と思いながらの食事中、よくまわりを観察してみたら、誰一人として器を手に持って食事をしていなかった。次の日から器をテーブルに置いたままで食事をしてみると、みんな納得したのか、笑顔になったのだ。  

 この時、8才ながらに、国が違うということは言葉が違うだけでなく、さまざまな物事に対する常識も違うものなのだということを、体験した瞬間だった。  

 韓国でのホームステイ後、お世話になったパクさんファミリーとはその後しばらくは文通をしていたが、どちらからともなく、自然と音信が途絶えてしまった。  

 しかしある日突然、次女で同じ年のソンジョンと22年振りに再会する機会に恵まれた。なんと、彼女は日本語がペラペラになっていた。そのお陰で、当時言葉を抜きにして通じ合っていた感覚を、今度は言葉を通してお互い共有する事ができたのだ。長い年月を越え、お互いが言葉で通じ合う事ができた感動の出来事だった。  

 ソンジョン曰く、8才の時に、自国とは違う同じ歳の私と生活をともにし、日本に興味を持ちはじめ、「いつか、またチズに出会えた時には、日本語で話をして驚かそう!」と一生懸命に日本語の勉強を続けていたのだそうだ。嬉しい事に、今では、韓国と日本とをつなぐための、大事な通訳の役を担い活躍をしているという。  

 この旅で少なくとも私とソンジョン、2人の人生が変わった。  

 8才、人生ひとり旅。私を旅に出してくれた両親に感謝だ。

 

 (日刊サン  2016/3/11)

 

大森 千寿
香川県生まれ。一人っ子。8才の時に韓国ホームステイを経験。12才の夏休みはオレゴン州にホームステイ。16才でオレゴン州のハイスクールに1年間留学。2003年自分探しで訪れたNYで運命の人と出逢い国際結婚。2010年ハワイにホテルコンドミニアムを購入したことがきっかけとなり、ハワイで過ごす時間が増える。現在はアーティストで夫のアダムウェストンのマネージメントをしながらハワイ、NY、日本を拠点に活動中。

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