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【インタビュー 輝く人】スターツ・インターナショナル・ハワイ代表 畑 華子さん

海外で働きたいという夢を持ってスターツに就職。優秀な営業成績を収め、入社3年でハワイに赴任し、20代半ばで代表となる。アメリカで不動産業に携わることの厳しさを体感し、「まずは自分自身が頑張ること」と次々に不動産の免許、MBAを取得し、会社の成長に貢献。結婚、子育てを経て、スターツ・インターナショナル・ハワイがハワイ進出31周年を迎える今も全力で走り続ける、輝く人。

(このインタビューは日刊サンに2014年2月に掲載されたものです)

 

会社というより、まずは自分が頑張ることが大切

畑 華子(はた・はなこ)
東京都小平市生まれ。7人兄弟の3番目。青山学院文学部英米文学科卒業。90年、スターツ株式会社(現:スターツコーポレーション株式会社)入社。資産運用部で営業担当に。宅地建物取引主任者免許取得。93年、優秀営業マン賞を受賞後、Starts International Hawaii, Incへ異動、ハワイ赴任。同年、ハワイ州不動産セールスパーソン免許取得。96年に日本人女性として最短期間、最年少でハワイ州不動産ブローカー免許取得。現地責任者に。97年ロサンゼルス現地法人の責任者も兼務。社会人MBA取得。02年に台湾人と結婚。さらに、スターツの海外進出として2004年グアム、06年のニューヨークも成功させる。04年、地元紙Pacific Business News主催の“40 under 40”(40歳以下ビジネスマン40人)に選ばれ、州知事から表彰を受ける。現在、3児の母。

 

「海外で働きたい」という夢

もともと不動産業界に就職しようと決めていたわけではなく、青山学院大学時代に英米学科だったということもあり、海外には興味がありました。就職活動をするにあたって、海外に接点がある会社がいいと思い、旅行会社も見ましたが、旅行は好きなのでサービスしてもらう立場にいたほうがいいなと感じました。そうした中で、開発や不動産という言葉が気になるようになり、不動産業に惹かれていきました。長期スパンと短期スパンの仕事を同時に自分で身につけられるような感じがしたからです。  

当時のスターツがそれほど大きな規模ではなかったのもよかったですね。大手企業に入って新聞で自分の会社が何をやっているかを知るというのは嫌でした。それから、採用前にスターツのトップ3(当時)に会う機会もあり、現在の村石久二代表取締役会長兼グループCEOらが、学生がピントの合わない質問をしてもその目線になって返してくれたのが印象的でした。トップの人が魅力的な会社はおもしろそうだなと思いました。  

入社後は東京の葛西にあった当時の本社で3年間、資産運用部で営業を担当。まだ自分に何ができるのかがわからない中、たまたま配属された部署で所得税や相続税対策の不動案相談・販売をしていました。  

「新人です。よろしくお願いします」という初心者マークを胸につけて、いきなり一人で営業に行くという毎日。90年の入社直後バブルが音を立てて弾けていくのが聞こえるというような社会人スタートの日々でした。 人と会って、話を聞いてもらうという営業職は、自分にとっての挑戦でした。すごく辛い時期ではありましたが、なんとか頑張って成果を出していました。  

与えられたことは一生懸命やるタイプなので、試行錯誤しながら、とにかく夢中に働いていました。不動産というのはいろいろなケースがあって、どんなに勉強しても知識が足りず、完璧がない世界。お客様のために知りたい、知らなくてはならないという思いで、税理士さんや保険業者の方、上司などを捕まえては質問をしていましたね。  

93年に社内の優秀営業マン賞を受賞したころ、ふと「私は海外に行きたかったんじゃなかった?」と思い、転職も含めて考える時期に来ていました。ちょうどそのときに社内のエレベーターで村石会長に会ったんです。そこで「独身時代に一度海外で働いてみたいという夢があって、それを叶えてくれる会社だと思ったからスターツに入ったんです。いつ海外に行けるんですか?」と直談判。結果、営業として成果を出していたこともあったのかもしれませんが、希望が通って、ハワイへの赴任が決まりました。  

ハワイと聞いて、私としては3年間相当頑張って優秀営業マン賞ももらっていたので、「ここで一息できるのかな」なんて思いました。しかし、実はハワイで知っていることといえばホノルルマラソンだけ。もちろん行ったこともありませんでした。

日米ビジネス会議で、ご逝去前年のダニエル・イノウエ上院議員と

 

日本と大きく違うアメリカの不動産業

ハワイはカジュアルなイメージがありましたが、不動産業という面で見れば非常に厳しいプロフェッショナルな世界。まず感じたのは、たくさん勉強しなくてはならないということでした。例えば、日本では宅地建物取引主任者免許(以下、宅建)の保有者は5人に1人でよいのですが、ハワイでは免許がないと不動産について何も説明してはいけないのです。一人ひとりが不動産業のプロという世界で、日本とは感覚が全く違いました。日本で宅建の免許は取得していたのですが、ハワイでは不動産免許がないと仕事にならないこと知り、ハワイに来て3カ月以内に免許を取ろうと決め、すぐにハワイ州不動産セールスパーソン免許を取得しました。  

ハワイに来てからすぐにやらなくてはいけないことがあったので、遊ぶ余裕はありませんでした。プロ意識だけは強かったんです。若かったので「舐められちゃいけない」という気持ちもありました。  

不動産セールスパーソン免許取得後に、2年間の経験がないと取得できない不動産会社の総合責任者の証であるハワイ州不動産ブローカー免許を取りました。96年のことで、ハワイの日本人では最短期間、最年少での取得だったようです。  

男性の多かった日本の不動産業界に比べて、ハワイは女性が多いと感じました。当時、ハワイでスターツは知られていませんでしたが、まずは会社を大きくするというより、畑華子がプロにならないと会社にも貢献できないんだということを知りました。アメリカでは自分、本人なんですよね。

ハワイ最初の家族、14年連れ添った愛犬Kuroと

 

20代半ばで代表に。精一杯背伸びをした

ハワイに来て以降、インターネットの時代になっていったので、日本から孤立するという感じはありませんでしたが、それでも「このままハワイにいていいのだろうか?」と考えたこともありました。なんとなく日本から取り残されるような感覚もあり、何もかも順調なようで、不安を覚えるところがあったのも事実です。  

ハワイに赴任後1年くらいで代表というポジションにつきました。まだ27、28歳で何も知らなかったころ。高いヒールを無理して履き、よちよち見栄を張って歩いているという感じでした。自分の未熟さをひしと感じることがいっぱいありましたね。アメリカ社会のエグゼクティブたちと話をすると、英語力のなさということより、土台が違う。これで私が代表というのはおかしいなと感じていました。  

身の丈ではない地位に背伸びしなければならなかったときに、「舞台が人をつくる」という言葉を聞いて、せっかく舞台があるなら自分が見合う舞台にすれはよい、思ったんです。そのためには日本のスターツに頼るというより、ハワイのスターツ代表だからこそ、自分が実力をつけなくてはならないと。アメリカ人と対等に、とはいかなくても、自分で舞台底を5センチくらい上げて、8センチのハイヒールから3センチくらいのヒールで話すようになれたら楽だろうなと思いました。  

そんなときにエグゼクティブが持っているMBAというタイトルが気になり出しました。そういう学位って必要なのかなと。私の英語力では難しいし、時間がないと思いながらも、ハワイ大学の先生が週末だけの社会人クラスもあると教えて下さったので、約2年間通ってMBA(経営修士号)課程を卒業。本当に辛かったけれど、挑戦してよかったと思っています。社会人MBAクラスだったので、入ってみたら私よりも年上の方が大半。「アメリカ人はいくつになっても学ぶんだ。私は遅いどころか、まだまだじゃない」と思えましたし、そのときの人脈は私の宝になっています。

ハワイ大学修士号の卒業式

 

今、仕事をしていく上で大切にしていることは「等身大でいること」です。精一杯背伸びをしていたときから少しずつ経験を重ね、それなりに力がついてきましたが、まだまだ足りないところもあります。今は、自分は自分。できないこともあると認められるようになりましたね。

 

アメリカに恩返しをしたい

こうしてアメリカで働くようになったきっかけは、学生時代にロサンゼルスでホームステイをしたことでした。7人兄弟の子宝貧乏家族の中で育ったので、旅行すらなく、海外旅行なんて夢の環境でしたが、大学3年生の夏、アルバイトで貯めたお金で、初めて飛行機に乗って行ったのがロサンゼルス。せっかく行くのなら現地での生活を体験してみたいと思ったのです。ホームステイの家族に恵まれた1カ月間でした。彼らとは今も連絡を取っていて、ハワイにも遊びに来てくれているんですよ。  

ホームステイのときの印象やアメリカでお世話になったという想いが今の仕事にすごくつながっています。なぜ、なんの義理もない小娘の私にこれほど親切にしてくれるのだろうという素朴な疑問があって、「アメリカに恩返しをしたい」という気持ちから今があるのです。  

一方で、日本人として日本の役に立つ仕事がしたいと思っています。ハワイでの不動産の仕事は、人を通じてアメリカと日本を結びつける仕事。自分がこうなりたいというのではなく、両方の国の役に立ちたい、期待を裏切ってはいけないと思って仕事をしています。  

不動産は長いお付き合いです。一度お世話した方がいらっしゃって、今度は娘さんが買うなど、世代を超えたお付き合いになります。自分に携わっている人がステップアップして成功していくのを目にするのは嬉しいですね。  

お金や資産ということなので、信用が大事になり、人生の大きな場面でお付き合いする仕事です。今ではお客様のお子さんが私の子どもと同じ世代になってきて、学校のことなどを情報交換したりもしています。  

どんなことであれ、私の英語力とハワイ在住ということで何かお客様のお役に立てばと思っています。それがサービス精神なのか、おもてなしなのかわかりませんが、スターツはみんな「出会った人のお役に立ちたい」という気持ちを持っています。

 

日本の人口減少に責任!?  週末に出産!

02年に結婚をし、子どもができて、こうして仕事を続けて来られたのはハワイだからだと思います。日本だったら通勤だけでも大変ですよね。まさか自分が仕事と両立できると思っていませんでした。  ずっと子どもがほしいと思っていたのですが、子どもできたときに仕事をすぐに辞めるということは考えませんでした。子育ては大変ですよ。でも「1人だったら2人の方が楽だよ」と言われて、22ヶ月違いで2人目を出産しました。  

一男一女で落ち着いていた06年、「日本人の人口減少」というニュース記事を読んで、責任を感じてしまったんです。夫は台湾人ですから、純粋な日本人の人口という意味では出生率に達していないのではないかと思い、「日本人の減少人口に荷担しているほうなのかな」と大げさに考えてしまって。健康で経済的にも子どもを育てられるなら、「今やらなければならないのは子どもを生むことかな」と思ったんです。仕事はいつでもできるかもしれないと(笑)。  

2人を生んでも相変わらず仕事を続けていたのですが、3人目を生むのなら「双子か三つ子を産むしかない!」と思いました。これでみんなを納得して辞められるかもしれないと。本気でどうしたら双子や三つ子が産めるのかと調べたんですよ。これで引退できるだろうと考えた時期でした。  

07年3月3日に男の子が生まれました。双子ではありませんでしたね。7日が予定日だったのですが、上の2人の子どもは出産日が遅れたので、3人目も遅れると思っていて、2日金曜の夕方6時まで働いていたところ、翌日の土曜日に出産。月曜日に銀行の方にアポイントを入れてしまっていたので、結局その方が事務所ではなくてカピオラニ病院に来てくれました。仕事が忙しいから週末に産んじゃった、なんて言われています(笑)。  

引退計画を実現できるどころか、リズムを崩せないくらい仕事があり、しかもインターネットの時代だから、「できない」というエクスキューズもできなくて、今に至っていますね。

長男と一緒にホノルルマラソン完走2回目。5時間8分

 

女性だからできるマルチタスク

仕事と子育てをするようになって、なんとか両立できるものだと感じました。もちろん一生懸命考えるときもありますが、深刻になりすぎずに、なんとかなると思うことも大切です。  

これは家庭を持ったからわかったことです。あのまま仕事をしていたら、もっと完璧にしなくてはと自分を追い込んでしまってカリカリしていたかもしれません。やはり子どもがいると切らなくてはならない場面がいっぱい出てきて、これ以上考える時間がなくなって、こっちを振り向かなくてはならなくなる。だから切り捨てられるというのでしょうか。  

種類が違う忙しさがあるというのはいいことです。子育てに限らず、二足のわらじを履いている方はハワイにたくさんいらっしゃいますが、振り返れない時間があったほうがいいと思います。そうでないと永遠に時間を費やしてしまうから。一生懸命やることは大切ですが、どれだけ長くやったかではない。子どもができたおかげでますます集中力がついたと感じます。  

子育てするようになって、女性はマルチタスクができる生き物だと実感しました。必死なときは、おっぱいをあげながら、Eメールをしながら、電話に出るというようなことができてしまうんです。女性は違う脳や機能を使いながらできる。ほかの社員を見ていてもそう思います。器用不器用にかかわらず、女性のすばらしい能力です。  

ひとつひとつ完璧にとか、ひとつ終わってからでないと次にいけないなどと言っていると永遠にできません。「8割でよしとしよう」という自分がだんだんできてくる。それも人生でありかなと。私に今ある時間の中でベストを尽くそうと思っています。  

今は、子どもとの他愛ない時間がリフレッシュになっています。家事はそれほど得意ではありませんが、親がいい加減だと子どもたちはいい子になるんですね。

 

ハワイだから私が活かされている

アメリカに若くして来たから、少しずつキャリアを積んで、仕事を普通にすることができたんだと思います。共働きでないとやっていけない経済状況もありますが、みなさん働いているのが当たり前。特にハワイは優秀な男性が外に出ていってしまうからかもしれませんが、エグゼクティブと言われるすばらしい女性がたくさんいらっしゃって、働きやすいところだと思います。  

これまで私は本当に恵まれていました。日本クラブなどでも、みなさん本当に優しくしてくれます。最初は何もわからず、社会常識もないような若い小娘で、まだあまり知られていないスターツという会社の私にも、いろいろなことを教えてくれたんですよね。日本人同士で引っ張り合いになるとか、そういうことはありませんでした。  

一企業一代表同士という感じで、大手企業の代表も同じ目線で見てくれる温かさやそういう環境はハワイならではと思います。そのくらい結束しあって生きていかなくてはならないということもあるのかもしれませんが、アロハスピリッツを感じました。ハワイだから私が活かされている。

もし、ニューヨークやロサンゼルスでいきなり駐在員として企業の代表になっていたら誰にも相手にされなかったのではないかと、時々思います。  

まじめに生きてきて、今があると感じています。スターツのアロハニュースレターを1994年から3カ月に1度書いてきました。意外と継続をしない人も多いのかもしれませんが、私は「決めたことは行う」と当たり前のことを続けていると思います。  

成功というのかわかりませんが、特にハワイは普通にやるべきことをちゃんとまじめにやっていれば、生きていけるのではないかと思うのです。ハワイは必死で頑張らなくては成功しないというようなところでもないと感じています。

ゴルフも大好き。今は3年に1度くらいのペースでプレイ

 

憧れるのは考古学者

個人的な夢と聞かれると考えてしまいますね。野心とか欲がないというのでしょうか。海外に行きたいと言ったらハワイに転勤になって、たまたま責任者になり、流されてきて夢をつかんだので、これからも自然に流されていけばいいんだと思っています。  

ずっと忙しい状態が続いているので、未来というより、過去に興味があります。

「生まれ変わったら」とよく言いますが、化石を掘ったりする考古学者になりたいですね。過去から本質を知るというような、そういう時間がほしいです。将来のことを考えないで、過去のことを調べてそこから何かを悟ったり、そういうことをしてみたい。  

よく「止まったら死んじゃうんじゃない?」と言われるくらい、前に進もうと日々ちょこちょこ動いていますが、本来の自分はそうではないのではないかなと思うのです。いずれは、過去をみつめて「人間とは?」と考える時間がほしいですね。

 

ライター:大沢 陽子(日刊サン 2014. 2. 8)