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福島県の食の安全

Bynikkansan

10月 22, 2019

福島のさくらんぼ農家と

 

 

私は、2011年3月の壊滅的な地震、津波、原発事故以降の状況を報告するためにハワイから福島に移り住んだ。

 

前回の日刊サンの記事では、福島県のほとんどの地域の放射線レベルが世界の他の主要都市と比べても安全な範囲にまで低下している理由を説明したが、今回は食品の安全性について論じる。

 

福島県の農産物や魚介類は食べても大丈夫だろうか?という問いに対しもちろん安全だと言えるが、この記事ではどうしてそう言えるのかを説明していく。

 

2011年3月の原発事故後、日本は放射性物質に汚染された食品や魚が市場に出回るのを防ぐため、世界で最も厳しい食品放射線基準を導入し、放射性物質基準を超える日本の食品の流通や販売をしてはいけなくなった。

 

日本政府はチェルノブイリ事故から、汚染された食品を住民が購入したり食べたりするのをやめなければならないことを理解していたのだ。

 

私は福島県内の農家や民間食品協同組合、漁業協同組合、福島県内の行政関係者に話を聞き、福島県内では農作物や魚介類の放射線検査がいかに真剣かつ熱心に行われているかを学び、県職員と地元の民間人が協力して検査手順をしっかり守り、地元産業を立て直す様子や食品の放射線を測定する最先端の科学測定器が使われていることも目にすることができた。

 

農業や水産業に関わっている誰もが消費者が放射性食品を買ったり食べたりすることを望んではいないのだ。 福島県の農水産物は、国の放射性物質の最高基準を満たし、それに例外はみとめられていない。

 

日本の放射線基準は、欧州連合(EU)や米国の基準よりはるかに厳しい。一般食品の放射性セシウムの限度値は1キログラム当たりベクレルで測定されるが、EUは最大1,250ベクレル/kg、米国は最大1,000ベクレル/kg。

 

しかし日本は欧州連合や米国の10倍厳しい100ベクレル/kgという国の基準を導入しているため、福島県の食品が日本の放射線基準を満たせば、安全に食べられることに間違いはない。

 

2018年4月1日から2018年10月31日までの半年間に、野菜や果物、畜産物、栽培された食用の植物やキノコ、水産品などのサンプル8,703の放射性物質の検査が行われたが、国の基準値を超えたものは0%だった。このことからも福島県の農作物、水産物が安全な放射線レベルに達していることが分かる。

 

■福島県の水産物

県所有の調査船や漁船で水産物のサンプルを採取し、福島県と地域漁業団体が協力し福島県農業技術センターで毎週約150点のサンプルの放射線検査を実施している。

 

2011年3月以降、215種類の様々な魚介類が5万9千回以上の検査を受けているが、過去4年半の間に政府の放射性セシウム基準を超える魚をサンプルの中に発見することはなかった。2018年には、魚に何らかの放射線が存在する場合それを検出できる感度の高いゲルマニウム半導電体測定器によってさえも、すべての魚のサンプルの99%に「検出不可能」レベルの最低量の放射線量しか示されることはなかった。 

 

相馬といわきの福島県漁業協同組合を訪問し、私は漁業協同組合が政府より厳しい自主基準値を設定していることを知った。同協会では消費者に流通・販売する魚介類の放射性セシウムの限度値を最大50ベクレル/kgに制限しているが、これは日本政府の基準の半分で、欧州連合や米国より20倍も厳しいものとなっている。

 

消費者が購入する福島の農産物や水産物は、安全なレベルの放射線のみを含んでいるが、これは検査を実施している政府及び民間の政策と手順、慎重な査察、査察結果の透明性の結果であり、検査結果は毎週福島県のホームページに掲載され、その情報は報道機関等に提供されている。

 

福島県の農水産物を食べても安全であることを証明する事実があるにもかかわらず、農業従事者と漁師らは、科学的なデータだけではまだ古い噂を信じている人々を納得させるには十分ではないと語った。

 

原発事故から8年半が経った現在、安全な食品の生産と販売に向けた多大な努力をしても、世界中の人々の多くは依然として福島の食品安全性に懐疑的であり、福島県の農水産業関係者はこれ以上何ができるのか途方にくれている。

 


スティーブ・テラダ
日系三世のアメリカ人で、祖父母が112年前に熊本からハワイに移住。

ワシントン州シアトルの米国陸軍工兵隊・不動産部門のチーフを退職。

在日米軍の不動産部長として東北から広島までの米軍基地の不動産管理に当たっていた。

陸軍を退職後、災害管理援助のため1年間の予定で福島に移住。

現在も福島が「悪評」に苦しんでいることを知り、地元の人たちから福島の実態を世界に知ってもらうために、第三者的視点でストーリーを書いてほしいと頼まれたことから事実の伝達者として1年間のビザを取得。

現在調査と執筆のため、福島県福島市に在住。


 

 

(日刊サン 2019.10.22)