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夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 とおい空……。

 

これは、童謡「夏の思い出」(江間章子作詞、中田喜直作曲)の歌詞の一節だが、7月になると、「蝉が鳴く頃」と、政府高官逮捕を予告したロッキード事件捜査当時の検察幹部の言葉を、懐かしく思い出す。 もう事件から43年が経過し、逮捕された田中角栄元首相が鬼籍に入って久しい(1993年死去)。

 

後輩の新聞記者に昔話をしても、「私が生まれる前の話」とシラケる反応が返ってくる。それでも日本の政治史にとって、「戦後最大の疑獄」であることに変わりはなく、さらに現在の日米関係に共通する問題も内在し、語り継ぎたい。

 

事件は、1976年2月に米上院外交委多国籍企業小委員会の調査・証言から、日本にもたらされた。捜査に乗り出した東京地検特捜部を、30歳の社会部司法記者としてフォローし、その頂点が7月27日だった。

 

早朝、霞が関の検察合同庁舎正面玄関で、特捜検事に伴われて黒塗りの車から降りた元首相は、報道陣のカメラの砲列に、「いよっ」という感じで右手を上げ、足早に庁舎の中に姿を消した。

 

たちまち、列島に大きな衝撃が走った。

 

6月頃から、ロッキード社とともに日本の航空会社にトライスター売り込みを図った商社の丸紅や、この大型機を購入した全日空の社長らが次々と逮捕されていた。司法記者たちは、政治家をターゲットに、特捜部がいつ強制捜査に踏み切るのか、日々の夜回りで検察幹部と「禅問答」のような会話を繰り返していた。

 

そのプロセスで検察幹部の口から洩れた言葉が「蝉の鳴く頃」だった。元首相逮捕の朝、検察庁舎向かいの日比谷公園では、蝉が盛んに鳴いていた。 検察が描いた事件の骨格は、ロッキード社が全日空へのトライスター売り込みのため丸紅を通じて元首相に働きかけを要請し、採用決定後の73年から74年にかけて4回に分けて5億円の賄賂を提供した、という構図だった(受託収賄罪)。

 

首相就任直後のニクソン大統領とのハワイ会談(72年8月31日、9月1日)で、日米貿易不均衡の問題が議題になり、航空機購入の話が両首脳間で交わされたとの疑惑が伏線として存在し、いまも解明されない歴史の謎となっている。

 

捜査が開始された2月に、最初にクローズアップされたのは、ロッキード社の秘密代理人として巨額の報酬を受け取っていた児玉誉士夫氏の存在であり、日本政府がそれまでに米国から購入してきた戦闘機などの売り込みに、この右翼の大物が関与した疑惑だった。

 

日本の航空産業は、第二次大戦後の占領期に、敗戦国として開発や製造を禁止され、その後も低迷期が続いた。1970年代まで戦闘機の購入は、米国メーカーの機種を選択するしか方法がなかった。それが、次期対潜哨戒機(PXL)の選定をめぐって、1972年2月の閣議は、国産化の方針を決定し、転換期を迎えた。

 

ところが田中首相就任後である同じ年の10月に開かれた国防会議議員懇談会では「国産化白紙撤回」の方針を確認。政府は2年後にはロッキード社のP3C オライオン導入に舵を切った。 米国議会の暴露で、秘密代理人・コダマには21億円にのぼる報酬が支払われたとされた。

 

メディアの関心も当初はP3Cに集中し、所在不明だった児玉捜しに手を尽くした。結局、児玉は世田谷区の自宅にいることが分かり、特捜部が取り調べに乗り出したが、主治医は脳梗塞と診断、真相の解明は進まなかった。

 

児玉周辺では関係書類の焼却など証拠隠滅の疑いも指摘され、脱税による起訴には漕ぎつけたものの、それ以上の捜査の進展はなかった。焦点の人物は謎を抱えたまま裁判中に亡くなった。

 

作家、真山仁さんが『ロッキード 角栄はなぜ葬られたのか』を週刊文春に連載中で、一部取材に協力したが、米国からの軍用機購入の歴史を洗い直し、捜査がトライスター売り込みをターゲットにした経過に疑問を投げている。

 

軍用機ではなく民間機の売り込みに絞った捜査は、米国側から提供された極秘資料に「TANAKA」の名前があったことなどが契機となり、一方のPXLの問題が捜査の対象から消えた真の事情は、いまだに明らかになっていない。特捜部の捜査結果が、米国にとって望ましい結果になったことだけは否定できない。

 

話は一気に現在に飛ぶが、米国のトランプ大統領は国賓として来日した5月、安倍首相との会談後の記者会見で、日本がF35ステルス戦闘機105機を米国から購入する、と明らかにした。ロッキード・マーティン社を中心に開発された機種。

 

日本にとって1機100億円を超える買い物に税金をつぎ込むわけで、大統領はG20サミットで来日した際にも、「防衛装備品の(日本の)購入について協議したい」と述べている。 軍用機や武器を、米国が日本に売り込む構図は、ロッキード事件以後も変わっていない。

 

43年前、PXLをめぐる日米の謎が解明されていれば、という思いを抱きながら、安全保障の問題を含めて、国際情勢の動向を見つめている。

 

 

(日刊サン 2019.07.13)