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この週末のハワイは祝日が続きます。今日26日はプリンスクヒオデー。 プリンスクヒオデーは1年に3日しかない、ハワイ州だけの祝日のひとつ。 

プリンスクヒオデー 【26日土曜日】

 カラカウア通りのワイキキのビーチ沿いに佇むプリンスクヒオ像。現在の私たちの生活にも大きく関わり、ハワイ州の祝日になるほどの功績はどのようなものだったのでしょうか?

プリンスクヒオが生まれた時代背景

 1795年、ハワイ王朝樹立を宣言したキングカメハメハ。翌年、まだ勢力下になかったカウアイ島に攻撃を仕掛けたものの、暴風雨により戦いになりませんでした。さらに1803年に再度カウアイ島に向かった時、今度はハワイ諸島全域でペストが大流行。戦争どころではなくなって侵攻を断念しました。 

 こうして、不思議な力に守られ、カメハメハが倒せなかった唯一の敵将がカウアイ島のカウムアリイ王。その後カウムアリイは自らの判断でハワイ王国の傘下に入り、カウアイ島の最後の王となりますが、その曾孫となるのがプリンスクヒオです。  1871年3月26日、カウアイ島コーロアで、デーヴィッド・カハレポウリ・ピイコイと、カピオラニ王女の姉妹であるヴィクトリア・ケカウリケ・キノイキの間に誕生。本名はプリンス・ジョナ・クヒオ・カラニアナオレ・ピイコイ。 

 オアフ島の東海岸を走る幹線道路、“カラニアナオレ・ハイウェイ”は、プリンスクヒオにちなんで命名された道路なのです。

Library of Congress

養子として王家へ

 幼少期のプリンスクヒオは、愛らしい輝く瞳を持ち、いつも笑顔だったことから、学校の先生に「天使のようにかわいい」と言われ、“プリンス・キューピッド”というニックネームがつけられていました。 

 彼は、幼くして両親をなくします。ハワイ王朝7代目カラカウア王妃、カピオラニ女王が伯母にあたることから、プリンスクヒオはカラカウア王夫妻の養子となります。  後にカリフォルニアやイギリスに渡り、さまざまな教育を受けました。フットボールなどスポーツにも長けた青年でした。

幼少時のプリンスクヒオ Hawaii State Archives

ハワイ王朝崩壊と投獄

 1891年にカラカウア王が亡くなり、その妹であるリリウオカラニが女王となります。彼女がハワイ王朝最後の君主です。というのも、1893年にクーデターが起こりハワイ王朝は廃止となったのです。  1895年、王族の後継者とされ、政権をサポートしていた24歳のプリンスクヒオは、リリウオカラニ王位復帰のクーデターを企てたとして反逆罪に問われて逮捕、1年間投獄されました。 

 このときに毎日面会に来ていたフィアンセのエリザベス・カハヌ・カアウヴァイと、1896年に結婚しました。

Hawaii State Archives

政治家としてハワイのために尽力

 投獄生活を終えたプリンスクヒオは妻とヨーロッパに旅立ち、広くヨーロッパを周り、アフリカへも渡りました。 

 そしてハワイに戻った1902年、プリンスクヒオは米国下院議員に選出され、ハワイアンの政治家として初めてアメリカ議会に出席しました。それ以降、ハワイアンのために生涯を尽くします。 

 クヒオ王子の功績として特に知られているのは、1921年に制定されたハワイアン擁護の法令“ハワイアン・ホームステッド法”。ハワイアンの血が50パーセント以上入ったハワイの人たちに20万エーカー(約809平方km)の公有地を無料分譲するというものです。 

 また1919年、アメリカ議会にハワイを本格的なアメリカの州として認める法案“ハワイ立州法案”を初めて提出しました。40年の歳月を経て、ハワイ準州は1959年にアメリカ合衆国50番目の州に昇格しました。 

 1922年に50歳で亡くなるまで何度も選出され、ハワイの人々の生活向上に努めたプリンスクヒオは、“庶民の王子”と称えられ、今でもハワイで愛され続けています。

ワイキキ、クヒオビーチのそばに立つプリンスクヒオ像 Flickr: Prince Kuhio statue in Waikiki

プリンスクヒオデー

 ワイキキの東側、現在のモアナ サーフライダー ウェスティン リゾート&スパからカパフル通り辺りまでは、プリンスクヒオの邸宅がありました。生前に一部のプライベートビーチを一般公開し、没後はワイキキの所有地がすべて寄贈され、『クヒオビーチパーク』と名付けられました。ここにあるプリンスクヒオ像は2002年に建てられたものです。  この他もワイキキの『クヒオ通り』、ハワイ島ヒロにある『プリンスクヒオ・プラザ・ショッピングセンター』をはじめ、小学校や中学校、公園の名前にも“プリンスクヒオ”が残っています。若くしてハワイ王朝の終焉に翻弄され、世界を見て、ハワイ住民のために生涯を尽くしたプリンスクヒオは、今もハワイの至る所にその名が残されているのです。  そんな彼の業績を讃えるために、1949年に彼の誕生日である3月26日は『プリンスクヒオデー』という州の祭日として制定されました。それ以降毎年、プリンスクヒオ像にレイがかけられるレイセレモニーや、ワイキキのカラカウア通りで記念パレードが開催されています。今年は26日10:00からパレードが行われます。

(以上写真:ウィキメディア・コモンズ)

プリンスクヒオ 年表

1871年 カウアイ島で生まれる

1893年 クーデターが起こりハワイ王朝が崩壊

1895年 ハワイの最後の王、リリウオカラニとともに幽閉される

1902年 ハワイ準州唯一のアメリカ下院議員に選出

1919年 アメリカ議会にハワイ立州法案を初めて提出

1921年 ハワイアン・ホームステッド法制定

1922年 50歳で死去

 




 

(日刊サン 2016.03.26)