読者の皆様は、洋服や寝具、タオルなどの布製品を買う際、付いているタグを確認されるでしょうか?タグには、コットン、シルク、ポリエステル、レーヨンなど、さまざまな表記があります。洋服を買う際など、一般にデザインや着心地、似合うかどうかの確認はしますが、タグに表記されている繊維については、それほど追求しないのではないでしょうか。今回は、私たちの生活に欠かせない布製品のタグで見かける繊維について、詳しくご紹介したいと思います。
繊維の種類
繊維には、大きく分けて、植物、動物、鉱物などの天然素材から作られ、化学的な加工がされていない天然繊維と、化学的なプロセスを経て作られる化学繊維があります。
天然繊維
植物繊維
綿
アオイ科ワタ属の多年草、綿の種子の周りから取れる繊維のことで、木綿ともいいます。長所として、肌触り、吸水性、通気性のよさ、熱とアルカリへの耐性、洗濯に強いこと、染色性と発色性に優れていること、安価なものが多いことが挙げられます。一方で、短所としては、皺になりやすいこと、濡れると地の目方向に縮むこと、乾きが遅いこと、長時間日光に当たると黄色くなることなどがあります。
綿栽培の世界史
世界で初めて木綿が栽培されたのは、約8000年前のメキシコ。その時の木綿は現在まで引き継がれており、世界の綿の約90%は古代メキシコで栽培されていた木綿にルーツを持っています。紀元前5000年頃に興ったインダス文明でも綿栽培が行われた痕跡があり、インダス文明最大の都市遺跡、モヘンジョ・ダロからは、紀元前2000年頃の綿布が出土しています。綿の産地で有名なエジプトでは、紀元前200年頃から綿が利用され始め、栽培が始まったのはそれからずっと後の13世紀頃と考えられています。また、南アメリカでは、紀元前1500年頃から、古代ペルー人やブラジル原住民が綿を利用していました。アメリカで綿が栽培され始めたのは1740年頃。イギリス人がパナマで栽培したインド綿の種がバージニア地方に伝わったのが始まりと言われています。中国へは、後漢(57~75年)時代にインドから伝わりました。栽培が始まったのは南宋(1125−1162)時代と言われています。
日本の綿栽培
日本では、平安時代初期の799年、三河国(現在の愛知県)に漂着した崑崙人(こんろんじん・現在のインド人と言われる)がもたらした綿の種子で、最初の綿栽培が始まったとされています。その後栽培は一旦途切れ、綿は大陸からの輸入で賄われていました。本格的な栽培が始まったのは、16世紀末の安土桃山時代。江戸時代に入ると、各地に綿花の生産地帯が形成され、特に大阪近郊での生産が盛んでした。それに伴って木綿問屋が出現し、綿の染料の藍、栽培肥料の干鰯、鰊粕(にしんかす)の生産などの関連産業も盛んになっていきました。
参考:『大百科事典』第15巻(平凡社・1985年)
繊維と布の話① 羊のなる植物、バロメッツ
バロメッツ(Barometz)とは、中国やモンゴルの荒野に分布するといわれた伝説の植物のことです。「羊の入った実」がなるといわれ、スキタイの羊、ダッタン人の羊とも呼ばれていました。正式名は「プランタ・タルタリカ・バロメッツ」。時期が来ると羊の実がついて、採取して割ると子羊が収穫できるものの、その羊は生きていないとされました。実が熟すまで待ち、自然に割れるまで放置しておくと、メーと泣きながら生きた羊が顔を出すと考えられていました。その羊は、茎と繋がったまま周囲の草を食べ、近くに畑があれば食い散らかし、周囲の草がなくなると木とともに死にます。季節になると、死んだ羊がバロメッツの周囲に山積みになるため、それを求めて狼や人が集まって来ると考えられていました。
バロメッツの羊は、蹄まで羊毛なので無駄な部分があまりなく、中には金色の羊毛もある。そしてその羊の肉は、カニの味がするとされていました。バロメッツから採れる羊毛とは、実は木綿のことでした。中世のヨーロッパ人は、木綿を使っていたものの、それがどのように作られるか知る人はあまりいませんでした。そこで「綿の採れる木」を「ウールを産む木」だと解釈し、バロメッツという架空の植物が作られたと言われています。
麻
麻植物の柔繊維、葉茎などから採取される繊維のことで、大麻から作られるヘンプ、亜麻(アマ)から作られるリネン、苧麻(チョマ)から作られるラミーがあります。麻の長所として、通気性、吸水性がよい、美しい光沢がある、洗濯に強い、引っ張りに強いことなどがあります。また短所としては、シワになりやすい、カビに弱い、毛羽立ちやすい、硬い、伸縮性がない、保湿性がないことが挙げられます。このことから、よく夏の衣料に使われます。ハワイでは通年活躍できそうですね。
古代から使用されていた大麻繊維
大麻は、世界最古の繊維植物と言われています。日本でも縄文時代の遺跡から麻の縄や籠などが発掘されており、日本の神話などにも度々登場します。日本最古の歴史書『古事記』の天岩戸伝説には、麻布を意味する「丹寸手(にぎて)」として麻が登場しており、「真榊の上枝に八尺勾魂(やさかのまがたま)、中枝に八咫鏡(やたのかがみ)、下枝に白丹寸手、青丹寸手をくくりつけて布刀御幣(ふとみてぐら)として捧げ、祝詞を唱えながら踊ったところ、岩戸から天照大神が出て来て世が再び明るくなった」と記されています。 奈良時代頃からは麻の繊維でできた紙「麻紙(まし)」も使われ始め、現存する正倉院の献物帳には、白、緑、碧、赤、黄など、さまざまな色の麻紙が見られます。その他、日本伝統の大麻繊維の用途としては主に以下のものがあります。
【神具】大麻(おおぬさ)、宝物箱を封じる麻紐、注連縄、たすき掛けにしたり頭に巻く「木綿襷(ゆうだすき)」「木綿鬘(ゆうかずら)」、御饌をくくる紐、紙と麻繊維を細かく切った切麻(きりぬさ)、大嘗祭の麁服(あらたえ)など。
【武道】弓道の弓の弦、横綱の化粧まわしなど。
【生活】畳の経糸、蚊帳、麻紙、漁網、釣り糸、麻袋、籠など。
麻に似ている繊維
【ジュート】シナノキ科に属するコウマ、シマツナソという植物から作られる。 【ケナフ】アオイ科のケナフという植物から作られる。
動物繊維
絹
蚕の繭から採取した繊維のことです。主成分は、蚕が体内で作るたんぱく質のフィブロイン。1個の繭からは800〜1200メートルもの長い糸が取れるため、織物に向いています。また、養蚕の繭から作る家蚕絹と、野性の繭から作る野蚕絹があります。
生糸と練糸
蚕の繭を製糸し、引き出した極細の繭糸を数本揃えて繰糸の状態にしたままの絹糸が生糸です。この生糸を石鹸などのアルカリ液で精練し、セリシンというニカワ状の成分を除くと、より光沢がある柔らかい「練糸」ができます。セリシンが取り除かれた割合によって光沢に差があり、セリシンを少し残した練糸に比べ、全て取り除いた練糸は光沢が劣ります。生糸は化学染料、練糸は草木染めに向いています。
生産の歴史
【中国とローマ】
絹の生産は、紀元前3000年頃の中国で始まりました。前漢(前202〜後8)時代には、養蚕の方法が確立し、現在も四川省の名産品である「蜀錦」の生産が始まっていたと言われています。中国の絹は陸海路を通してインドやペルシアへ輸出され、いわゆるシルクロードが形成されていきました。紀元前1000年頃の古代エジプト遺跡からは中国産の絹の断片が発掘されており、古代ローマ(前753〜前476)でも中国産の絹が上流階級の人々の衣服に用いられていました。紀元前1世紀にエジプトを征服したローマは、絹を求めてインドへの貿易海路を作り、その一部は中国にまで達しました。当時のローマでは、絹の重さは金の重さと同じ価値のある超高級品ででした。
【ヨーロッパ】
ヨーロッパでは、1146年、シチリア王国のルッジェーロ2世が養蚕を始めたのを皮切りに、イタリア各地で絹の生産が始まりました。16世紀になると、フランスのフランソワ1世(1494-1547)がイタリアの絹職人をリヨンに招いて絹生産を始め、リヨンは近代ヨーロッパにおける絹生産の中心地となりました。
【日本】
日本では、弥生時代には大陸から絹の製法が伝わっていたといいます。律令制下では、納税用の絹織物の生産が盛んでしたが、中国産の絹の品質は日本産を遥かに上回っていました。そのため、中国産の絹は日本の上流階級の人々から珍重されると同時に、当時の活発な日中貿易の原動力となっていました。明代(1368-1644)に中国との貿易が途絶えると、東アジアに来航したポルトガル人が日中間で絹貿易を仲介し始めました。江戸時代の鎖国中は、長崎へ中国商船の来航が認められ、商人たちには糸割符(いとわっぷ・独占禁止法のような制度)が導入されていました。明治時代になると、近代産業としての養蚕が発展し、同時代の中国(清)でも製糸業が急速に近代化されていきました。こうして日中が同時期に機械で絹糸を大量生産したため、絹の国際価格は大暴落。ヨーロッパの絹生産に大きな打撃を与えました。 1909年、日本の絹糸(生糸)の生産量は清を抜いて世界一になりました。絹糸の生産は、明治・大正を通して日本の重要な外貨獲得源でした。第2次大戦後、日本の絹生産は衰退し、現在は中国からの輸入で賄われています。2009年の絹世界生産量の統計では、第1位の中国が世界生産量の75%を占め、次いでインドの18%、ブラジルの4%、ウズベキスタンの2%と続き、第5位の日本は0.04%にとどまっています。
???ウール???
羊の毛や、その毛でできた布のことで、メリノ種が一般的です。主成分はタンパク質の一種のケラチン。長所としては、防寒性と通気性が高い、肌触りが柔らかい、油分を含むため撥水性がある、濡れた状態でも保温性がある、空気を多く含むために断熱性が高い、しわになりくにいことなどがあります。短所としては、洗うと油分が奪われたりなどして縮む、アイロンを直接かけると光ってしまう、虫害を受けやすい、風を通しやすいことなどが挙げられます。
???カシミア???
カシミア山羊の毛や、その毛でできた布のことを言います。カシミアという名前は、インド北部高山地帯のカシミール地方に由来します。主に白、グレー、茶の3色があり、細い毛質で密度が高く、軽く、柔らかく、程よい光沢があるのが特徴です。生産量が少ないため高級素材とされており、「繊維の宝石」とも呼ばれています。カシミアは、毛が細いもの、白いもの、長いものになるほど高額になります。細いものはしなやかで光沢があり、肌ざわりがよく、白いものは漂白をせずに済むため傷みが少なく、染色した時に色が映えるためです。また、長いものは紡績中に糸が切れたり、毛玉になりにくいという利点があります。
???カシミア山羊???
カシミアヤギは、主に中国北西部の内モンゴル自治区、新疆ウイグル自治区、チベット自治区や、ネパールのヒマラヤ地域、モンゴル、イランの高い台地に住んでいます。寒暖の激しい環境のため、粗い毛の下に柔かい毛が密生して生えています。この柔かい毛がカシミアの原料になりますが、春、毛が生え変わるときに抜けた毛を拾い集めるか、櫛で梳いて集めるという方法で採取します。1頭からは150〜250gしか取れず、1着のセーターを作るのに約4頭分の毛が必要になります。
その他の動物繊維と原料となる動物の毛
?モヘア(アンゴラ山羊)
?アンゴラ(アンゴラウサギ)
?キャメル(ラクダ)
?アルパカ(アルパカ)
?ラマ(ラマ)
?天蚕糸 山繭(ヤママユ)
繊維と布の話 – 南イタリア伝統のエニシダ繊維
マメ科の植物、エニシダから採取された繊維は、古代から地中海沿岸で使用されていました。古くは紀元前15世紀〜2世紀頃、優れた商人として地中海を航海したフェニキア人が、船の帆布、漁網、ロープなどに用いていたと言います。長い歴史を持つエニシダ繊維ですが、紀元前2世紀頃からエジプトに出現した綿や、紀元前4世紀頃に中国から伝わった絹の交易が盛んになるにつれ、影を潜めていきました。第1次、第2次大戦中のイタリアでは、外国から綿などの繊維が入ってこなくなったため、エニシダ繊維の布で軍服などが作られました。しかし、手触りはかなり硬く、着心地のよいものではなかったようです。 イタリア南部では、ここ数年の間にエニシダ布を復活させようという動きがあり、少量ながらエニシダ繊維が作られています。繊維からは、ベルガモットやエニシダの花など、植物で染色された布が作られ、カーペット、カーテン、バッグなどに使用されています。
化学繊維
アクリル
「アクリロニトリル」という有機化合物を原料とした繊維のことです。熱したアクリロニトリルを口金から押し出し、繊維状にするという方法で生産され、ウールのような風合いがあります。1950年、デラウェア州のデュポン社が工業生産を始めました。
ナイロン
石油を原料とした合成樹脂の1つを原料とした繊維のことです。こちらも1935年にデュポン社が開発したものです。ナイロンの名前は、伝線(run)しないストッキング用繊維という意味の「no run」に由来します。
アセテート
「アセチルセルロース」という合成樹脂から作られる繊維のことです。木材パルプのセルロースを原料とし、自然素材から作られる半合成繊維として1924年にイギリスのブリティッシュ・セラニーズ社が工業生産を始めました。日本の生産は1948年から始まっています。絹のような風合いと肌触りで、プリーツ性もあるため、ファッション性、デザイン性に重きが置かれた衣服に多用されています。「アセチルセルロース」という合成樹脂から作られる繊維のことです。木材パルプのセルロースを原料とし、自然素材から作られる半合成繊維として1924年にイギリスのブリティッシュ・セラニーズ社が工業生産を始めました。日本の生産は1948年から始まっています。絹のような風合いと肌触りで、プリーツ性もあるため、ファッション性、デザイン性に重きが置かれた衣服に多用されています。
ビスコース
パルプ(木や竹などの植物繊維)、コットンリンターのセルロースを、水酸化ナトリウムなどのアルカリと二硫化炭素に溶かして作られます。レーヨンを作る過程でできる中間生産物です。シルクに似た滑らかで光沢のある風合いで、染色との相性がよい繊維です。色落ちや日焼けもしにくく、吸湿性、伸縮性、強度にも優れています。
レーヨン
ビスコースを酸でさらに加工したものがレーヨンになります。絹を手本とした再生繊維のため、以前は人絹(じんけん)とも呼ばれていました。レーヨンという名前は、光線(ray)と綿(cotton)を組み合わせたものです。
キュプラ(cupro)
再生繊維の一種で、銅アンモニアレーヨンとも呼ばれます。スーツやスカートの裏地によく利用され、光沢があり薄く柔らかいのが特徴です。原料は綿花の種子周辺にある短い繊維「コットンリンター」や、高純度木材パルプのセルロース。これらを銅アンモニア溶液で溶かし、酸性水の中に押し出すという工程で作られます。吸湿、放湿性に優れ、レーヨンに比べて耐久性に優れています。 1897年、ドイツ人化学者のマックス・フレンメリー、ヨハン・ウルバンが白熱電球のフィラメント用として発明し、その特許をドイツのJ・P・ベンベルク社が取得したことで、服地として使われるようになりました。 日本では、ベンベルグ社と提携した日本窒素肥料(現在の旭化成)が1931年(昭和6年)に生産を開始。このため、日本では「ベンベルグ」という呼び名で知られていました。
ポリエステル
元々は麻や綿を手本として開発された合成繊維のひとつで、石油を原料としています。近年は、製造技術の進化と共に、シルクのような風合いのマイクロファイバー(超極細繊維)ポリエステルが主流になっています。
繊維と布の話 ③ – 日本製の生地が人気!中東諸国の民族衣装
サウジアラビアの「カンドゥーラ」など、中東諸国の民族衣装を作る生地を「トーブ(ثوب)」と言います。昔ながらのトーブは綿100%でしたが、最近はレーヨンやポリエステル、混合布などが主流です。繊維の生産には水が必要なため、水不足の中東諸国では需要を賄える量のトーブを作ることができず、そのほとんどを日本、中国、韓国、インドネシア、パキスタンなどからの輸入品に頼っています。中東諸国におけるトーブの消費量の約40〜45%は日本からの輸入品で、高級品になるとほぼ100%が日本製です。 そんな高級トーブの約70%のシェアを持つのは、大阪に本社のある東洋紡株式会社。以下、シキボウ、東レ子会社の一村産業と続きます。一方で、低価格のトーブには、中国産、韓国産、インドネシア産が多く、価格は日本製の半分ほど。それだけに「Toyobo」「Shikibo」など、語尾に「bo」のついたブランド名は高級トーブの代名詞となっており、boのタグが付いたトーブを身に纏うのがステータスとなっているのだそうです。人気のあまり「Toboyo」「Shekibo」というコピー商品まで出回っているのだとか。
(日刊サン 2018.10.13)