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森のイスキア主宰 佐藤初女さん

Bynikkansan

9月 23, 2011

悩みや問題を抱えた人を受け入れ、痛みを分かち合う場『森のイスキア」を主宰する佐藤初女さんがまたハワイに来てくれました。今回は「寄り添う、ということ」をテーマに9月17日 に講演が行われ、18日は初女さんの手料理を食べることができるという貴重な機会もありました。話を聴き•食事を作り・一緒に食べることで、多くの人を和ませてきた初女さんにお話しを伺いました。

ライター:相原光

 

 

言葉を超えた行動は魂に響く

森のイスキアでは食べることを大事にしています

よく 「活動を始めて何年になりますか」と聞かれるのですが 「やりたい」とか 「やります」ということから始まったのでなくて、毎日の生活の積み重ねが現在のようになりましたので、はっきり言えないんですよね。

 

「半世紀以上と言えばいいんじゃない?」と提案されまして、半世紀以上と答えるよう にしてからもう20年も経過しているんです。ですから、目立たないけれどずっと続いているんですね。命名したりというのは後 のことで、活動としては長い間続けてまいりました。

 

「活動」というのもよく問われるのですが、 私はこの時の答えにもためらうのです。というのは、活動といっても形にもなっていない し、またさりとて出来たものがあるわけでも ないので、どのように話したら理解していただけるかと、考えさせられます。

 

それでしばし 戸惑っておりますと 「では何もしてないんですか」と聞かれますが(笑)、そうでもないの で、はっきり一つだけ答えられるのは「食べ ることを大事にしています」ということです。

 

すると今度は「食べることは毎日3度のことで、何も特別なことをしなくても良いのでは ないですか」と思われがちなんですね。だか らそこでまた戸惑っていることが度々です。 形もないし出来たものではないけれど、 ずっと続いていて、訪ねてくる人も多くなっ ています。

 

ある時は団体のように大きいこともありますし、個人的なこともあります。ただの住宅なものですからだんだん狭くなっ て受け入れ難くなりました。それで皆さん が2階·2問を増築してくださいました。そ の時に記念と感謝を持って命名したのが 「弘前のイスキア」でした。

 

それから毎日記 録していたところ5年間に700名が訪ねてきました。あるとき取材の人にお話ししたら 「本当ですか?」と言われてしまいました。 それで私は 「そんなに信頼されないのなら書いておくこともない」と思って、それから 記録するのは止めて現在に至ります。

 

訪ねてくる人は苦しい人や悲しい人、家庭的な問題を抱えている人がほとんどです が、なんとなく休みたいという方もみえます。滞在期間にも決まりはなかったのです が、今は申し込みが多いのと家が小さいも ので予約制にしています。

 

特別なことはできませんが、誰かが訪ねてくるということは前もって分かっておりますから、食事の時間に すぐに出せるようなものを毎日準備してあ るんですよ。それを出して、一緒に食べるようにしています。そうすると、今まで話せな かった人も食べることによって話し出してきます。

 

そして 「おいしい」と感じたときにパッと表情が変わってくるんですね。そのときに 「今までの考えから変わった」と感じます。 私は講演などに出かけることも多いの で、出かける時は予約を取らないことにし ています。家にいる限りはお会いするように しています。

 

講演を始めて20年になりますから、ほとんどの県はまわっていると思います。 「森のイスキア」はNHKの文化 講座にもなっていて、これは日帰りなの で20人から30人まで受けています。こ の講座は青森県・岩手県・宮城県・福島県で開催され、大変盛んになっています が受け入れ態勢がないので悩んでいます。個人的な依頼も毎日のように入っていますが、それを全部は受け入れ難い状況ですね。

 

 

今は話したい人がたくさんいるけれども 聴く人がいない時代

訪ねてきた人にお会いして話を聴いていますが、取材では「ただ黙って座っているだけ」と書かれたりもしています。でもそんな ことはありません。自分の体験の一番近いところに置き換えて、自分の心の中を空っ ぽにして聴くように努めております。

 

私の考 えで答えたり諭したり、そういうことは一切 していません。その人が話すことをそのまま受け入れるようにしています。最後の答え も出していませんけれど、本人がちゃんと答えを持っているんですよ。 心を入れて聴いていると、話す人は 「受け入れてもらった」という気になるんですね。そこに信頼感が生まれます。話せるよう になってくるんですよ。

 

初めは食事まではできない、お茶も飲めなかった人が、話して受け入れてもらったことで親近感が出てくる からどんどん話します。どんどん話してくる のをこちらもそのまま受けとめていますと、 だんだん自分の考えが出てくるんですね。

 

自分の考えを持っていても自信がなくて話せないという人もいますので、そういう人も 自然に自分から話すようになってきますか ら、自分で納得した考えになります。それで 自分で納得しているから実践に移れるんですね。

 

お話しを聴く時間は様々です。1時間ぐらいと思っていてもそれ以上になる方が多いですね。今の世の中は話したい人がた<さ んいるんだけど、聴いてくれる人がいないんです。 「だから聴く人になってあげなければいけない」と河合隼雄先生がお元気な頃に話しておりました。本当にそう思う。

 

「会いたい」と毎日のように電話が入りますが、それは聴いてほしい人なんですよね。 「言葉では表せなくても、言葉を越えた行動は魂に響く」という気持ちが私にはあります。行動そのものも大きく働いていると思いますよ。例えば、お腹がすいていても心配事があって食べられないという人が、途中で食べさせてもらうことによって信頼が 出てくることがある。

 

だから言葉だけでは出来ないと私は思っています。 それから雰囲気というのも大きいですね。例えば、また河合先生のお話になりますが、対談を済ませたあとに河合先生が部屋の中をただ歩きながら「なんだろうなあ、 ここが普通と違うのはなんだろうなあ」と呟いていて、そして最後に 「信仰かなあ」と おっしゃいました。

 

そういう信仰の雰囲気 というのは言葉では表せませんからね。言葉で表せない行動や雰囲気も大きく働いていると思います。そしてそれは、私が「こう したい」と思うことではなく、自然なことな んですけどね。

 

私は20~30人分の料理の準備を夜に しなければならないことが多いのですが、 NHK教育テレビが取材された時、最初に 暗い街、電気の消えた道を車が適って私の 家に着くと、うちだけ電気がついていて私 が働いているという撮り方で表現したんですね。そういうのが「雰囲気で伝えている」 ことに思いました。

 

 

問題を抱えている人の多くは「食」がおろそかになっている

 

取材では 「食」について聞かれることが 多いですね。間題を抱えて訪ねてくる人の ほとんどが、正しい食事をとっていない。食 事がおろそかになっている人がほとんどな んですね。食べるということはお互いに信頼がないとできない。食べることで信頼が 出てくるし、交流も深くなります。

 

「食」というのは大変みなさんの関心と なっていますから、食に関しで悩んでいる 人もたくさんいらっしゃいます。「自分が扱 っている商品の効能書きには良いことばか り言いてあるのに、本当は良くないと知っているのは苦しい」という人。薬品会社に勤めている人や薬剤師も悩んでいる人が多いですよ。

 

「悪いことが良いことに書いてあっ て、それを調合しているのはつらい」と言うんですね。正しい食の仕事に移っていく人 もいますね。 子供さんの相談も多いですね。「学校に 行きたくない」、それが長く続いている。進学のときに両親と子供さんが一致しない場合、子供さんが大変苦しんでいるんですね。

 

最後は鬱のようになってしまい言葉も交わさず、親子でも心が通わなくなってい る時に両親の方が訪ねてきますね。子供さ んは引きこもってしまって出てこれないですから。簡単に食べられるものというのは市販さ れてますでしょう。やはり自分で作って食べ るということが行われていないようですね。

 

朝食を食べないで学校に行っている子が 多いんですね。最近は小学校からおむすび の講習を頼まれることがどんどん増えています。講習では作り方を教えて一緒に食べます。今の子供たちは家族でこ飯を食べる 機会が少ないんです。「孤食」の子が増えています。

 

忙しい忙しいで子供が犠牲になっ ているような気がします。 若い人はね「はっきり言ってくれる大人 がいない」とよく言っています。いつもどこ に行っても訪ねてくれる大学生くらいの男性5·6人のグループがいるのですが、「あな た方はいつも来てくれるので嬉しいです。でもどうして訪ねてくださるの」と聞いてみたら 「僕たちのことを受け入れてくれる人がい ない。はっきりした答えを自分たちが出せ ないから、大人にはっきり言ってほしい」と言っていました。

 

相談はいろいろありますが、話を進めていますと殆どと言っていい位原因は食にあ るので、正しい食事が行われているとこる には問題が起こらないし、問題が起きても正しい食事に帰った時は解決します。