日刊サンWEB

過去記事サイト

香りの文化

Bynikkansan

3月 23, 2019

香水の誕生 ― 香油から香水へ  

11世紀末まで、ヨーロッパの人々は、身につける香りを油脂に混ぜ込んだ香油や香膏という形で使用していました。十字軍の侵略が始まると、8世紀中期から栄えたイスラム黄金時代の蒸留法がヨーロッパに伝来。ヨーロッパに渡った蒸留技術はさらに進化し、ハーブを酒精と混ぜて蒸留したローズマリー水(ハンガリー水)、ラベンダー水など作られ、内服薬や外用薬として利用されました。これらはアルコールに香料を混ぜたの現在の香水の起源といわれています。  

蒸留技術や香水文化は、14世紀のルネサンス期のイタリアでさらに発展。そして16世紀、イタリアの富豪メディチ家の娘、カトリーヌ・ド・メディシスがフランス王アンリ2世に嫁いだ際、調香師が同行したのですが、これがフランスに香水が広まるきっかけになったといわれています。

 

入浴習慣のない文化 ― 王様も一生に3回程度?  

中世ヨーロッパ、特にフランスでは、入浴の習慣がほぼありませんでした。疫病が流行した際、水蒸気や水などが病原菌をばら撒いていると信じられていたのです。それに加え、気候が乾燥しているということや、禁欲や苦行をよしとする宗教的概念もあったようです。国王ですら、一生に3回くらい入浴しなかったという記録があるのだとか。そのため、香水文化は体臭を消すためのものとして発達していきました。

 

オーデコロン ― 原産地はイタリア  

「ケルンの水」という意味のオー・デ・コロン(Eau de Cologne)の起源は、イタリアで売り出されていた「素晴らしい水」という意味の「アクア・ミラビリス」という香水でした。18世紀初め、アクア・ミラビリスがプロイセン(ドイツ)のケルンに紹介され、「ケルンの水」と呼ばれるようになったと言います。  

18世紀後半、フランス軍は7年戦争やナポレオンの遠征でプロイセンに侵攻していました。その際、兵士たちがパリに「ケルンの水」を持ち帰り、フランス語で「オーデコロン」と呼ばれるようになりました。

 

 

Memo


森林浴が身体にいい理由

遠くの山々を眺めたとき、青い薄もやがかかったように見えることがあります。これは、樹木から発散される香気成分を含んだ空気が上昇して0.1ミクロン以下という細かい水蒸気となり、太陽光の青い波長を反射することで起こる現象です。  旧ロシアの生態学者、ボリス・トーキンは、1930年頃、この香気成分をロシア語で「植物が殺菌する」という意味の「フィトンチッド」と名付けました。特に松や檜などの針葉樹から多く発散されるフィトンチッドには、細菌やウイルスの繁殖を抑える作用があります。また、その香りにリラックス効果もあることから、ドイツでは森林浴が医療行為の一部として実施されています。