アロハシャツのルーツ!? 足利銘仙アロハプロジェクト
ホノフェスでは、幸運なつながりも生まれた。足利市のご当地アイドル、「渡良瀬橋43」の歌手、大塚みかさんとプロデューサーの江黒俊介さんの活動だ。二人は足利市をPRするため、昨年ホノフェスに初参加した。「ステージで大塚が着たのが足利銘仙の古い布などをリメイクした衣装だったんです。それが現地の日系人の間で話題になり、昔の日本人移民が持ってきた着物を仕立て直して作業着にしたのが、アロハシャツの起源のひとつだと教わりました」と江黒さん。
「絹織物の足利銘仙は、昭和の初期まで大衆着物として広く普及していました。足利で織られた銘仙も移民のアロハシャツに使われていたかもしれない。2018年は日系移民150周年の年でもあります。それなら足利銘仙でアロハシャツを仕立てて、交流してはどうかと。アロハなつながりができれば、僕たちも大好きなハワイにまた来れる(笑)。アロハシャツはハワイの人に愛される正装であると同時に、日系人ら移民と共に歩んできた文化の象徴です。そのことを足利の人にも知らせて、国際交流の一助にしたいと願いました」
くれるとともにクラウドファンディングも募り、プロジェクトはスタート。足利の商工会議所のデータベースに残る生地の柄から松の葉を選び、足利の染色会社で染めた。青とピンクの生地一面に描かれている松の葉柄は、ホノフェスの長岡花火の閃光のようにも見える。その生地をハワイに送り、アロハシャツメーカーKona Bay Hahaiiで仕立ててもらった。足利とハワイがコラボしたアロハは300着。クラウドファンディングの出資者に送ったり、Kona Bay Hahaiiで販売した。「ホノフェスのキックオフに行われた州知事公邸でのランチレセプションで、デービット・イゲ州知事ご夫妻に贈呈することもできました。あいにく知事は急用でおられなかったけれど、奥様にピンクのアロハを渡すことができました」 現在、足利銘仙の生産は途絶えているが、江黒さんらは復興の足がかりとして来年もアロハプロジェクトを実現させたいと話す。
森進一さんが歌った移民百周年 足利ご当地アイドルが復活、熱唱!
幸運なつながりはさらに続いた。アロハプロジェクトのために、大塚さんと江黒さんは何度も足利とハワイを行き来した。そして、どんどんハワイが好きになり、もっとハワイをよく知りたいと、日本フラダンス協会代表の新野まりあさんを訪ねた。「フラやウクレレを学びたくてお会いしたんです。新野さんは長くハワイに住んでいらした方で、フラのレジェンド、ジョージ・オナペから外国人でたった一人だけクムフラを認定された先生です」そこで33年前にハワイで開かれた“官約移民百年祭”で、森進一さんが『いのち百年美しく』を歌ったことを知る。作詞はなんと、新野さんであった。歌詞は孫が百年前にハワイに来た祖父や祖母に語りかけるような内容で、新野さんは、「若くてピュアな大塚さんが歌えば、世代を超えて生命を吹き込んでくれると思った」といい、ホノフェスで歌うことが実現した。ちなみに官約移民について。1868年、元年者が移民を始めた当初、明治政府は戊辰戦争などで国内情勢が揺れ動いていたため、オフィシャルな移民としては認められていなかった。正式に明治政府とハワイ王朝が協約を結んだのは1885年。以降10年間、ハワイ王朝が消滅するまで。この間2万9千人が移民し、この人たちを官約移民と呼んでいる。「こんなに恵まれた、運命のようなつながりがいくつも生まれて感激しました。この出会いを大切にして、もっとハワイのことを勉強したいです。そして海外日系人大会が開かれる6月にまたハワイに来て、歌いたいです」(大塚さん)江黒さんと大塚さんは友好親善曲『愛の唄−A Song of Love』も制作し、ホノフェスで披露した。「日本からハワイに渡った若い二人の愛と平和の唄です。作曲はハワイのミュージシャンとのコラボで、CDもリリースすることができました」波の音、ウクレレの音色……、ハワイのメロディなのだが和のテイストも感じる優しい楽曲だ。「日系人だけでなく、ハワイは様々な国の人が移民して、お互いの文化をリスペクトしながら融合してきた島です。7つの色が寄り添った虹のよう。私も虹のような架け橋になれるよう、歌もフラもウクレレももっと一生懸命レッスンします!」
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(取材・文 奥山夏実)
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