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【インタビュー輝く人】レースドライバー / 実業家 田嶋伸博さん

Bynikkansan

8月 24, 2013

何でも一番が好き

-何をやってもトップですね。

僕は一番じゃないと嫌なんです。勝ったか負けたかで、2番は負けを意味する。今まではお陰様で、やったものは全てチャンピオンを取っています。セールスも、販売店も、モータースポーツも全てトップ。やる以上はトップになりたいんです。スズキはスイフトで、カー・オブ・ザ・イヤーをなんども取りました。

 

その前は、ダイハツに負けていたのが、軽自動車で全国一になりたい、モータースポーツに使えるような若者に受けるような車を作りたいということで、いろんなことをやって来ました。小さなエンジンで走れるようにエンジン二つをつけて走るツインエンジンも作りました。何故そういう成功例が数多くできたかと言うと、自分でファイナンスも考え、車のレイアウトも、デザインも全部考えたからです。

 

必要なのは、時間と性能、予算じゃないですか。これを1人の頭で全部やっている。最後にそれに乗るのは自分で、売るのも自分ですから。自分が走って楽しい車を自分の才能と予算と時間で企画をして全部やるから、早い。自分で決めて、責任も全部自分で取るのです。だから他のメーカーに比べて、圧倒的に安い予算で早く結果を出していった。仕事もモータースポーツもそうやって来た。

 

-数多くのラリーで優勝されていますね。

その間に世界チャンピオンにもなった し、全日本のチャンピオン、アジアパシフィ ックのチャンピオンもとりました。ニュージ ーランドの「レース・ツー・ザ・スカイ」、コロ ラドの 「バイクスピークヒルクライム」など、チャレンジしたものには必ず勝ってきまし た。僕が唯一自慢できることは、やる以上は 何が何でも成し遂げるというのを、これま で実行できたことです。

 

6月に行われたバイクスピークヒルクライムでは電気自動車部門で優勝しましたが、今回も電気自動車で 自分のガソリン車での記録に勝つという目標を作って、それを達成できたのが嬉しい です。やる以上は何が何でも成し遂げると言うのが私の生き方なので、これからもそ れを貫きたいと思っています。

 

地球温暖化は確実に進んでいる。これはどうしても止めなければならない。

-会社名がスズキスポーツからアイアールディーに変わりました。

2008年までは、スズキからの出資を35%受け入れていました。世界選手権に出るには関連会社もしくは子会社でなければならないと言うルールがあるのです。それでスズキのモータースポーツの代表として世界自動車連盟の会合とか、モータースポーツのイベントに出ていたのです。でも、リーマンショックで、スズキがモータースポーツから全面撤退となった時に、その必要性もなくなり、それがあると他のメーカーの仕事もできないので、全て買い取って、今は100%僕のオーナー会社となりました。ですから今は、トヨタだとか、他の会社の仕事もたくさんやっているのです。

 

 

-電気自動車普及協議会の仕事を始められたきっかけは何ですか。

スズキの株を全部買って自由になった頃に、ベネッセホールデイングスの福武總一郎会長から声をかけていただいて、初めてお会いしたのです。それこそ教育界のトップ でもあるし、色々な活動をされて、社会貢献もされている立派な方だというのは、事前にそれなりにわかっていたのですが、この 方は何を考えているのだろう、何の目的で 僕に会いにきたのだろうと思いながら、銀座の中華料理店で、食事をしながら話を伺 いました。

 

その時に、福武さんは、 「今の美しい地球を未来の子ども達に残したい。環境問題について何かしないと大変なことになる」とおっしやったのです。そして、そのた めには、ガソリン車を電気自動車に変えていかなければならないと。実はそれは、私自 身が一番身にしみてわかっていたことでもあったのです。

 

—それはどうしてですか?

何故かというと、スウェーデンやノルウェイにラリーで毎年行く度に雪の量が減っているのです。これまでは凍っていたところが融けて、いままで雪があったところが水になり、確実に温暖化が進んでいます。

 

なぜそれ に我々が敏感かというと、雪や氷の量や温 度で、車のセッティングが変わるからです。「雨が降った、じゃあどうやって勝とう?晴 れた、じゃあどうやって勝とう?」と、いつも天候を分析し、自分の車に反映させることが必要なのです。

 

勝ち続けるには、今起きていることを理解し、この先起きることを予見しなければならない。それが監督の、そしてドライバーの一番大事な仕事でもあるので す。僕はそれを伺十年もやってきましたか ら、この先どうなるんだろうという思いがす ごくあったのです。

 

だから、福武さんに話を 伺った時に、自分でも理解できたし、その危機感に対して心から賛同できたのです。 もうーつは、ラリーでは発展途上国に行くことが多いのです。

 

中国、インドネシア、マレーシアなどにも行きました。ところが、そのあたりの国々では、若い子供の数が多いんですよ。そして、まだ車が少ない。もう少し経済が豊かになって、車が増えて行くとき、この先、石油枯渇だけでなく異常気象が加速せざるを得ないだろうと思いました。

 

例えば日本では数年で新車に買い替えます が、中古車がどこに行っているかというと、ほとんどが、ロシア、アフリカ、中近東などに流れて行っているのです。そして、車の保有台数も増えています。

 

日本の中だけの保有台数は激増しているわけではありませんが、世界的にはすこい勢いで毎年増えている。東南アジアや中国の、今相乗りしたり歩いたりしている低所得者のところにどん どん流れて行くわけです。

 

-それでお二人の考えが一致したのですね。

そうです。福武さんのように、既に功なり 名も遂げた成功者が、世のため、人のために 自分の時間や財産を投げ打ってもやりたいと1司って、「じゃあわかりました。今はスズキ から株を買い取って自由な身になりましたの で、電気自動車の普及の方で、できる限り協 カしましょう」ということで始まったのです。

 

今の内燃機関の車からエンジンを取っ てモーターを入れる、電気自動車へのコンパージョンをしよう、それと同時に、普及で きるような金額のピュアな電気自動車も作ろうと、この2つをやろうということなので す。目的はただ一つです。地球は確実に環境破壊が進んでいるし、それを止めなけれ ばならないのです。