日 本
古代 ― 香料の多くはインド原産
古代、アジアに広まった多くの香料や香辛料の起源はインドでした。紀元前5世紀頃に成立したバラモン教の聖典『ヴェーダ』には、王侯や貴族たちが香膏を身体に塗り、その香りを楽しんでいたと記されています。 紀元前2世紀にシルクロードが開通すると、インドの香料は中国に伝わります。日本に伝わったのは6世紀頃。飛鳥時代、大陸からの仏教伝来と共に、主に仏事のための香として日本に伝えられたといいます。 奈良時代には、唐から訪れた鑑真和上が、沈香や白檀など、数種類の香を調合して作る薫物を伝えました。供香(そなえこう)として仏事で用いられるものでしたが、平安時代に入ると、空薫物(そらだきもの)として部屋や着物に香をたきしめる風習が、皇族や貴族の間で盛んになりました。
中世
鎌倉時代に政権が貴族から武士に移り、武家社会になると共に香りの嗜好も変わっていきました。さまざまな香を組み合わせた複雑な香りからひとつの香りを鑑賞する習慣が生まれ、日本独自の香り文化が構築されていきます。室町時代には、香木を焚いて香りを聞く香道が確立しました。
江戸時代
江戸時代に入ると、香料が庶民の手にも届くようになりました。江戸時代初期、庶民の間では「花の露」「伽羅の油」といった芳香のある鬢付け油が使われていました。 中期には香油が登場し、後期には香りのある化粧水が流通するようになります。江戸時代後期の蘭学者・発明家の平賀源内(1728―1780)は、博物学書『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』の中で、蘭引(らんびき)という蒸留器を使った「薔薇露」の作り方を紹介しています。1813年に発刊された女性の教養書『都風俗化粧伝』の「花の露の取り方」の項では、ヤカンと茶碗を使って化粧水を作る方法が記されています。この頃には、化粧水が一般的だったことがうかがえます。
Memo
蘭引のしくみ
明治時代
明治初期、舶来の香水が日本に紹介されると、日本でも香水が生産されるようになりました。「香水」と書いて「においみず」と読まれ、明治5年に発売された「桜水」を始め、「白薔薇」「原料香水オリヂナル」などの舶来風の香水が相次いで登場しました。
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香十徳
香十徳とは、北宋の詩人、黄庭堅(こうていけん・1045-1105)が、漢詩として香の10の特長を記したもの。室町時代、禅僧の一休宗純が書として紹介しました。