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中卒、借金、ホームレス…人との出会いに救われた若きエステティシャン

上田佳史(うえだよしふみ)
1985年12月17日生まれ 広島市出身東京都在住 (株)LDY社長兼エステティシャン 有名化粧品会社でエステティシャンとして勤務後、独立。「ジャルダンスクレ」を開業。現在は日本にとどまらず世界で活躍する出張エステティシャン。今年の10月に新会社を設立。ますます活躍の幅を広げている。 [email protected]

 

 

「僕が人に救われて生きてきたので、今度は僕が人を救えるようになりたい」。こう語るのは、ハワイで一ヶ月間ロミロミを学びにやってきた上田佳史さん(30)。16歳のとき、歌手になる夢を叶えるため、広島から東京へ上京。19歳でデュオを組むも、デュオの相方が病気で他界。夢を失った上田さんを待ち受けていたものは、借金の山だった。一時はホームレス生活を余儀なくされていたこともあるという。バーテンダーの仕事をしつつ、そこで一人のお客さんと出会った。それが縁となり、エステティシャンを目指すことに。「人に支えらえて、今の自分がある」。紆余曲折の人生だったが、いつもそこには人の助けがあった。25歳の若さにして表参道のエステ店を開業したイケメンエステティシャンを日刊サンが独占インタビューした。

 

歌手になるために…

上田さんは、広島で生まれた。小さい頃から音楽に精通し、マライアキャリーのような歌手になることが夢だった。反対する両親を手紙と話し合いで押し切って、高校進学をせず16歳で東京に上京した。厳しい戦いがここから始まる。

音楽番組「ハモネプ」のオーディションに応募するも落選。共に歌手を目指したメンバー達は、それぞれの別の進路を歩むため解散。それでも諦めきれない上田さんはボーカルユニットを組み、東京のクラブで夜な夜な歌う日々を送る。その後もあらゆるオーディションを受け続けたがうまくいかず、世の中には上には上がいることを痛感した。

失敗の日々に傷つき、一度広島に帰ることを決断。そこで出会った一人のボイストレーナーにより、音楽を通し、一から自分自身を鍛えられ、再び東京に出て歌手を目指すことを決意する。この先生から教えられた「謙虚でありなさい」という言葉は、その後ずっと上田さんの人生のモットーになっているという。

 

東京に戻った上田さん。しかし、現実はそう甘くはない。 19歳の時にデュオを結成し、夢に向かって進むものの、なかなか努力は報われず悔しい日々は続いた。そんな矢先、デュオを組んだ相方が子宮頸ガンを発症。半年で他界してしまう。相方の死は、全てに対する気力を失わせ、ずっと夢だったはずの歌手を目指すことが、自己満足であるのではないかと自己懐疑に苛まれる。結局、歌手という夢を諦めた。

 

これまで歌手になるために投資してきたお金は馬鹿にならなかった。バーテンダーのアルバイトの費用だけでは生活していくことができなくなり、ついにホームレスとなる。「ホームレス生活をしていると、三日でぐちゃぐちゃになるんです。夏だと、自分の臭いにも気がつかないほど。これが今だったらどうするのかと考えることがありますね。あれは若かったからできたんだなあと。無我夢中で、家なんていらないって思っていました」。当時の経験をこう語る。今回ハワイで一人のホームレスと出会った時、上田さんは思わず声をかけたという。「僕もその気持ちがわかるし、立ち直れなかったら一生ホームレスだということがわかっているから、つたない英語で、何をしてきたのか、何をしているのかをちょっと聞いたんです。そしたら、『今が一番楽しい』と言ったんですよ、その方は。それもすごいなと思いました」。

 

バーテンダーで生計を立てる日々。 そこでエステティシャンという職業に出会う…

その後は、技術職の正社員として3年間働いた。だが、生活費や家賃がかさみ、借金を抱える。借金は雪だるま式にどんどん増えていった。最終的に600万円まで膨らんだという。返済に追われ、バーテンダーの仕事に戻ることにした。ギリギリの生活を送っていた中で、ある美容関係の仕事をしているお客さんと運命的な出会いをする。「その方が、君にはエステティシャンとしての才能があると仰って、僕の借金の肩代わりをすると言ってくれたんです。さすがに、『それはできません』とお断りし自己破産しました。そうしたら、『君は一体何をしたいんだ!』と怒られたんです」。しかし、その男性との出会いにより上田さんは、自分の可能性、自分にしかできないことがあることを知った。彼の好意に感謝し期待に応えるべく、資金援助を受け入れ、エステスクールに通うことを決めた。その後はトントン拍子に人生が進んだ。上田さんは人を癒すことのできるエステティシャンという職業に喜びを覚え、そのまま資格を取得。スクール会社が経営するサロンで3年間働くことが決まった。

「僕は人の縁で生きている。人に支えられ、助けられている」感謝の想いでいっぱいだった。

 

25歳のときには、東京の表参道に自分で店をオープンさせることができた。しかし、経営者として店を運営するということは想像以上に過酷だった。1年半ほどでお店を閉めることになったが、その後は出張エステティシャンとして活躍し、現在に至る。出張エステにしてからは、お客さんもどんどん増えたという。「現在のお客さんは海外出張をする方が多いので、ご指名で付き添いをさせていただくこともあります。会社経営のご夫婦が多いですね。自分は(マッサージ以外は)何もせず、ボーっとした感じなので、楽なのかもしれないですね(笑)」。

 

これまでの人生を振り返って、今後の夢…

「転がされながら、25歳を超えた今、30歳。ようやくスタートラインに立てた感じがします」。10代にしてホームレス生活や借金など波乱万丈な人生を送った上田さん。25歳で思い切って開業した理由の一つは、さんざん心配をかけた両親に自分が独り立ちした姿を見せたいということだった。その時に、父親とようやくお酒を飲んで語り合えた。それが、嬉しかったという。

エステティシャンとしての苦労は何かと聞くと、エステティシャンは女性のイメージが強いところだという。「女性のお客様が多いので、女性のエステティシャンは、女同士なので安心して心を開くことができる。例えば、身体的な悩み相談もしやすいですよね。僕も聞くことはできるけど、やはり理解できない部分が出てきてしまう」。しかしその分、より一層の努力を欠かさないのが上田さんだ。お客さんとの会話、身だしなみの変化なども細かくカルテに書き、お客さんの情報はすべて記憶する。

今回習得したロミロミと、これまで行ってきたリンパマッサージを融合させたオリジナルメニューをつくりたいと意気込む。「ロミロミって言葉を知っている人は多いけど、実際体験された方は少ない。まずは受けてもらいたい。感想を聞いて、そこからメニューを作成していくつもり」と。お客様に対する熱意が溢れていた。

 

若くして、自らの夢を追うために敷かれた「レール」の上を歩まなかった彼の人生は波乱に満ちたものだった。ボイストレーナーに教えられた「謙虚でありなさい」という言葉の通り、へりくだり、人を思いやる姿勢こそが、彼が人に支えられる一因になっているのだろう。インタビューを通し、彼の口から度々発せられたのは「人に助けられて」という言葉だった。 最後に上田さんの夢を聞くと「僕が人に救われて生きてきたので、今度は僕が人を救えるようになりたい。自分にコンプレックスを持っている若い人、僕みたいに学歴もなくて悔しい思いをしたり、家庭環境とかで傷つき、将来に希望がない人たちを救いたいです」と力強く語った。

 

今回、上田さんがロミロミ研修を受けたスクールは、Healing Academy Hawaii。オーナーの石川香さんは、テレビでも有名な、銀座で奇跡を起こしたと言われるあのブスママ。著書には「ブスの『力』」「ブスママが明かすビジネスの成功法則」がある。香さんいわく上田さんは、「人たらし」。「ズバ抜けた才能は天性のもので、彼には人を惹きつける能力があり、会った人は男女問わず虜にする人」だという。

HEALING ACADEMY HAWAII  Tel: 808-941-4243 1750 Kalakaua Ave., #3601 (センチュリーセンター36階)

 

【取材を終えて】

日本にはとりあえず大学に進学し、就職をする。皆と足並みをそろえるという決められた「レール」があるように感じます。上田さんはご自身には学歴コンプレックスがあると語っていましたが、むしろそれは、「レール」の上を歩まない勇気ある行動の勲章といえるのではないでしょうか。会話の端々に必ず、「僕は人に助けられて、人に救われてきた」と度々おっしゃっていたのは、上田さんの人の良さからくるものだと感じました。初めて訪れたハワイの地で、時差ボケでぼーっとしている私にすぐに気がつき、気さくな会話で、場を和ませてくださった上田さん。上田さんのプライベードで好きな瞬間は、友達と過ごすことだそう。友達の成功は、どんな小さなことでも嬉しいし、それを喜べるようになった自分がいるとおっしゃっていました。それができるのは、苦労した過去があるからだと。常に感謝の心と思いやりを忘れない上田さんに、誰もが一瞬にして引き込まれていくのだろうと思います。  

今回の取材を通し、「人はそれぞれ必ず輝くところを持っている」という意味を改めて知ることができたように思います。今後、様々な人と出会うと思いますが、お会いする人それぞれの可能性を引き出せるような記者になれるよう、一生懸命がんばろうと思います。お忙しい中インタビューに応じてくださった上田さん、サポートしてくださった日刊サンの方々に心から感謝いたします。

 

インタビュアー 安川郁

1992年埼玉県生まれ。早稲田大学院ジャーナリズムコースに在籍。日刊サンでインターンシップ中。大学時代から、アメリカ合衆国におけるマイノリティー研究に関心を持つ。修士論文では、アメリカ合衆国におけるソーシャルメディアと市民参加の影響について予定している。

 

(日刊サン 2015. 9. 18)