女子テニスの大坂なおみ選手が9月8日、全米オープンで初優勝しました。男女合わせて日本人選手が4大大会を制覇したのは大坂選手が初めて。それまでは2014年に錦織 圭選手が全米オープン決勝まで勝ち進んだのが過去最高でした。
決勝で対戦したのは、大坂選手が子どもの頃から憧れていたというセリーナ・ウィリアムズ。開催国の人気選手で、昨年9月に出産後、今年2月に復帰して以来初の4大大会優勝への期待が高まる中、優勝すればマーガレット・スミス・コートが持つ4大大会優勝最多記録(24回)に並ぶと同時に、34歳だった2017年の全豪オープンで自身が塗り替えた史上最年長の4大大会優勝記録を再び塗り替えるという状況も重なり、観客も現地メディアもセリーナの優勝を切望していました。
しかし、試合は序盤から大坂選手が優勢。第1セットを難なく6-2で先取しました。苦戦を強いられたセリーナは第2セットの第2ゲーム中に、客席からコーチが指示を出していたという警告を受け、「ずるいことをするぐらいなら、負けた方がマシ」と審判に猛反発します。
第5ゲームを落とすと、苛立ちのあまりにラケットをへし折り、これが警告を受けた後のペナルティとなり、1ポイントを失います。その後もポイントを奪った審判を泥棒呼ばわりするなど、不満を訴え続けた挙句の果てに警告から2つ目のペナルティで1ゲームを失うことになりました。
テレビ観戦していた人はともかく、会場の観客はセリーナが言っていることは聞こえなかったはずですが、彼女が激高していたのは一目瞭然です。セリーナ寄りの観客が審判に大ブーイングを浴びせる異様な雰囲気の中、大坂選手は集中力を切らさず、第2セットも6-4で奪い、女王セリーナを相手にストレート勝ちを決めました。
勝者も敗者も涙
トロフィー贈呈式で涙を拭う大坂選手(左はセリーナ) |
しかし、勝者の顔に笑みなし。それどころか、サンバイザーを深々と引き下ろし、うれし泣きではなかろう涙が伝う顔を隠していました。トロフィー贈呈前まで鳴り響いたブーイングがようやく止んだのは、セリーナが「彼女はよくプレーしました。彼女にとってこれが初めてのグランドスラム優勝なんです」と声を詰まらせながら言ったあと。
不本意な結果に終わってしまった今大会の感想を司会者に問われたのですが、「失礼ですが、質問は受け付けません」と感情的になりそうな発言は避け、「これも乗り越える」と言い切り、そして観客にはもうブーイングはしないようにと呼びかけました。 セリーナが準優勝のプレートを受け取ると、今度は司会者が大坂選手に、憧れのセリーナと全米オープン決勝で対決できた実感を聞いてきました。
すると、先輩のセリーナが直前に見せた対応に習い、「質問からは逸れますけど」と話し始め、涙ぐみながら、「みんなが彼女を応援してたのは知っていました。こんな結果になってごめんなさい。試合を見てくれてありがとう」と話しました。そしてセリーナへは「プレーしてくれてありがとう」と精一杯のリスペクトを示しました。
正々堂々と戦って勝ったにも関わらず、大坂選手の口から出たのは、驚くことにお詫びの言葉でした。 優勝トロフィーを掲げる彼女の姿も申し訳なさそうでした。これから何度経験しようと、4大大会初優勝は一生に一度だけの経験。その日がこうなってしまったのは本当に残念です。
それはセリーナも感じたようで、「私も泣いたけど、彼女も泣いていた。優勝したばかりなのに、うれしくて泣いてるのか、悲しんでいるのかわからなかった。私が4大大会で初めて優勝した時は違っていた。彼女にそんな思いをさせたくなかった」と記者会見で明かしています。
セリーナは去年の9月に女児を出産したばかり。16歳年下の大坂選手が4大大会で初優勝したのに、喜ぶどころか、悲しそうに涙を流している姿を見て、母性本能が刺激されたのかもしれません。 しかし、ポイントを奪った審判を泥棒呼ばわりしたことに関しては、男子ならもっとひどい罵声を発しても罰されないと性差別を主張。
出産のために離脱し、復帰後にはそれまでのランキングが抹消され、全仏オープンで無名選手と同様に扱われた「女性ならではの」待遇の改善も訴えてきたセリーナは、全米オープンで大坂選手以外の敵とも戦っていたようです。
16年前の全米オープンでは 勝者も敗者も笑顔
私は16年前、2002年の全米オープン決勝でセリーナと姉のビーナスが決勝で対決した試合を見る機会がありました。9月11日の同時多発テロ事件からちょうど1年後で、ニューヨークへの観光客の数は低迷したまま。例年なら即売切れてしまう全米オープンのチケットが、開催1ヵ月前時点でも売れ残っており、定価で購入することができました。今なら信じられない話です。
全米オープン決勝戦はにニューヨークのセレブが一堂に会する社交イベントでもあり、試合の合間には観戦中のセレブの顔がよくビデオボードに映し出されていました。
当時のセリーナは大坂選手と同じ20歳。トロフィー贈呈式は、勝者、敗者揃って涙を流した今回とは正反対で、姉妹揃って満面の笑みを見せていました。2002年はテニス界でウィリアムズ姉妹が一大旋風を巻き起こした年。全仏、ウィンブルドン、そして全米オープンと3大会連続でウィリアムズ姉妹が決勝対決した年でした。2003年に入っても全豪とウィンブルドンの決勝が姉妹対決となり、いずれもセリーナがビーナスを破っています。