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セント・パトリックス・デイ特集

3月17日はアイルランドにキリスト教を広めたセント・パトリックの命日。 アメリカでは緑色のものを身につけて祝う日となり、 各地でパレードなどが行われます。 今年は日曜日に当たるため、ハワイのイベントも混雑が予想されます。 アメリカでは街中が緑にあふれる日ですが、 この日がどんな記念日なのか知らない人も多いのでは? セント・パトリックス・デイに関する基礎知識をご紹介します。

セント・パトリックとは?

アイルランドの守護聖人

 アイルランドのセント・パトリックは、世界で最も有名な聖人の一人です。パトリックは387年にスコットランドのダンバートン近郊のキルパトリックで生まれ、461年3月17日にアイルランドのサウルで亡くなりました。セント・ニコラスやセント・バレンタインと並び、宗教を超えて世界中で愛されています。

セント・パトリック(387年〜461年)

生涯

 セント・パトリックは385年頃スコットランドのキルパトリックで生まれたといわれています。両親は二人ともローマ人で、植民地の管理者としてイギリスに住んでいました。

 ところが、14歳のころ襲われて拉致され、羊などの家畜番をさせるために奴隷としてアイルランドに連れて行かれてしまいました。当時のアイルランドはドルイドと異教徒の地。パトリックは現地の言葉を覚え、自分を捕まえた人々にキリスト教の教えを伝えるようになっていきました。

 拉致は20歳まで続きました。ある日夢に神さまが現れ、海岸に出てアイルランドから離れるよう告げられました。パトリックは脱出し、海岸で見つけた船乗りが彼をイギリスに連れていってくれました。こうして再び家族と再会することができたのです。

 パトリックは別の夢もみました。アイルランドの人々が彼を呼んでいる夢です。「聖なる若者よ、お願いします、アイルランドに戻りもう一度私たちと共に歩んでください」

 パトリックは聖職者になるために勉強を始めました。オセールの司教・セント・ジャーマナスのもとで数年間学び、聖職受任式を受けました。その後、司教となり、布教のためにアイルランドに派遣されました。

 アイルランドのスレインに到着したのは、433年3月25日。ある伝説では、パトリックを殺そうとした部族の中の首長と出会ったといわれています。首長はパトリックに親しく接するまで腕を動かせなくなってしまったことから、キリスト教に改宗しました。

 パトリックはアイルランド中をまわり、神の教えを広めて多くの人々を改宗させました。弟子と共に布教に努め、何千人もの人々を改宗させ、国中に教会を建て始めました。パトリックのメッセージを聞いた後、王や王族、そして王国すべてがキリスト教に改宗したのです。

 多くの弟子を持ち、40年間布教に努め、数々の奇跡を起こしたといわれています。また、神への愛をたくさん書き残しています。長い貧困と旅の末、パトリックは461年3月17日にサウルで亡くなりました。サウルはパトリックが始めて教会を建てた場所でした。

セント・パトリックス・デイの始まり

 9~10世紀頃から、アイルランドの人々はセント・パトリックの命日である3月17日をローマ・カソリックの祝祭日として祝うようになりました。しかし、興味深いことに最初にパレードが行われたのは、アイルランドではなくアメリカでした。 

 1762年3月17日、イギリス軍に従軍していたアイルランドの兵士たちがニューヨークを行進したのが、セント・パトリックス・デイのパレードの始まりと言われています。 

 パレードによって自分たちのルーツを再確認し、イギリス軍に従軍しているアイルランド人の仲間との親交を深めました。 

 その後の35年間で、アイルランド移民たちの祖国への愛国心が高まり、「the Friendly Sons of Saint Patrick and the Hibernian Society」のような「アイリッシュ・エイド」と呼ばれる運動が促進されました。どの団体もバグパイプやドラムを取り入れたパレードを毎年行いました。 

 1848年、いくつかのニューヨークのアイリッシュ・エイド団体が、合同でパレードを行い、ニューヨーク市の正式なセント・パトリック・デイのパレードにすることを決定しました。 

 現在、このパレードは世界で最も古い市民パレードであり、アメリカ最大のパレードとして毎年15万人以上が参加しています。そして、パレードを見るために、1.5マイルの沿道に300万人もの人々が集まります。ニューヨーク市のパレードでは乗り物や山車が禁止されているため、全員が歩いてフィフス・アベニューを44丁目から86丁目まで北上します。全員が歩き終わるにはなんと5時間以上かかるそうです。 

 全米では現在100以上のパレードが3月17日に行われています。ニューヨークに次いで規模が大きいのが、ボストン、シカゴ、フィラデルフィア、サバンナで、毎年2万人近くがパレードに参加します。

アメリカのアイルランド移民

 19世紀の中ごろまで、アメリカに渡ったアイルランド移民のほとんどが、プロテスタントの中産階級でした。

 1845年にアイルランドでジャガイモ飢饉が発生したため、100万人ものアイルランド人が、飢餓から逃げるためにアメリカにやってきました。彼らの多くは、貧しく、教育を受けていないカソリックのアイルランド人でした。

 新しくやってきたアイルランド人は、異教徒で聞きなれないアクセントの英語をしゃべるために、当時アメリカ人の大多数だったプロテスタントの人々から軽蔑され、経験が問われないような仕事でさえ見つけるのが困難でした。アイルランドの文化遺産を讃えるためにセント・パトリックス・デイのパレードに集まると、「酔っ払って危険な人々」と新聞の漫画に描かれてしまうほどだったのです。

 しかしアメリカン・アイリッシュの人々は人数が多く、まだ成し遂げたことがない政治権力を持つ日も遠くないということに次第に気がつきました。彼らは「グリーン・マシーン」として知られる選挙区を組織していきます。突然、毎年開催されているセント・パトリックス・デイのパレードが、アイリッシュ・アメリカンの力を示す日となりっていきました。  1948年、ハリー・S・トゥルーマン大統領がニューヨーク市のセント・パトリックス・デイのパレードに参加し、新世界でステレオタイプな人種差別を受けてきたアイルランド系アメリカ人にとって記念すべき時となりました。

アイルランド系のアメリカ大統領

第7代 アンドリュー・ジャクソン 

第11代 ジェイムズ・ノックス・ポーク 

第15代 ジェイムズ・ブキャナン 

17代 アンドリュー・ジャクソン 

第18代 ユリシーズ・S・グラント 

第21代 チェスター・A・アーサー 

第22代 グローバー・クリーブランド 

第23代 ベンジャミン・ハリソン 

第25代 ウィリアム・マッキンリー 

第26代 セオドア・ルーズベルト 

第27代 ウィリアム・ハワード・タフト 

第28代 ウッドロー・ウィルソン 

第29代 ウォーレン・G・ハーディング 

第33代 ハリー・S・トゥルーマン 

第35代 ジョン・F・ケネディ 

第37代 リチャード・ニクソン 

第39代 ジミー・カーター

母方の祖先の一人、ブランドン・マケインが、ロンドンベリーから 1810年にアメリカに移民。

第40代 ロナルド・レーガン
母方の祖先の一人が、1840年代 にティぺラリー州からイギリスとカナダを 経由してアメリカに移民した。母親はスコットランド人とイギリス人の血を 受け継いでいる。

第41代 ジョージ・H・W・ブッシュ 

第42代 ビル・クリントン 

第43代 ジョージ・W・ブッシュ 

第44代 バラク・オバマ
母方の先祖はオファリー州の マネーゴールという小さい村の出身。 彼らはニューイングランドと南部に住み、 1800年代にほとんどが中西部に移った。

 

どうしてシャムロックが使われるの?

 シャムロックとは、クローバーやカタバミなど、葉が3枚に分かれている草の総称です。ケルト人には「seamroy」と呼ばれ、春の再生を象徴することから古代アイルランドでは神聖な植物とされていました。17世紀には、シャムロックはアイルランドの愛国心のシンボルになっていました。 

 イギリスがアイルランドを占領し、アイルランド語の使用を禁止する法律を作ったとき、多くのアイルランド人がシャムロックを身につけました。シャムロックはアイルランド人の誇りと文化遺産の象徴であり、イギリス人の支配への不満を表していたのです。 

 セント・パトリックは三位一体を説明するためにクローバーの葉を使ったといわれています。それ以来、セント・パトリックとアイルランドの象徴として、3枚葉のシャムックが使われています。アイルランドの国花でもあり、アイルランドを表すものによく使われます。 

 アメリカにはシャムロックという名前の町が6つあります。

どうして緑色の服を着るの?

 「セント・パトリックス・デイには緑色の服を着る(身につける)」ということが定着していますが、そもそもなぜ緑色なのでしょうか?  いくつかの説によると、最初は青がセント・パトリックス・デイの色だったようです。しかし、17世紀に緑に移行し始めました。緑はアイルランドの三色旗の一色であり、この旗は革命家グループにによって使用されてきました。  アイルランドは緑あふれる景観から「エメラルド・アイル」とも呼ばれています。緑は春を表す色でもあり、シャムロックの色でもあります。シカゴ・リバーは40年ほど前からセント・パトリックス・デイの日になると緑色に染められています。

ハワイとアイルランドの意外な関係

 ハワイではアイルランド文化に触れる機会はあまりないように感じますが、実は深いつながりがあります。ハワイにはアイルランド生まれやアイルランド人の先祖を持つ移民の長い歴史があるのです。

 1778年にキャプテン・クックがハワイに上陸してから、イギリスからたくさんの船がハワイにやってくるようになりました。船にはイギリス人だけでなくアイルランド人の水夫も乗船していたといわれています。正確な記録は残っていないのですが、彼らの中には船をおりてハワイに定住した者もいたようです。現在もアイルランド系を名乗る人がハワイに多いのはこのためです。  その中でも最も有名なのが、ジェームズ・キャンベルです。キャンベルは北アイルランドのロンドンデリー出身でした。1849年にハワイに到着し、マウイの王族と結婚、その後ハワイ最大の地主となったのです。

 2007年現在、107年の歴史を持つジェームズ・キャンベル社は、今でもハワイで最大の不動産投資マネージメント会社であり、不動産開発会社でもあります。

ジェイムズ・キャンベル

セント・パトリックス・デイの伝統料理

コンビーフ・アンド・キャベツ

 セント・パトリックス・デイの料理といえば「コンビーフ・アンド・キャベツ」。多くの人が伝統的なアイルランド料理と考えているコンビーフ・アンド・キャベツは、実は完全なアイルランド料理というわけではありません。

 ジャガイモと並び、キャベツはアイルランドを代表する作物です。かつてはキャベツとアイリッシュベーコンを一緒に食べるというのが一般的でした。しかし、アメリカに渡ったアイルランド移民にとってベーコンは高価だったため、より安価なコーンビーフをユダヤ系移民から購入し、ベーコンの代わりにするようになったのです。

アイルランドはビールの国

 アイルランドはビールの消費量が世界でも多い国。「2011年国別一人当たりビール消費量」は159.7本(633ml換算)で世界4位となっています。 (キリンホールディングス調べ・ちなみに1位はチェコの194本。アメリカは15位で121本、日本は69.2本で41位)

 ビールの中でも市場の半分を占めるのが「スタウト」と呼ばれる黒ビール。黒くなるまでローストした大麦を使用し、上面発酵によって醸造されるのが特徴です。濃厚で苦味や甘みが強く、アルコール分は一般的なラガービールより高いものが多いのですが、カロリーはラガーよりも低くなっています。ラガーが苦手な方には意外に飲みやすいビールと言えます。

 アイルランドではスタウトだけでなく、ラガーやエールなど様々な種類のビールを製造しています。セント・パトリックス・デイには、アイルランドのビールを試してみてはいかがでしょうか?

ギネス・ドラフト

ローストしたモルトの豊かな風味と、ほのかなチョコレートの香りは、まるでビールのミルクシェイクのよう。アイルランドを代表するリッチでクリーミーなこのビールは、数百年の歴史があります。瓶入りでも缶入りでも、できればチューリップ型のパイントグラスに注いで飲むのがお勧め。ギネス社によると、最適な注ぎ方は「パーフェクト・パイント」と呼ばれ、119.53秒かかるそうです。

ビーミッシュ・スタウト

ギネスとよく比較されるビーミッシュは、ギネスよりもやや軽く、スパイスが効いています。醸造には2週間かかり、1972年から使われているオリジナルのイーストが今でも使用されています。キャラメルのような甘みとコーヒーの風味があり、後味はビターでわずかな苦味を感じます。

マーフィーズ・アイリッシュスタウト

アイルランドの3大ビール(ギネス・ビーミッシュ・マーフィーズ)の中で、最も軽く甘いビール。チョコレートミルクにエスプレッソをダブルで注ぎ、その上にキャラメル風味のクリーミーな泡を1インチかぶせたところを想像してみてください。マーフィーズ社は1983年にハイネケンに買収され、その後世界で最も急成長を遂げたスタウトの一つとなりました。

キルケニー・アイリッシュ・クリーム・エール

キルケニーはアイルランドで最も古い醸造所であるスミスウィックスから製造されたのが始まり。その歴史は14世紀までさかのぼることができるほどです。つい最近まで、アメリカではワシントンDCのダブリナーパブでしか取り扱っていませんでした。現在は、ギネスと共に世界最大の酒造メーカー「ディアジオ社(スミノフ・ジョニーウォーカー・ホセクエルボなど)」のブランドの一つとなっています。ギネスよりもやや軽めで赤みを帯び、トーストしたモルトの豊かな香りと風味が特徴です。

ハープ・ラガー

ミルクシェイクのような濃厚なビールはお好みでない方には、クリスプで夏にぴったりなハープラガーがお勧め。ビターな喉越しのあとは、すっきりさわやかな後味。クラッシックな正統派ラガーです。

ホノルルの主なアイリッシュパブ

Murphy’s Bar & Grill

2 Merchant St. Honolulu, HI 96813

(808)531-96813

Kelley O’Neil’s

311 Lewers St. Honolulu, HI 96815

(808)926-1777

JJ Dolan’s

1147 Bethel St. Honolulu, HI 98813

(808)537-4992

Ferguson’s Irish Pub

729 Bishop St. Honolulu, HI 96813

(808)521-9020

Irish Rose Saloon

478 Ena Rd. Honolulu, HI 96815

(808)947-3414

O’Toole’s Pub

902 Nuuanu Ave. Honolulu, HI 96817

(808)536-4138

 




<参考URL>

参考: http://www.catholic.org/saints  

http://gohawaii.about.com/od/festivals/tp/st-patricks-day-on-oahu.htm

http://www.csmonitor.com/USA/Society/2010/0317/St.-Patrick-s-Day-Why-do-we-wear-green

http://www.foxnews.com/leisure/2012/03/12/top-10-irish-beers/

http://hawaiiguide.com/origins/irish.htm  http://www.history.com  http://www.yelp.com

 

(日刊サン 2013.3.9)