その他の雪にちなんだ言葉
白雪(しらゆき、しろゆき、はくせつ)
真っ白な雪。
瑞雪(ずいせつ)
吉祥の印とされる雪。
雪花、雪華(せっか)
雪の結晶のこと。または、降る雪を花に喩えた表現。
八朔の雪(はっさくのゆき)
八月朔日(8月1日)に吉原の遊女達が白無垢を着ている情景のこと。美しい雪景色を喩えたりします。
雪明り(ゆきあかり)
積もった雪が光を反射し、暗くなっても周囲がほの明るいさま。
深雪(みゆき)
深く積もった雪。 雪化粧、銀世界、銀雪、雪化粧 雪が美しく降り積もり、辺り一面が真っ白になっているさま。
MEMO
カナダ先住民の言語における雪の呼び方
北米や北欧などの雪の多い地域、特にFirst Nationと呼ばれるカナダ先住民の言語では、さまざまな雪の呼び方があります。ある部族の言語では「降雪=カニク」「積雪=アプト」「きめ細やかな雪=プカク」「吹雪=ペエヘトク」「切り出した雪塊=アウヴェク」「溶かして水にする雪=アニウ」というように、雪の形態ごとの呼び方だけがあり、雪を表す名詞がないと言われています。
雪を使った天然の冷蔵庫 “氷室”
氷室(ひむろ)とは、昔、主に日本海側で利用されていた天然の冷蔵庫のようなもの。雪室(ゆきむろ)、雪蔵(ゆきぐら)とも呼ばれます。冬に降り積もった雪を集めて掘った穴や洞窟に入れ、藁などで囲って夏まで貯蔵していました。
氷室の中は地下水の気化熱によって外気よりも冷たく保たれるため、夏まで雪を保存することができるのです。
貯蔵された雪は、水揚げされた魚の鮮度を保つために使われたり、料亭や旅館などでは夏の冷蔵庫として活用されていました。夏場に涼をとるために氷室に入ることもあったようです。
現代では、酒、味噌、醤油などを雪室に入れて保存し、質を保ちながら熟成させたり、野菜や米の保存、肉の熟成や塩引き鮭の乾燥などに使われています。
氷室と冷蔵庫の違い
一般的な冷蔵庫は設定温度から2~3℃上がったり下がったりを繰り返します。0℃に設定した場合は−3℃になることもあり、冷蔵庫に入れた食品が凍ったり、凍けたりを繰り返してしまうことも。一方で雪に覆われた雪室は、ほぼ温度が前後することがありません。冬、夏共に0℃と一定の温度と湿度を保つため、食品の質を落とさずに保存することができます。
氷室の日本史
日本では古代から氷室が活用されていました。製氷技術や冷凍庫がなかった時代、夏場の氷は貴重品だったため、皇族や貴族など一部の人しか口にしたり使うことができませんでした。
日本で最初に氷室が登場した文献は『日本書紀』です。仁徳天皇62年(374年)に額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)が闘鶏(つげ・現在の奈良県天理市)へ狩りに出掛けた際「光るもの」を見たというくだりがあり、前後の文脈から「光るもの」とは天然の氷室ではないかと考えられています。
同じ『日本書紀』の孝徳天皇紀(645-654)には氷連(むらじ)という姓(かばね)があり、朝廷の氷室を司った職があったと推測されています。奈良時代(710-794)の長屋王宅跡から発掘された木簡には「都祁氷室(つげのひむろ)」と記されていました。
また、平城京では春日大社の東側にある春日山に氷室が設置されており、朝廷へ氷を献上する勅祭(祭祀)が行われていました。平安京への遷都後は、春日山の氷室を祀るための氷室神社(氷室権現)が建立されました。律令制が制定された後は、宮内省主水司(もひとりのつかさ)が氷室、製氷、水の管理などを行いました。
江戸時代には土蔵造りの氷室が江戸市中に作られ、庶民も夏場に氷を入手できるようになりました。この時代、飲み水は玉川上水から供給されていましたが、夏場は「水屋」や「水売り」が、その水を氷室の氷で冷やしたものを売り歩いていました。
氷室にちなんだ地名
かつて氷室があった場所は、京都市北区の「氷室町」や島根県出雲市の「氷室」、そして氷室村や氷室町など、氷室にちなんだ地名として残っていることが多く、氷室町などの町村名も全国各地にあります。氷室山、氷室岳、氷室台、氷室川、氷室沢、氷室大滝、氷室池、氷室別れ(辻のこと)などという地名もあります。
氷室開き
「氷室開き」は、毎年1月末に氷室小屋に雪を仕込み、6月30日に切り出すという行事です。豪雪地帯の石川県では、かつて、多くの氷室が設置されていました。この行事は、江戸時代に加賀藩が徳川家に雪氷を献上していたことに由来します。この日、氷室小屋では仏事が行われ、切り出された雪は薬師寺へ奉納されます。7月1日には氷を模した氷室饅頭を食べ、1年の健康を祈ります。
氷室開きで切り出された雪氷は、石川県、金沢市、そして加賀藩の前田氏と縁がある東京都の板橋区、目黒区に贈呈されています。また、熊本県八代市の八代神社(妙見宮)では、毎年5月31日と6月1日の2日間「氷室祭」が行われます。地元ではこの日を「こおっづいたち(氷朔日)」と呼び、雪の塊を模した雪餅という餅菓子を食べる習慣があります。
現代の氷室
北海道の穂別町には雪の冷気を利用した大型の倉庫があります。倉庫には年間1500tもの雪が運び込まれ、3万俵の米(1俵は60kg)や長芋、ブロッコリーなどが常時5℃以下で保管されます。氷室で野菜や米を長期保管すると甘みが増し、まろやかでより美味しくなります。
これは低温糖化といって、野菜や米自らが凍るのを防ぐため、含まれるデンプンを糖化し、ショ糖を増やすという性質によるものです。
MEMO
世界の氷室
雪室は日本はもちろん、中東やヨーロッパなど、古代から世界中で利用されてきました。穴を掘り藁を敷き詰めて雪を置き、その上からまた藁をかけるものや、洞窟を利用したもの、石造りのものや、ドーム状のものなど、その様式もさまざまです。
秋田県のかまくら祭り
かまくら祭りは、秋田県で行われる小正月の伝統行事です。雪洞を作り、中に祭壇を設けて水神を祀ります。「かまくら」の語源は、その形が竃(かまど)を連想させるため「竃蔵」が由来という説や、神の御座所である「神座(かみくら)」が由来という説があります。
かまくら祭り(横手市)
横手市のかまくら祭りは約450年前から行われている小正月行事です。明治30年頃、左義長(どんと焼き)と水神を祀る風習が合わさった現在のような行事になりました。昭和11年(1936年)に横手市を訪れたドイツ人建築家のブルーノ・タウトは『日本美の再発見』という著書の中で「子供たちが雪洞の中に祭壇を設け、水神を祀り餅などを食べたり鳥追いの歌を歌ったりして遊んだりする素朴で幻想的な情景は、まるで夢の国のよう」と綴っています。
六郷のかまくら(仙北郡美郷町)
重要無形民俗文化財に指定されている秋田県仙北郡美郷町六郷地区の「六郷のかまくら」は、かつて京都御所の清涼殿で行われていた吉書焼きの左義長に由来していると言います。鎌倉時代初期、二階堂氏が六郷の地頭になった時に始まり、豊作祈願の火祭として現在まで続いています。現在のかまくらの形が定着したのは江戸時代初期といわれています。
楢山(ならやま)かまくら(秋田市)
楢山かまくらは秋田市のかまくら行事です。方形に作った雪の囲いに藁の屋根をかぶせ、その中に水神・鎌倉大明神を祭ります。かまくらの中には空の米俵が積まれ、祭りの終わりに1つずつ火がつけられます。
(日刊サン 2018.12.22)