日刊サンWEB

過去記事サイト

サッカー選手(コロラド・ラピッズ) 木村光佑さん

Bynikkansan

3月 9, 2012

勝っていても負けていても一瞬一瞬を大切に、全身全霊を込めてプレ一をする

僕が信念を持ってこうしてやってこれたのは、やはり両親の影響が大きいと思います。 両親は二人とも幼稚園の先生です。父にはけっこう厳しく育てられたと思います。母は大らかで自然体な人。二人ともいつでもサポートしてくれました。

 

それから、僕が通っていた和光学園はとても独特な教育方針を持っている学校です。例えば、方程式を教える時は、 「この方程式は何を述べるために作られたのか?それには絶対理由があるはずです。その理由を自分なりに調べて考えてレポートを提出しなさい」というところから始まります。

 

何をするにも 「理由」があるのだから、その理由が分かっていなければ本当の学力にはならない。そういう学校だったので、考える力を身に付けることができましたね。

 

僕はフロンターレユースのチームメイトたちのようにサッカーの英才教育を受けていないんです。僕は誰よりも走れるし根性もあるけれど、技術のレベルが全然違いました。でもアシスタントコーチは僕のことをとても評価してくれました。

 

「誰に何を言われても、お前の努力があれば何でもできる。技術が劣っていようが、お前の気持ちは誰にも変えられないし、お前の気持ちを伝えることでチームにも良い影響を与えることができる。だからお前はこのチームにいるんだ。それがお前の強さであり、上手さなんだ。お前はそれだけを伸ばせ、そうすればどこに行っても絶対に成功する」と言ってくれました。

 

僕がアメリカに行くと決めた時も 「お前は絶対に成功すると保証するから、壁があ っても突き進んで倒れるまでやってこい」と言ってくれました。プロになった時もすぐに連絡したら、泣いて喜んでくれて。いい人に出会えて本当に良かったと思います。

 

そうした今まで僕の人生に関わって支えてくれた人たちのおかげで今の自分があるわけですから、感謝の気持ちを忘れないよ うにしたいですね。そしてこれからは逆の立 場になって若い人たちに影響を与えたい。

 

父は今でも厳しいですよ。僕の試合を見ては色んなことをデータ化して 「もっとこうした方がいい」とアドバイスをしてくれます。母はその横で「好きにやればいいのよ」と言 っています(笑)。

 

父は限界を作らないんですよ。MLSで活躍していても、もっと活躍すれば日本代表にもつながるし、もっと強いクラブチームに入ることも出来ると考えている。僕も限界を作らずに、常に向上心を持っています。

 

プロになるとある程度 「ここまで」というラインが分かってくる。でも 「まだまだ上手くなれる」という気持ちがなくなったら、それは引退をする時だと僕は思います。 「上手くなるにはどうすればいいか?」をいつも考えています。

 

どんな仕事も同じだと思いますが、慣れてきて落ち着くと 「これでいい ゃ」となってしまう。プロスポ一ツでそれをやってしまうと絶対に長く生き残れない。どんどん若い人が入ってきますから、経験があっても身体能力で抜かされてしまいます。

 

そこよりも上に行くには、自分がある程度上に行っていても、もうーつ上に、もうーつ上にと常に思っていないと、プロのプロにはなれないと思うんです。

 

僕のポジションは右サイドで、敵を抜いて前線に上がり、ボールを中に入れる練習をよくやります。サッカーをしていてそれが一番楽しめる瞬間でもあり、それが得点に繋がると良く出来たと思える。

 

たまたまいいパスが出たら 「ああいいパスだな」と思う 人が多いと思いますが、それは僕にとっては調子が良くないんです。自分が思っているところに蹴って、思っているところに飛んで、結果が出ないと調子が良いとは言えません 。

 

そのことを練習でも試合でもとても意識しています。自分が意図したプレ一をして、それが結果を出す時をイメージする よう心がけています。

 

努力にも方向性が必要だと思います。才能があっても努力しないと何もならない。ただサッカーをするのではなく、どうやってサッカ一をするのか?サッカーもひとつの武士道だと僕は思っています。

 

サッカーを通して色々学ぶことができる。今まで見えなかったことが見えるようになる。いっでも違う発見があり、新鮮感もある。プロに行けなくても一つの道に執恙してやり続けること1こよって、自分の考える力が生まれてくると思う。考える力を伸ばさないと何をや っても駄目だと思う。

 

 

プロになれなくても考える力を次のステップにつなげて欲しいですね。 見に来てくれる人たちに何を伝えたいのかって大事だと思うんです。僕は勝っていても負けていても一瞬一瞬を大切に、全身全 霊を込めてプレ一をすることを心がけています。

 

「光佑のプレ一を見ていると勇気がわく」と言ってもらえたら、これ以上嬉しいことはないですね。

 

 


木村光佑(きむらこうすけ)

兵庫県出身。小学1年生の時、お兄さんの影誓でサッカ 一をはじめ、小中とサッカ一部で活躍。高校生時代には川崎フロンターレユースに入団し、全国ユース大会でもベス 卜16に入るほどその才能を発揮する。ところが、怪我が元 でトップチームとの契約が破算。スポ一ツトレーナーの必 要性を痛感し進学したアメリカ・ウエスタンイリノイ大学 で「強くて速い」といわれるアメリカのサッカーと出会う。 大学の一部リーグでの実力が認められ、2007年にMLS (Major League Soccer) の「コロラド・ラピッズ」にドラフト指名、その後合宿を経てチームと本契約。

 

1年目から頭角を現し、2008年シーズンには18試合に出場、チームの主軸となる。2009年プロ初ゴールを決め、MLS史上初の日本人選手による得点を記録。2010年23試合に出場し、日本人として初めてプレーオフに進出。イースタン・カンファレンス・チャンピオンシップでは決勝点を記録、MVPを獲得し、チームをMLSカップに導いた。迎えたMLSカップでFCダラスを破り、全米制覇を達成。日本人選手として初めてMLSカップを獲得した。セントラルパシフィックバンク名誉会長・齋藤譲ー氏は伯父にあたる。


 

 

 

(日刊サン 2012.03.09)