11月29日、中曽根康弘元首相が亡くなられた。享年101歳。弱小派閥出身故か、権力にすり寄る「政界の風見鶏」とか「かんなくずのようにぺらぺら燃える男」と呼ばれたり、就任当時は田中角栄氏の強力な支援で勝ち得た首相の座だった故、「田中曽根内閣」と評判は必ずしも良くなかった。しかし、田中氏がロッキ-ド事件有罪判決で失脚後は「戦後政治の総決算」として内政では電電公社の民営化、国鉄の民営化、防衛費1%枠突破等を。また外交では、ロン・ヤス関係で日米基軸を強固なものにし、初の海外訪問に韓国を選ぶなど近隣外交にも意を尽くした。一方、ロッキ-ド事件・リクル-ト事件・佐川急便事件などで名前が取りざたされたこともある。某コラムニストによると「汚職とか腐敗は民主主義の風邪のようなもの」という政治倫理観を語っていたそうだ。最後は「死んだふり解散」と言われる突然の解散で大勝利し、任期を特例で一年延長。後継者と言われた安倍・竹下・宮沢氏の中から竹下首相を自ら選び5年の任期を全うした。
私も「総理と語る」という番組でインタビュ-をしたことがあるが、他の政治家とは別格で、目の前の政局の動きなど聞いたら馬鹿にされてしまうのではと気後れしたことを覚えている。首相になったら国家再建のために何をしようかと、政界に入る前からノ-トにびっしりと書き込んでいたという話を聞いていたからかもしれないが、とにかく考えの中心は「国家のあり方」というのは間違いない。
「大統領的首相」というのも中曽根さんが初めてだろう。「土光臨調」始めブレ-ンを集めた数多くの審議会でトップダウンで物事を決め、それをPRして民意を巻き込んでいく。首相のパフォ-マンスというのも目立った。サミットで計画的に中央のレ-ガン大統領の脇で写真に収まったり、レ-ガン大統領を迎賓館では無く自分の山荘に招いてホラ貝を吹いたり、日米貿易摩擦解消のために「バイ アメリカン」を自らPRしたり、枚挙にいとまがない。そしてこれはその後の小泉首相や安倍首相に引き継がれていった。
そして安倍内閣。11/20に第一次・第二次通算で7年ほどの憲政史上最長内閣になったものの、春の「桜を見る会」問題で祝うどころではなく批判が相次ぐ。曰く、「桜を見る会」は長期政権のおごり・ゆがみの現れだし、名簿廃棄は民主主義の根幹をこわすもの。アベノミクス・地方創生・一億総活躍等、看板の掛け替えを次々するけれど結果がでていない。外交も拉致問題解決・北方領土返還をぶち上げたが先行きは見通せない。対中関係は改善したが日韓関係は最悪の状態に。もちろん念願の憲法改正はとまったまま。
一方、支持者側は秘密保護法や平和安全法制で集団的自衛権の一部行使容認を認めさせたり、TPP11をまとめたのは自由貿易上大きな成果だ、とか、民主党政権で険悪になった日米関係を国連での戦後70年談話やトランプ大統領との関係で良好なものにしたことを成果としてあげている。もちろん長期政権で安定しているからこそ様々なことがすすんだとも言える。
ではなぜ最長の政権になったのか、側近の世耕自民党参院幹事長に要因を聞いてみた。「政権の中枢プレ-ヤ-が第一次政権の失敗と反省と悔しさを共有していたこと。二次政権のはじめは1年持つかと一日一日必死でしたよ。だから経済・外交それにいち早く格差問題・少子高齢化対策など野党がやりそうなことに手をうっていったことも政権が長く続いたファクタ-だと思います。」確かに、内閣改造は何度も行われたがコアなところは今井秘書官も含め不動。内閣人事局等を作り官邸主導もますます強まり、さらに野党の弱体化も変わらず。国政選挙6回、自民党総裁選3回にすべて勝利してV9。小選挙区制で公認権は党総裁にあるから、自民党内にも異論を述べる人は数少ない。それ故の長期政権だというのはよくわかる。
ただ、「失敗と反省と悔しさ」の上にたった政権、というのは常に失敗を恐れている、とも言える。目の前の現実問題を解決することに汲々として、何十年・何百年先を考えての政治をしているのだろうか?国鉄や電電公社の民営化のように根本から制度を変えるようなことをやっているのだろうか?レガシ-がない、といわれるところもそこにある。任期はあと2年。最後、もう政権を保たなくてもいいのだから思い切ったことをやってほしい。
川戸恵子 (かわどけいこ)
TBSテレビ・シニア・コメンテ-タ-。TBS入社後、ニュ-スキャスタ-を経て、政治部担当部長・解説委員さらに選挙担当として長年政界を取材。そのほか、これまでに自衛隊倫理審査会長、内閣府消費者委員会委員などを歴任。現在、TBSNEWSで週一回の政治家との対談番組を制作。また日本記者クラブ企画委員・選挙学会理事。
(日刊サン 2019.12.14)