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2019ホノルル歌舞伎:満員御礼で御座りまする

 

三田寛子 さん Mita Hiroko

歌舞伎では時に厳しい師弟関係、 プライベートは大甘のお父さんです

 

 

 中村芝翫さんの妻の三田寛子さん。3人の息子さんを立派に育て、みごと3人同時に名跡を襲名されました。一番下の歌之助さんはこの春から高校3年生。進学直前の大事な期末テストを終えてから、寛子さんとともにハワイ入りされた。

 

「コンベンションセンターでの千穐楽に間に合い、父子4人揃ってハワイで連獅子を舞わせていただけるなんて、本当に光栄なことです」

 

2016年の博多座から、2年もかけて日本各地で襲名披露公演を行い、ハワイが有終の大舞台となった。 「襲名という大役を頂戴するにあたり、主人と息子たち4人4様の努力の限りを見てきましたから、無事に全うできてホッとしています」

 

息子さん3人ともが歌舞伎の道に進むには、ご苦労があったのではないだろうか。 「私は歌舞伎に関してはど素人ですので何も申しません。主人の母も子育てをしていた頃、舞台の上のことには一切触れずに控えていたと教えてくれて。私も歌舞伎自体には口出しできませんので、裏方として、妻、母として支えようと努めてきました」

 

長男の橋之助さんが生まれた時、夫の芝翫さんから言われた言葉が忘れられないという。

 

「歌舞伎を家業とする家に生まれたからには、歌舞伎においては父と子ではなく、絶対的な師弟関係で、常に厳しい存在であらざるをえない。芸を仕込むのも時に突き放して、諸先輩がたに預ける時もある。主人は主人のお父様とは常に師弟関係で、家の中でも厳しく育てられました。お父様と遊んだ記憶はないそうです。でも長男が生まれた時、歌舞伎では師弟関係だけど、家の中では上手に切り替えて、愛情たっぷりに仲良く暮らしたいと主人は言いました。だから家の中ではもう、甘あまのお父さんですよ。子ども達が大きくなってからは、どうやったら仲間に入れてもらえるか、主人は友だち扱いされたくて仕方がないんです」

 

お父さんが大甘だから、お母さんの寛子さんがカミナリオヤジみたいな存在なんだと笑う。息子さんたちは3人とも順調に、歌舞伎の道を精進している。

 

「敷かれたレールを進んでいるだけでは上達しませんからね。私も15歳から芸能界でお仕事をしていましたが、やはり好きだから続けられたし、歌でもお芝居でも好きだから上手になりたいと努力しました。でも息子たちが突然、やーめたなんて言い出すかもしれないと思ったんですね。それで夜、息子たちが寝付いてから、耳元で「歌舞伎なんてつまんないよ、F1のレーサーとかゴルファーとか、好きなことやったほうがいいよ」って囁いていました。好きなことをしちゃダメって言われると、やりたくなる心理を逆手にとって、イチかバチかの催眠療法作戦ですよー、はい全員に試しました(笑)」

 

ウケます、サイコーですね! 「それが効いたかどうかはわからないけど、3人とも本当に歌舞伎が好きですね。襲名披露の舞台のこともよく3人で話し合ったり、振りの確認をしたりしていました」

 

 

 

お米一日15合、肉は一度に2kg! 中華鍋、振り回してご飯を作ってきました

寛子さんはもっぱら健康面を支えているという。

 

「食事は男が4人ですから、肉食系になってしまいますねえ。私、中華の達人みたいに中華鍋振り回してご飯作ってきましたから。朝、お米10合炊いて3人のお弁当に6合か7合入れて、夜また5合とか炊いて子育てしてきました。お鍋をしましょうなんて時は、お肉を2Kgは買いますからね」

 

3人は歌舞伎の他に、スポーツも楽しみながら育ったという。 「主人の時代はケガでもしたら大変だと、激しいスポーツは禁じられていました。でもうちの息子たちには、さまざまな身体能力を身につけて欲しかったので、3人とも幼少期の、まだ歌舞伎のお役がつかない時期には、いろんなスポーツに挑戦させました。今でもゴルフはハワイに来ると必ずしています」

 

ハワイにはよく来られますか? 「家族全員ハワイ好きなので、子どもたちが小さい頃は学校のお休みにハワイに来て、ビーチでお相撲を取ったり、たくさんの思い出があります。歌舞伎のご縁もできたので、これからはもっと、公私ともにハワイを身近に感じられます。次に来られる日が待ち遠しいです」

 

(取材・文 奥山夏実)

 

(日刊サン 2019.04.13)