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振付師/舞台芸術演出家/ ダンサー  Keiko Fujiiさん

Bynikkansan

11月 24, 2012

舞台を通してその時の思いをメッセージに変える

私はその時その時、今を生きている実感が多い人間だと思うんですね。たとえば湾岸戦争があった時に、カノンという作品を作りました。 あの戦争は宗教戦争でもあるんですが、遠い場所、日本と関係ないところでおきていることだからいいやというのではないんです。

 

あの戦争は決して自然災害なんかではなく、我々人間が起こしていることなんです。人間の心の持ち方で戦争は起こりうると思うんですね。 私たち人間をユニットで考えて行くと、一番小さいユニットは家族だと思うんです。そして地域社会があり、市や県、日本、アジアという大きなまとまりがあるんですが、そういった考えからすると、一番士台になるのが一人一人の個なんです。

 

その個が宇宙を構築していて、それら一人一人がし っかりしていないと世界は崩れていってしまうんです。個が崩れて戦争が起きること、これはワーニングだなって思ったんです。 それを元にカノンという、我々人間を風刺する作品を創り、日本とニューヨーク、リンカーンセンターで本公演を開催しました。

 

カノンの舞台では、空っぽの人間をイメージし、中身のない洋服を舞台につるしました。これは人間なんだけれども中身がないということを意味しています。 1万人の人間がいたけれども、それが人間に見えなかったから殺してしまった戦争をコンセプトにした舞台です。

 

一人殺したら犯罪だけれど、100万人殺したら英雄になるという、恐ろしい価値観も同じ人間が作り出しているように、どれだけ人間がバ カげているかということを訴えるための作品なんです。 他にはモノフォビア(孤独)という作品が あります。私自身も阪神、淡路大震災の被 災者で当時家に閉じ込められました。

 

私は大丈夫だったのですが、多くの人が、家の 中や瓦礫に閉じ込められて孤独恐怖症になりました。人間が持っている孤独には何種類かあるのですが、いい意味での孤独というのもあります。 たとえば、一人で山登りをして、頂上までたどりつき、深呼吸して気持ちがいいって言うのは、ソリチュードという、いい孤独です。

 

他には、独りになってどんどん落ち込んでいってしまい、最終的にうつ病になってしまう孤独。また、大勢の中にいて楽しいは ずなのに、一人孤立して、一人ぼっちになっているという錯覚に陥ってしまうのも孤独の一つだと思うんです。 そんないろんな種類の孤独を舞台で表 現したこともありました。

 

その時その時を生きていき、何年も積み重なってきた思いが、その時感じたことと重なって花開いて作品になっていくんです。なので舞台を作ることでメッセージを送ら させていただ<ことは、私の使命だと思っています。

 

 

自身も阪神、淡路大震災を経験し支援活動に参加

「Being」というタイトルは私がつけました。今回のハワイでのチャリティーコンサー トは「Being II ―ハワイスタイル」なんですが、最初の rseing」は、今から 17年前に行った、阪神、淡路大震災のチャリティーコ ンサートのタイトルでもあります。 その震災で亡くなられた多くに方、そして生き残った我々、みんなBeingなんですね。

 

そんな着目点から 「Being」って言うタイトルにしようって思い、チャリティーコンサートを立ち上げました。私のダンススタジオは兵庫県の尼崎市にあるのですが、そこへ通う生徒の多くは 神戸から通っています。

 

阪神、淡路大震災 があったとき、多くの生徒たちの自宅やご家族の家が倒壊し、たくさんの身近な人たちが亡くなられました。 私の家は神戸よりで、西宮というところなんですが、近くにある有馬温泉も含めて、 あのあたりはマグニチュード8.5だったんです。

 

大火災の起きた長田区のあたりは、マグ ニチュード8.8だったんですが、震災当日の 地震は縦揺れで、普段経験していたガラガ ラと揺れるのではなく、 「カン、カン、カン」つ て音が鳴って、経験したこともないような激しい揺れ方でした。大阪の南側にいた生徒たちの地域はあまり大きな被害はなく、比較的みんな元気だったんです。

 

なのでその元気な生徒たちと一緒に被害の大きかった地域に救援物資を運んだのですが、三宮の郊外に出来た診療所にたどりつくまでに、今にも倒れそうな斜めになったビルディングの脇を抜けていったり、突き上げられたアスファルトの道路を避けながら、延々と続<瓦礫の中を潜り抜けて行きました。

 

芦屋市の市民センターに非難されている方たちに炊き出しを持っていったことも ありましたが、本当にひどい有様でした。そんな中、私のスタジオは電気やガスは止ま ったものの、幸いにも大きな被害はなく、被 災された人たちの仮の住まいとして提供さ せていただきました。

 

私も被災者の一人だ ったのですが、被災者同士がんばって生きていこうと手を繋いで、復興のためにみんなで努力を重ねて来ましたが、完全に復興するまで16年かかったんです。そして今、東日本大震災から1年と8ヶ月が経過しました。両親をなくし、家もなくし、身寄りのない子供たちが政府の指定するところに身を寄せて生活しているなど、まだまだ悲惨な状態です。

 

今年の9月の地点の統計ですが、まだ34万3334人の人たちが避難生活を送っています。命からがら助かった人たちもたくさんいるというのに、 9,656人もの人たちが自殺をしました。 そんな現状であるにもかかわらず、あまり報道されなくなっているんですね。

 

多くの人たちの家が壊れたり、大事なものをなくしてしまったりしてショックを受けていると思うのですが、それよりも、目に見えないものがなくなってしまうのが一番怖いんです。目に見えないものとは、被災した方たちの心がポコポコ折れてしまうことです。

 

せっかく助かった命を自ら絶ってしまうのも、望みがなくなってしまう 「ホープレス」になってしまうことなんですよね。そのホープレスが積み重なって、自殺者を出してしまうと思うんです。こういうことこそ我々元気な人間が支えないと、どんどん倍増させていってしまうんです。

 

最初に震災の報道があった時に、ハワイ の人が一番にメッセージを送ってくださいました。さすがハワイだなって思いました。その後世界各地からサポートの声が上がり、たくさんの援助やサポートをしていただきましたが、最近ではあまり報道されることも少なくなり、また日本も自らメッセージ を送らないこともあって、日本はもう大丈夫だろうと思われているんでしょうね。

 

阪 神、淡路大震災ですら復興に16年かかったんです。今回の東日本大震災の時のような、津波も原発もなくて16年です。なのでたった1年と8ヶ月しか経っていない東日 本大震災の被災者の方たちには、まだまだ我々の支援が必要とされているんです。

 

昨年の10月、第一回目の東日本大震災 チャリティーコンサートとして、ケイコフジ イダンスカンパニー主催で、芦屋市にある芦屋ルナホールにて「Being II」を開催し、 全収益金を被災地へ送りました。

 

そして今 回日本領事館主催で「Being II ーハワイ スタイル」をハワイで開催しました。来年には、ニューヨークでもBeing IIが開催できるように動いています。