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相撲錦絵の第一人者、木下大門氏の”SUMO Column”

絵番付と化粧廻し

江戸期にも何度か木版画で発行された絵番付。1993年9月場所から幕内全力士を錦絵に描き並べた現代版の復興がなり、写真のような絵番付を私が制作してきました。

当時、横綱は東に曙一人だけ。大関貴ノ花・若ノ花・小錦、東関脇に武蔵丸というハワイのビッグウェイブが日本列島に押し寄せていました。

年6場所発行を続けてきた絵番付も、一場所の不祥事中止を除き今年の9月場所で146号。登場力士は現在42名で、のべ6千人以上の力士が並びました。

現代版の絵番付の制作プロセスは、私が試行錯誤して考案したものです。まず、力士の下絵は浮世絵の技法で本人の十分の一に線画で描き、原寸大に縮小。セル画の彩色法で力士に贈られた化粧廻しを忠実に着色します。東と西に向きを変えた体位を作成しておき、番付発表の日に順に並べて版下を印刷所に入れ、和紙に印刷してもらいます。

一枚数百万円もする化粧廻しは刺繍、織りなどの古来の技術で職人が作ります。

私自身、千枚ほどの化粧廻しを描いてきたことでわかってきたことがあるのです。力士に似合う色、図柄で仕上がっているものはおそらく半数以下。贈り主のセンスが大きく力士の見栄えに影響します。細かい図柄より遠目ではっきりわかる大柄なデザインがいいのです。元は江戸期の藩のお抱え力士に贈った城主の家紋が大きくデザインされていたのです。

自社の商品の宣伝のデザインが一番格好の悪いデザインで、絵番付への掲載も避けるようにしています。番付順に配した時に、化粧回しの色をバランスの良い配置に交換もします。絵番付はたとう袋に入れるのに折り畳んでありますが、和紙にオフセット印刷するので、裏からアイロンを当てると折り目はほぼ消えます。四半世紀経つ絵番付、ふちが黄ばんできましたが丈夫な和紙は日本の誇りです。

 

(日刊サン 2017. 10. 17

木下大門・Kinoshita Daimon

1946年北海道弟屈町出身、大相撲絵師。明治時代に絶滅していた相撲錦絵を、江戸時代の手法そのままに蘇らせた功労者。現在の両国国技館が完成した時から、日本大相撲協会お墨付きの絵師として30年以上第一線で活躍している。今年はベネチアビエンナーレに作品を出展。最も面白い企画展だったと大絶賛された。