『イギリス文学散歩』という本をパラパラとめくっていたら、ふと、その本のオビの文章に「雨が好き 風が好き 花が好き」とあるのに気づきました。ガーデニングには目がない英国人が花好きなのはわかりますが、はて、英国人ってほんとうに雨が好きなの?
英国には二度にわたって暮らしましたが、灰色の雲が低くたれこめた陰鬱なイメージとは違って、伸びやかな美しい青空が広がっていた日が多かったように思います。先々月、ロンドンから来日した英国人女性に尋ねると「『日本晴れ』という言葉があるそうだけど、東京に着いてから雨ばかりでうんざり。わたしは雨が嫌い。英国人が雨好き?ウソよ」と、けんもほろろでした。
何を隠そう、かく言うわたしは実は雨がけっこう好きなのです。世界のさまざまな土地で、雨音の素晴らしさにしばし聴き入りました。雨にもきっと、「お国ぶり」があるに違いありません。
ハワイ島をドライブ中、天から槍の束が降るような激しいスコールに見舞われました。でも、ぱたりと降りやんだかと思うと、夕空には見事な大輪の虹。沖縄でも、マレーシアでも、シンガポールでも、突然、昼が夜のようになって豪雨が地を叩き、短時間でぱっとやみ、からりと晴れあがる。ジトジト、ウジウジと長引かない潔(いさぎよ)さ。南国の雨のイメージはたいてい、そんなところでしょうか。
雨のシーンがすぐに思い出される映画も少なくありません。舞台はニューヨーク。オードリー・ヘップバーン主演の米映画『ティファニーで朝食を』のラストは土砂降りの雨でした。摩天楼を行くニューヨーカーたちは多少の雨など気にも留めず、傘もささずに渋滞する車の間を走り抜けていきます。カトリーヌ・ドヌーブ主演のフランス映画『シェルブールの雨傘』では、雨に濡れる石畳に咲く色とりどりの傘を真上からとらえた映像が、登場人物たちのそれぞれの人生を鮮やかに浮き立たせました。
『マディソン郡の橋』『七人の侍』など、雨が印象深い映画はまだまだありますが、もっとも心を揺さぶられたのは、1950年代のインド・ベンガル地方の農村に暮らす貧しい一家を描いたインド映画『大地のうた』三部作です。名匠サタジット・レイが監督し、シタールの名手ラヴィ・シャンカールが作曲、演奏したメロディが詩情をかきたてました。
にわかに空がかき曇り、池のハスが揺れ、飴屋のオヤジのハゲ頭にポツンと雨粒が落ち、やがて沛然(はいぜん)と降り出す雨の中を、イヌが駆け、主人公の少年オプーが姉とともに大樹のもとで抱き合って雨宿りをするシーンは忘れられません。風邪がもとで姉が亡くなり、悲嘆にくれる一家が牛車に揺られて村を去った後のあばら家には、一匹のヘビが入れ替わるようにょろにょろと入っていくのです。生きとし生けるものが織りなす悠久の大地を、深い心で描いて圧巻でした。
静かな雨音もまた心地よし。京都の名刹(めいさつ)・東福寺で坐禅のまね事をしたことがありました。夕暮れ時、森閑とした禅堂の甍(いらか)に細かな雨粒がはねる音がかすかに聞こえ、それがいっそう静寂を引き立てます。雨は人を、にわか哲学者にも、にわか詩人にもするのです。
しかし、昨今の日本列島を襲った記録破りの大雨がもたらす深刻な被害を思うと、雨のロマンにひたるわけにはいきません。
梅雨前線の影響と見られる昨年の「平成30年7月豪雨」では、西日本を中心に河川の氾濫(はんらん)、土砂災害が多発し、200人を超す方が犠牲になりました。この夏以降でも、福岡、佐賀両県や三重県四日市市山域、岡山県新見市付近などで1時間に100ミリを超す猛烈な雨が降り、気象庁は「記録的短時間大雨情報」を発令しました。
台風は年々強力になる印象です。千葉県では台風15号が残した爪痕からの復旧作業がなお続いています。台風襲来でなくとも、次々と発生する発達した積乱雲が列をなして同じ地域を襲う「線上降水帯」という言葉を耳にすることも多くなりました。「記録的」「前例のない」という警告や報道も、いつの間にか慣れっこになってしまう。そこが、こわいところです。
これらを自然災害と呼ぶのが適当なのか。即断は禁物ですが、地球温暖化とともに、人間がもたらした災害、という面は大きいように思います。
木村 伊量(きむら・ただかず) 1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。
(日刊サン 2019.09.28)