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五穀豊穣と平和を祈る日本の儀式

「まつり」という言葉は、古代から存在する日本語の古語です。1世紀ごろ(弥生時代)、中国から漢字が伝わると、「まつり」に「禱」「纏」「祀」「祭」などの漢字があてられました。政治を「政(まつりごと)」と呼ぶことがありますが、これは古代日本で祭祀を司る人と政治を司る人が一緒になった「祭政一致」の政治体制がとられていた時の名残りです。2000年以上もの長い間、お祭りは日本人の生活や文化に深く関わってきました。 現在の日本で行われるお祭りは神社の祭事が主流です。神社のお祭りは、その場所に鎮まる神様に神饌(しんせん)を捧げて奉仕すると共に、五穀豊穣や、国と地域の平和、発展を祈るという目的で行われ、民間信仰や仏教などの習俗の影響を受けたものが多く見られます。今回の特集では、お祭りの種類や日本三大祭りなど、神社のお祭りに焦点を当ててご紹介したいと思います。

 

1年に20万回以上も行われているお祭り

日本全国にある神社の数は約8万8000社で、仏教のお寺の数、約7万7000寺を上回っています。全ての神社で行われるお祭りの総回数は、小規模なものも合わせると1年間に20万回以上といわれています。

東京三社祭・浅草浅草寺(Shutterstock)
 

伊勢神宮のお祭りは1年で1500回

神社では、通常1年に2〜4回のお祭りが行われますが、三重県にある伊勢神宮では、年間約1500回ものお祭りが斎行されています。  

伊勢神宮では、神嘗祭のような大きなお祭りの他、毎日、朝と夕方の2回、主祭神の天照大御神を始めとした複数の神様に食事をお供えする祭りが行われています。

伊勢参宮名所図会(1797年)よる内宮の正宮(Wikipedia)

 

お祭りの種類

神社で斎行されるお祭りは、内容や時期によって異なる名前が付いています。

 

●日供祭(にっくさい)  

人間が毎日食事をするように、神さまにも日に2回お供え物を食べてもらうと共に、氏子や崇敬者の安寧を祈願するお祭りです。伊勢神宮で行われる日供祭は「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」「常典御饌(じょうてんみけ)」と呼ばれ、外宮の御饌殿(みけでん)で神さまたちに神饌をお供えするというものです。  江戸時代以前は、日本人の1日の食事の回数は朝夕の2回でした。その名残で、神様の食事は今も朝夕2回なのです。

●月次祭(つきなみさい)  

毎月、国と氏子の安泰を祈願する目的で斎行されるお祭りを「月次祭」といいます。多くの神社で、1日か15日に行われています。

●例祭(れいさい)  

神社で行われる最も盛大なお祭りを「例祭」といいます。年に1〜2回、その神社の祭神と関係がある日や、神社が創祀された日などに行われ、「例大祭」と呼ばれることもあります。神さまを称え、国と氏子の平和と繁栄、五穀豊穣などが祈願されます。2月に行われる祈年祭、11月に行われる新嘗祭と共に、神社における三大祭りの一つとされています。  境内では相撲や流鏑馬(やぶさめ)、御神楽、獅子舞などの神事が催され、参道には出店が並び、大勢の人々で賑わいます。例祭で行われるお神輿行列は「神輿渡御(みこしとぎょ)」といい、いつもは本殿にいる神様がお神輿に遷され、氏子の町々を巡るという祭事です。

●歳旦祭(さいたんさい)  

元日の早朝、1年の平安を祈念して行われるお祭りを「歳旦祭」といいます。歳は年、旦は日の出を意味します。

●祈年祭(きねんさい)  

「としごいのまつり」ともいわれ、毎年2月27日に斎行されるお祭りです。祈年祭の「年」は「稲の稔り」という意味。この祭りでは、穀物の豊作と共に、国の平和を祈ります。古来から、日本は稲作を始めとした農業によって繁栄してきたため、神社のお祭りでも五穀豊穣が祈願されてきました。  現在は、五穀豊穣に加え、他の産業の繁栄も祈るお祭りとして、多くの神社で行われています。

 

<MEMO>

稲は「命の根」という意味でイネといい、米は「穀物の霊(みたま)が込められている」という意味でコメといいます。

 

●神嘗祭(かんなめさい)  

「神嘗祭」は、毎年10月17日に伊勢神宮で斎行されている盛大な祭りです。天皇が手ずから作った新穀を始め、全国の篤農家が奉納した新米をお供えして神さまに食べてもらい、米の稔りと収穫に感謝します。また、天皇の勅使が持ってきた皇室からの幣帛(へいはく)がお供えされます。このお祭は20年毎に「大神嘗祭」と呼ばれます。

 

【お祭り用語(1)幣帛(へいはく)】

幣帛は、神道の祭祀で神様にお供えするものの総称です。「帛」は布という意味ですが、これは古代の日本で、当時貴重品だった布がお供えものの中心だったことを示しています。

 

●新嘗祭(にいなめさい)  

毎年11月23日に行われ、米を始めとする農作物の収穫を感謝するお祭りです。新嘗は「新饗(にいあえ)」ともいい、「新」は新穀、「饗」はご馳走を意味します。新嘗祭は古くから行われており、『古事記』と『日本書紀』には「天照大御神が高天原で新嘗祭を執り行った」という記述があります。新嘗祭の日の皇居では、深夜にわたって、天皇が天神地祇(てんしんちぎ)に新穀を勧めて自分も食べるといった祭りが奉仕されます。  

また、天皇が即位後に初めて執り行う新嘗祭は「大嘗祭(だいじょうさい)」と呼ばれます。全国の神社では、新穀の収穫、農業その他の産業への感謝と発展が祈願されます。11月23日の休日、勤労感謝の日は、この新嘗祭に由来しています。

 

<MEMO>

『古事記』は、奈良時代、文官だった太安万呂(おおのやすまろ)が編纂し、712年(和銅5年)に元明天皇に献上されました。『日本書紀』は720年(養老4年)に完成した日本最古の正史です。

 

●大祓(おおはらえ)  

心身の穢れを祓い清めるお祭りで、毎年6月、12月の最後の日に行われます。6月の大祓は、夏越祓(なごしのはらえ)または水無月祓(みなづきのはらえ)と呼ばれます。夏越祓では、多くの神社で「茅の輪くぐり」が行われます。  12月の大祓は、年越祓(としこしのはらえ)まはた師走祓(しわすのはらえ)といい、その年後半の罪や穢れを祓い、心身を清らかにしてお正月を迎える目的で行われます。大祓では、人々が紙を人の形に切り抜いた人形(ひとがた)をなでて息を吹きかけ、自分の罪や穢れを人形に移して海や川に流します。

 

<MEMO>
「茅の輪くぐり」は、奈良時代初期に編纂された『備後国風土記』の中の神話が由来です。蘇民将来(そみんしょうらい)という人が、南海を旅していた素戔嗚尊(スサノオノミコト)に一夜の宿を貸しました。数年後、再び蘇民を訪ねた素戔嗚尊が「もし悪い病気がが流行ることがあれば、茅で輪を作って腰につければ病気にかからない」と言いました。それに従った蘇民は疫病を免れたということです。茅は「チガヤ」というイネ科の多年草ですが、現在は多くの神社で、茅の代わりに葦(アシ)が使われています。

 

日本三大祭り

数多い日本のお祭りの中で、特に規模が大きく有名な「日本三大祭り」をご紹介します。

 

神田祭(東京)

神田明神(PhotoAC)

 

「神田祭」は、千代田区外神田にある神社、神田明神の祭礼で、山王祭、深川祭と共に「江戸三大祭り」に数えられています。同じ区にある永田町・日枝神社の本祭り「山王祭」と1年ずつ交互に斎行されるため、開催は2年に1度。時期は5月中旬で、参加者数が数千人という華やかかつ盛大な祭事が、1週間に渡って催されます。

 

歴史
神田祭が盛大に行われるようになったのは、江戸時代初期。江戸時代の最初の年の1600年(慶長5年)、徳川家康は、神田明神に関ヶ原の合戦の戦勝の祈祷をするよう命じました。神職が連日祈祷していたところ、9月15日の祭礼の日に家康が合戦に勝利して天下統一を果たしました。喜んだ家康は、神田明神に社殿、神輿、祭器などを寄進し、それ以後、神田祭は徳川家縁起の祭として大々的に行われるようになったのです。江戸時代は、山車が江戸城に上がって将軍に御目見えしていたので、山王祭と共に「天下祭」と呼ばれていました。明治時代からは、台風の被害を避けるため、気候のよい5月に行われるようになりました。

 

主な神事と祭事

●鳳輦神輿遷座祭(ほうれんみこしせんざさい)  

神田明神の祭神、大己貴命(オオナムチノミコト、だいこく様)、少彦名命(スクナヒコナミノミコト、えびす様)、平将門命(タイラノマサカドノミコト、まさかど様)の三柱を、鳳輦と神輿に遷す神事です。神田祭1日目の夜に行われます。

 

【お祭り用語(2)鳳輦(ほうれん)】
鳳凰の飾りのついた屋根の下に4本の柱がある神輿様の山車を「鳳輦」といいます。鳳輦は「鳳凰の飾りが屋根にある天子の車」という意味で、元々は天皇の正式な乗り物でした。「神輿」神社の社殿を小型化したものです。

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●氏子町会神輿神霊入れ  

108基の氏子町の神輿に三柱の祭神を遷す神事です。

●幸神祭・附け祭  

だいこく様を乗せた「一の宮鳳輦」、えびす様を乗せた「二の宮鳳輦」、まさかど様を乗せた「三の宮鳳輦」を先頭に、その他の山車、氏子町の200基を超える神輿が大行列を作って巡行します。行列は、神田、日本橋、大手町、丸の内、秋葉原、築地など、氏子の108町会を巡った後、神田明神に宮入します。神田祭の一番の見どころです。

●明神能 幽玄の花  

境内に設置された能舞台で、神田明神伝統の神事能「金剛流焚き火能」が披露されます。

●献茶式  

表千家家元による袱紗捌きが披露された後、濃茶と薄茶が明神に奉納されます。

●例大祭  

神職が全員で神に奉仕し、日本の繁栄と平和、氏子の幸福を祈念します。神田明神の神事の中で、最も大事なものです。

 

祗園祭(京都)

山鉾巡業(PhotoAC)

 

「祇園祭」は、京都市東山区にある八坂神社の祭礼です。毎年7月1日から31日までの1カ月間に渡って催される、京都の夏の風物詩で、宵山(本祭の前夜祭)には約90万人もの人々が訪れます。祇園祭という名前は、神仏習合の時代、比叡山に属していた八坂神社が「祇園社」と呼ばれていたことに由来します。

 

歴史
始まりは863年(貞観5年・平安時代初期)の夏、朝廷が、現在の京都市中京区にある庭園・神泉苑で行った「御霊会」でした。御霊会は、その頃流行していた疫病(天然痘やインフルエンザなど)を祓う目的で、疫神をなだめるために神楽や田楽などを行い、祈りを捧げるという祭礼でした。当初は不定期で開催されていましたが、970年(安和3年)から毎年行われるようになりました。

 

主な神事と祭事
●山鉾巡業  

祇園祭の1カ月間に行われるさまざまな神事、祭事には、大きく分けて八坂神社が執り行うものと、山鉾町が執り行うものがあります。山鉾町とは、祇園祭で使う山鉾を管理している八坂神社の氏子の地域一帯を指します。山鉾は、元々あった神社のお神輿行列に、後から加わった背の高い山車のことをいいます。山鉾町が行い、数ある祇園祭の行事の中でも有名な「山鉾行事」は重要無形文化財に指定されています。

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山鉾行事の中で、32基の山鉾が通りを巡る「山鉾巡業」は祇園祭のハイライトです。山鉾巡業が行われるようになったのは鎌倉時代末期で、最も古い記録は1321年(元亨元年)7月の花園天皇の日記『花園天皇宸記』にある「鉾衆の周りの鼓打たちが風流な舞曲を演じた」という記述です。室町時代(1336〜1392年)、八坂神社の氏子地域で、町ごとに作られた山鉾が通りを練り歩く「山鉾巡業」が行われるようになりました。

 

天神祭(大阪)

大阪天満宮(PhotoAC)

 

「天神祭」は大阪市北区にある神社、大阪天満宮の祭礼で、藍染祭、住吉祭と共に大阪三大夏祭りの一つに数えられています。毎年7月24日と25日に行われ、数千人が参加すると共に、130万人もの人々が祭を見に訪れるという大祭です。大阪天満宮に祀られている学問の神様、菅原道真公に大阪の繁栄を見てもらうと共に、さらなる繁栄を祈りながら船や神輿が氏子の町々を巡ります。

 

歴史
天神祭が始まったのは、天満宮が鎮座してから2年後の951年(天暦5年・平安時代)。大阪天満宮近くの川から神鉾を流し、それが流れついたところに「御旅所(おたびしょ)」を設けて禊を行いました。その際、氏子たちが船を仕立てて神鉾を奉迎したのが祭の始まりです。

 

【お祭り用語(3)御旅所(おたびしょ)】

御神体を乗せた乗り物が休憩する場所や、その目的地を「御旅所」といいます。

 

主な神事と祭事
●船渡御(ふなとぎょ)  

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「船渡御」は、神輿を乗せた捧安船(ほうあんせん)や催太鼓船(もよおしだいこせん)など、100隻以上の奉迎船が航行する船行列です。951年、神鉾が航路をたどって御旅所に向かう際に、氏子たちが船を出して奉迎し、その奉迎の船の列にさらに別の船が加わり合流するという形で、徐々に規模の大きい船行列となっていきました。  

現在では、船の上の神様に氏子や市民の暮らしを見てもらいながら繁栄と平和を祈願する「水上祭」も同時に行われています。船私御の終盤には、川の両岸から約3000発の奉納花火が打ち上げられ、水面と船を照らし出します。天神祭の一番の見どころです。

 

(日刊サン 2017. 10. 8)

 

【参考サイト】 

福島県神社庁 <fukushima-jinjacho.or.jp> 

まつりーと<matsuri-sanka.net> 

日本全国「三大祭」ガイド<3matsuri.com> 

平成29年神田祭特設サイト <kandamyoujin.or.jp/kandamatsuri/about>