Harmony Over the Ocean, Journey to Peace.
3月9日より3日間にわたって開催された、『ホノルル フェスティバル』(主催:ホノルル フェスティバル財団)。環太平洋の各地から約5,000人のパフォーマーが参加し、延べ13万4千人以上もの観客を動員。民族や世代を超えた交流でパシフィックハーモニーの輪を大きく広げた。
日本と世界をつないで24年ハワイ最大級の文化交流イベント
24回目のホノフェス、サブテーマは“Harmony Over the Ocean, Journey to Peace.”〜海を超えた文化交流、平和への旅〜。このテーマの背景には今年、ハワイ日系移民の歴史が150周年のメモリアルイヤーを迎えることにある。サトウキビ農場などでの労働者を探していたハワイ王朝が江戸幕府と交渉をして、明治元年(1968年)の6月、日本から約150人の移民がハワイに到着。これが組織的な日本人の最初の移民の歴史で、明治元年に移民したことから「元年者(がんねんもの)」と呼ばれている。ホノフェスでは“二世ベテランレガシー”と、在ハワイ日本総領事館が協力して、コンベンションセンターで元年者の時代から現在までの日系人の歴史パネル展を開催。太平洋戦争で突如捕虜として収容所に入れられた父の世代の汚名返上のため、1900年以降に生まれた日系アメリカ人の若者は、激戦地で勇敢に戦い、アメリカに忠誠を尽くした。その功績をたたえ、後世に伝えるのが“二世ベテランレガシー”の活動で、パネルには関係者から集められた数々の貴重な写真が紹介されている。
3月28日〜4月12日まで ホノルル市庁舎でも移民展開催
太平洋戦争で最初の戦場と化したのはハワイ、日本軍による真珠湾攻撃だった。当時ハワイには日系人16万人、ハワイの人口の4割もの人が住み暮していた。日系人を全員捕虜として収容するには人数が多すぎたため、教師や神社、寺院関係者、財界トップなどがまず強制隔離、抑留された。場所はサンドアイランドで自分たちでテントを張らされ、抑留されたという。その後、西オアフのホノウリウリに大規模な収容所が作られ、当時の写真も展示されている。収容所は戦後放置されていたが、2015年、当時のオバマ大統領が二度と戦争の過ちを繰り返さないようにと国定史跡に指定。現在は米国が管理し、ハワイ日本文化センターが歴史継承の活動を担っている。大戦時イタリアの激戦地で勇敢に戦い、右手を失いながらも生還したハワイ出身のダニエル・イノウエ氏は、ハワイ州選出の上院議員へ。長く政治家として活躍した。最古参議員として大統領継承順位第3位の高位まで上りつめ、アメリカの歴史上アジア系アメリカ人が得た地位としては最上位のものとなった。
現在オアフ島の国際空港は、ダニエル・イノウエ空港、ハワイ島のコナ国際空港は、エリソン・オニズカ空港と、2人の日系人の名が冠されている。オニズカ氏はコナ出身。アメリカ空軍の大佐から、日系人初のNASA宇宙飛行士になり、1986年、チャレンジャー号爆発事故により39歳で殉職している。野球で活躍したウォーリー・ヨナミネ氏や、現州知事のデービッド・イゲ氏の功績なども紹介されている。今回のホノフェスには、ブラジルやペルーから日系人100人以上が参加。ガラパーティを楽しんだり、カラカウア通りのグランドパレードに参加して笑顔で行進していた。「ハワイ日系人の歩み」写真展は、3月28日(水)〜4月12日(木)の平日8am〜4:30pmまでホノルル市庁舎の1階コートヤードで無料開催。ホノフェスで見逃した方はぜひどうぞ。
6月6日、7日にはホノルルで第59回 海外日系人大会を開催
また6月には、ハワイ元年者150周年を祝って、ホノルルで海外日系人大会が開催される。大会は世界各地に在住している日系人が一堂に会し、在住国の実情を紹介し合いながら、国際交流・理解・親善を深めることを目的としている。1957年から始まり、今年で59回目となる。例年は日本で開催しているが、元年者から数えて100周年に当たる1968年には、常陸宮ご夫妻両殿下をお迎えしてホノルルで開催された。150周年の今年は秋篠宮ご夫妻両殿下を迎えて、シェラトン・ワイキキで開催される。日本人、日系人であれば誰でも参加できる。参加問い合わせ・申し込みなどは、下記まで。
(公財)海外日系人協会 http://www.jadesas.or.jp/
参加団体は世界各地から202団体、4572人も!
毎年、ボランティアが強く支えるホノフェス、今年は509人ものサポートを得た