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知ると、 もっと 楽しい!ひな祭り・ひな人形の由来と意味

Bynikkansan

3月 2, 2018

日本では平安時代から続く風習「ひな祭り」は、住民の5人に1人が日系人のハワイでも「Girl’s Day」と呼んでお祝いをする習慣があります。ひな祭りのお祝いといえば、ひな人形を飾り、菱餅や桃の花を供え、ひなあられを食べるというイメージですが、ひな人形、飾り物、食べ物など、1つひとつのものにある意味をご存知でしょうか。今回の特集では、ひな人形の由来や意味を中心に、今年のひな祭りをもっと楽しく過ごすためのトリビアをご紹介したいと思います。

 

■起 源

「踏青」と「祓え」

ひな祭りの起源は、中国から伝わった「踏青(とうせい)」という風習と、日本古来の神道における「祓え(はらえ)」の考え方が一緒になったものと言われています。「踏青」とは、旧暦3月上旬頃の清明節の前後に、郊外へ墓参りなどに行った帰りに、桃やスモモの花が咲く木の下で酒宴を開き、青々とした緑を踏みつつ散歩などをして春を楽しむ野遊びのことです。「祓え」とは、身体を清めるため、神事を司る人にお祓いをしてもらうことを言います。

桃の花(http://sozai.picwp.net)

 

人形は川に流されていた

平安時代、ひな祭りは「上巳(じょうし)の節句」と呼ばれていました。この頃、三月上旬の巳の日(十二支の数え方)に草やわらで人形(ひとがた)を作り、その人形で自分の体を撫で、穢れを移してから川に流すという「踏青」と「祓え」が一緒になった邪気祓いの風習が始まりました。また、貴族階級の子女たちが、紙でできた人形を用いて行なっていた「ごっこ遊び」が、現代の「ひな祭り」の原型になったと考えられています。

 

ヨモギ餅と桃の花の酒でお祝い

江戸時代に入ると、川が汚れる、人形作りの技術が向上したなどの理由から、雛人形は川に流すことなく、家に飾られるようになりました。江戸時代前期の1688年に刊行された『日本歳時記』の上巳の節句の項には、「よもぎ餅を食べ、桃花酒を飲み、よもぎ餅を親戚に贈る」と記されています。ひな人形は、敷物を敷いて一対の立雛を置くくらいで、現代のように壇を作ることはあまりありませんでした。