照明と映像を駆使したクイーンのコンサート(7月12日タコマ・ドーム)
今回も前回から引き続き、スポーツ観戦に欠かせない名曲を生み出し、現在『アメリカン・アイドル』出身のアダム・ランバートをボーカルに迎えて北米をツアーのクイーンに関する話題です。
ヒースロー空港から電車で一駅にあるフェルサムでフレディ・マーキュリーの両親を家を見た後は、ロンドン市内へ向かいました。今回の旅行目的はクイーンゆかりの地を訪れるためだったため、ホテルはケンジントン地区を選択。
ケンジントン地区はハイドパークのすぐ西側から南へ広がる一帯で、クイーンの4人が住んでいたアパートや、フレディが当時恋人だったメアリー・オースティンと同居していたアパート、フレディが1991年11月24日に他界するまで住んでいた家、ギタリストのブライアン・メイが通ったインペリアル・カレッジなどが点在しています。
クイーンのメンバーが同居していたアパートの近くには当時、ケンジントン・パブというパブがあり、BBCのクイーンのドキュメンタリーにも出てくるのですが、建物は取り壊され、跡形なし。アパートを建設中でした。
フレディがガーデンロッジへ引っ越す前に住んでいたスタッフォードテラスのアパート |
フレディとドラマーのロジャー・テイラーが出店していたケンジントン・マーケットも残念ながら、オフィスビルに様変わりしていました。アパートや家は別の人が住んでいるものの、外から見ることができました。
クイーンのファンにとってメッカ的な場所となっているのは、「ガーデンロッジ」と呼ばれるフレディが住んでいた家。私は旅行中に2回足を運び、2回とも別の花束が入り口の前に捧げられているのを目にしました。
火葬されたフレディがどこに眠っているかは、本人の希望により、ごく親しい人にしか明かされていないものの、ガーデンロッジの庭に遺灰が埋められていると推測しているファンは少なくなく、死後18年経った今も花が絶えません。この家はメアリーが相続し、現在も住んでいます。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』の中にも出てきたように、日本への関心が高かったフレディの自宅にはアンティークの着物や日本人形などが飾られていたのだそう。いずれはミュージアムとして一般公開して欲しいのですが、住宅街にあるため、周辺住民の反対に押し返されそうです。
フレディと親しかった写真家
フレディと親しかった写真家リチャード・ヤング夫人のスーザン |
フレディがガーデンロッジに引っ越す前に住んでいた、スタッフォードテラス通りのアパートの窓ガラスには、丸い穴が開けられていました。これからブループラーク(歴史的な人物が住んだ家の印)の指定を受けるのかもしれません。
この辺りは高級住宅街で素敵な建物ばかり。そこからハイドパークへ向かって歩いていく途中に、リチャード・ヤング・ギャラリーに立ち寄りました。リチャードはフレディと親しかった写真家で、8月15日まで自身のギャラリーでクイーンの写真展を開催しています。
リチャードには会えなかったものの、アメリカから来たという話をすると、夫人のスーザンが「あら、ラッキーね。今日はこれを持ってきたのよ!」と紙袋から物を取り出して見せてくれました。 袋から出てきたのは女性用のカツラと絵の具が一面に飛び散ったデザインのドレスです。
ドイツのミュンヘンで行われたフレディの39歳の誕生日パーティにリチャードが着用したのだそう。このパーティではフレディを除く男性のドレスコードが「女装必須」。
写真係ながらも、「君にも女装してもらうからね」とフレディに釘を刺されたリチャードはスーザンにこのカツラとドレスを用意してもらったのだそう。そう言われてみると、女装したリチャードとフレディのツーショット写真はインターネットでよく出回っているため、見覚えがあります。
ギャラリーではこの写真のみならず、1985年のライブエイドの舞台裏でフレディがエルトン・ジョンと談笑する様子やステージへ向かう様子、1986年のマジック・ツアーで音楽に合わせて波打つ観客をステージのフレディの背後から撮影した様子、打ち上げパーティの様子、自宅でのパーティでフレディがくつろぐ様子、愛猫を抱く様子などの写真などが飾られていました。私は迷いに迷った挙句の果てに、フレディとロジャーのツーショットを買って帰りました。