日刊サンWEB

過去記事サイト

加瀬邦彦&ザ・ワイルドワンズ

Bynikkansan

1月 27, 2012

ハワイでのレコーディングがきっかけとなり、活動が本格的に再開

-途中で解散されましたね。

加瀬

「そうですね、5年でグループサウンズ が駄目になってしまつて、フォークソングの 時代になり、これ以上引っぱっていくよりは 皆まだ若いのだから違うことをやった方が いいと思い、1971年に解散しました。それ からそれぞれ別のことをしていました」

 

ーその問もずっと友情は続いていたので すか?

植田

「ずっとですね。例えば加瀬さんの友 達の結婚式で“ ちよっと演奏してくれな い?”と頼まれたり。そういう形で一年に何度かは会っていて、それがずっと続いてい ました」

 

加瀬

「結局解散して10年後の1981年に、 有楽町の日劇が取り壊されることになり最後のウェスタンカーニバルが開かれて、平尾正晃さんや山下敬二郎さんの代からワイ ルドワンズも含めてみんなが出演しました。

 

その頃はサザンオールスターズが流行っ ていて、サーフアーや海というのがキーワー ドになっていたので、レコード会社から”ワイルドワンズは今の時代に合っているからレ コードを出しませんか?”というお話を頂きました。

 

それで、ハワイでレコーディングをさ せてくれるならやりますよと答えたところ、ある会社がレコーディングの費用をすべて負担してくれることになりまして、それでハワイ でレコーディングすることになりました」

 

 

-それが最初のハワイですか?

加瀬

「いいえ、 1970年に加山雄三さんと 一緒にチェリーブロッサム ・フェスティバル に来たのが最初です。ハワイ島のヒロとマウイ島でもコンサートを行いました」

 

植田

「学校の講堂をお借りしたりしてね。ホノルルではHIC(現ブレイズデルホール)で演奏しました。エルビスが出演したところです。最初は加瀬さんのおかげですが、ワイルドワ ンズは皆それぞれハワイと縁がありますね」

 

ー島さんはロマンスがあったそうですね?

島 

「1970年にハワイに来た時に知り合い まして、ひと目惚れして交際を申し込みまして、2ヶ月後くらいにすぐ戻ってきたりしました。その後何年かお互いに行ったり来たりしていて、本当に結婚したいなと思い加 瀬さんに "結婚します”と報告したとたんに ワイルドワンズが解散することになってしまいました(笑)。

 

生活が不安になりますから、少し待とうかと言っているうちに自然消滅してしまったんです。 でも彼女と知り合ったおかげでハワイが大好きになりましたね。自分もハワイの人 になりたいなという気持ちもありました。彼女とは今でも良い友人です」

 

 

-ハワイでのレコーディングは1980年?

植田

「そうです。サーフライダーに 10日ほど泊まって“オン・ザ・ビーチ”というアルバムを作りました。ハワイの空気がすごく良くて、録音にも雰囲気があるからアコーステ ィックな楽器を使いましたね」

 

「あのスタジオはすごく良かったね。チュ ーブもあのスタジオ使ったそうですよ」

 

鳥塚

「あの頃あのスタジオはけっこう重要な場所だったんですよ。本当に面白いス夕ジオだった。スタジオは録音しているから 他の音が入っちゃいけないのに、我々がレーディングしている部屋の壁に電話器が架かっているんですよ。電話が鳴ったらどう するのかなあと思ったけれど、ハワイではこ ういう文化なのかなと(笑)」

 

植田

「ガラスの向こう側で皆がチキンラ一メンなんかを作っていて、マルチトラックで 録っているから‘‘ガサガサ、ゴー ツ ”というラ 一メンを作る音が録音されてしまっているんですよ。いろんな想い出があってすごく面白かったですね。 あのアルバムをきっかけにまた本格的に 活動が再開しました。最初は加瀬さんの提案で夏だけなど期間限定でしたが、次第に 忙しくなってきでありがたいですね」

 

加瀬

「ハワイは癒される、ほっとできる場 所。いつもここで栄養を摂っています。去年 は3回来ましたし、だいたい一年に2回は必 ず来ていますね」

 

植田

「僕はハワイは15回くらいですね。ダ イビングをしているので、ハワイに来たら必 ず潜ります。ダイビングはもう25年やって います」

 

鳥塚

「20年くらい前、子供が小さい時にハイに来た時は、“ペリカン”という人力車があったんですよ。子供と一緒に乗ってい ると、車道から歩道に乗り上げたりと冒険をしてくれるんです。それが子供に非常に 受けて、来る度にせがまれました」

 

「僕は独身時代から合わせると20回くらい来てますね。新婚旅行もハワイでした」

 

 

ジュリーwithザ・ワイルドワンズ

―2009年に 「ジュリーwithザ・ワイルドワンズ」として「渚でシャララ」をリリースしています。とても素敵な曲でしたね。

加瀬

「NHKに出演した映像が、ハワイでも放映されたみたいですよ。去年の9月にハワ イに来た時に”見ました"と何人かに言われ ました」

 

 

-加瀬さんは沢田研二さんのプロデュー サーとしても有名ですが、プロテュースはワイルドワンズを解散してから始めたので しょうか?

加瀬

「そうです。プロデュースと作曲は13 年間やりました」

 

 

-沢田さんとのお仕事で一番印象に残っ ていることは?

加瀬

「ヨ ーロッパでレコードを出したことで すね。二人でヨーロッパに行って、パリやロ ンドンでレコーディングしました。フランス語で歌うのが大変でしたね。フランス語は 難しくて、ちよっとでも発音が違うとフラン ス人から駄目と言われてしまい、何回もやり直しました。一回OKが出てロンドンに行 ったのに、またパリに戻ってやり直しして、 あれは一番つらかったですね。ドイツやベ ルギーなども二人でプロモーションで回っ たのも大変でした。レコードはヨ ーロッパで4位になったので、とりあえず良かったです。

 

-ワイルドワンズと沢田さんが一緒に歌う という企画はどこから?

加瀬

「僕たちは2006年に結成40周年記念 として初めて武道館コンサートを行いました。その時にジュリーにゲストで出て頂いて “ もしもジュリーがワイルドワンズのメンバー だったら?”というコーナ一を作って30分ほどメドレーを披露したのですが、それがすごく良かったので、一度本格的にジュリーと一 緒にやってみたいなと思っていました。

 

その2年後にジュリーが還暦になり、東京 ドームと京セラドームで記念コンサートを開 催して、6時間半くらいで80曲歌い続けたん です。すごいな、よくやったなと思いました。ス テージでの“僕は夢を見ません。皆さんが僕 に夢を見させてくれるおかげで今の僕がある のです"という言葉がとても印象的でした。

 

数日後にジュリーと食事をした時に”もっ と夢を見させてあげるよ。CDを出してオリコ ンで1位を取ろう"と提案したんです。“そんなことどうやって?”“ワイルドワンズとコラボで やればいいんだよ”というところから話が始 まって、CDを作って全国ツアーを行うことに なったんです。すごく楽しかったですよ」