黄色はフレディの一番好きな色だった
NBAはトロント・ラプターズ、NHLはセントルイス・ブルーズがともに初優勝を遂げ、シーズン終了となりました。アメリカのスポーツリーグで優勝決定の瞬間に欠かせないのは、天井から舞い降る紙吹雪と『We Are The Champions』の歌。
この歌を歌っているのは、昨年『ボヘミアン・ラプソディ』の映画が大ヒットし、再脚光を浴びているイギリスのバンド、クイーンです。1977年にリリースされたクイーンの6作目のアルバム『News of the World』からシングルとして発売されたもので、B面に収録された『We Will Rock You』とともにアメリカのみならず、恐らく世界中のスポーツ観戦に欠かせない歌になっています。
2017年9月にビルボード誌オンライン版が発表したスポーツ観戦ソング・トップ100では、40年も前にリリースされたこの『We Will Rock You』が堂々の1位にランキング。ゾンビー・ネーションの『Kernkraft 400』やホワイト・ストライプスの『Seven Nation Army』など、最近の定番ソングを差し置いての快挙です。
曲名やアーティスト名は聞き慣れないかもしれませんが、スポーツ観戦をしたことがある人ならいずれも必ず耳にしたことがある歌ばかりです。
クイーンの最も代表的な歌と言えば映画のタイトルにもなった『ボヘミアン・ラプソディ』ですが、最近はその他の歌もよくコマーシャルで流れています。『We Will Rock You』は現在、フォードのF-150型トラックのコマーシャルで起用中。
映画の冒頭シーンで流れた『Somebody To Love』はアマゾン・ミュージックのコマーシャルに起用されています。オンラインフードデリバリーサービスのGrubHubのコマーシャルでは、『I Want It All』が聞こえます。
クイーンのヒット曲の大半を生み出したのは、リードボーカルとピアノ担当のフレディ・マーキュリー。しかし、エイズのため1991年に45歳の若さで他界してしまいました。以後、ベース担当のジョン・ディーコンは音楽業界から引退。
ギター担当のブライアン・メイとドラム担当のロジャー・テイラーはソロ活動を続け、近年はテレビのオーディション番組『アメリカン・アイドル』でクイーンの歌を歌って有名になったアダム・ランバートをボーカルに迎えて、クイーン+アダム・ランバートとしてツアーを再開しています。今年の北米ツアーは7月10日にバンクーバーで始まります。
フレディ・マーキュリー・ブルー・プラーク
映画を見てにわかファンになった私は、5月末にロンドンでクイーン縁の地を散策してきました。ヒースロー空港に到着後、スーツケースを預け、まず向かったのはブルサラ(フレディの実名はファロク・ブルサラ)一家が1963年にザンジルバルから移住した家です。
映画でもフレディが空港で働いていたシーンがありましたが、ブルサラ一家は空港から近いフェルサムに住んでいました。 フェルサムは今も移民が多い街。バス停で並ぶ人たちからはあらゆる言語が聞こえてきます。
フレディ一家がイギリス移住後に住んでいた家 |
映画の中でフレディがバス停でバスを待ちながら、歌詞のアイデアを書き留めていましたが、もしかしたらこのバス停に立っていたのかな?と思うと感慨深かったです。
両親も他界し、今は空き家状態の(ように見えた)ブルサラ家の正面の壁には、青い丸印が付いています。イギリスの著名な人物が住んだ家や歴史的な出来事があった建物に付けられる「ブルー・プラーク」というもので、毎年約20カ所が新たに指定されているのだそう。
2016年にこの家がブルー・プラークに指定された際は、ギタリストのブライアン・メイとフレディの妹のカシュミラさんが立ち会っています。しかし、現時点では一般公開はされておらず、外から見るだけです。
死後28年経った今も新たなファンを惹きつけて止まないスターが育った家ですが、いたって普通の住宅街にあり、両隣の家にはもちろん人が住んでいます。祝日だったこの日、観光客らしき人物は私たちのみ。
そんな場所で写真を撮るのは気が引けましたが、はるばる海を越えて来た目的のひとつはこの家を見ることだったので、何枚かは写真を撮り、そこから約1マイル南にあるフレディ・マーキュリー・メモリアルへ向かいました。
写真で見て知っていたとはいえ、メモリアルはうっかりしていると気付かずに通り過ぎてしまいそうなほど控えめなものでした。歩道のコンクリートにフレディの名前と生没日、星マーク、フェルサムの住民と刻み、もみじの木を植えただけ。
木の幹には誰かが『The Miracle』の歌詞を貼り付け、根元には黄色(フレディのお気に入りの色)と白のパンジーが植えられていました。このすぐ先にはフェルサム・グリーンという小さな公園があり、公園内にもうちょっと立派なメモリアルを作ってあげてもよかったのでは?と思いました。