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江戸町人の 暮らしと文化

Bynikkansan

5月 12, 2018

♦♦♦♦♦♦♦♦ 行事や娯楽 ♦♦♦♦♦♦♦♦

 

節句行事

この時代、武士や貴族のものだった節句行事が庶民に広まり、都市部の町人を中心に、元旦、お盆、七草、節分、桃の節句、端午の節句、七夕などの年中行事が行われるようになりました。現代にも受け継がれている年中行事の多くは、この時代に形作られました。

 

汐干狩(潮干狩)

町人たちにとって、潮干狩りは春の楽しみの1つでした。江戸の年間行事をまとめた『東都歳事記』(1838年刊)には潮干狩りのシーズンについて「汐干当月より四月に至る。其内三月三日を節(ほどよし)とす」と記されています。旧暦が使われていた江戸時代の3月3日は、大潮の時期に当たり、現代の3月末〜4月頭になります。江戸では品川や洲崎、上方では大坂住吉の潮干狩が有名でした。潮干狩の際には、袖を短く仕立てた潮干小袖を着るのが粋とされました。  江戸湾の浜辺で獲れたアサリは、アサリ売りが「あさりむきん(むき身)」と言いながら江戸市中を売り歩いていました。アサリ売りは、子供のいいアルバイトだったようです。

江戸名所 品川沖汐干狩之図』歌川重宣画

 

 

 

舟遊び 【屋形船】

江戸時代初頭まで、舟遊びは御座船を持つ将軍や大名の特権でしたが、河川の整備が進み、旦那衆なども舟遊びを楽しむようになりました。夏になると、大川(隅田川)に涼み舟が集まり、賑わいを見せたようです。舟も徐々に大きくなり、大きなもので長さ26間(約47m)、18人の船頭が乗る屋形船がありました。船の内部には座敷が9部屋と台所があり、船の外装として、漆の朱塗りや金銅の金具が使われました。17世紀後半以降は、幕府が度々倹約令を出し、屋形船の大きさや船数に制限をつけたことから、船は小さく質素なものとなりました。

 

【屋根舟】

下層の町人たちは、舟宿や料理屋が所有する「屋根舟」で舟遊びを楽しみました。屋根舟は四本の柱と屋根を付けた小型の舟で、簾(すだれ)がかけられていました。これは、武士以外は障子をたてる事を禁じられていたためです。舟頭は1人で、竿の代わりに櫓で漕いでいました。屋根舟の数は、18世紀後半に50~60艘だったものが、19世紀初頭には500~600艘にまで増加したといいます。

 

花見

飲み食いしながら桜を観覧する花見は、特に江戸の町人の間で人気のある季節の楽しみでした。江戸で最も有名だった花見の名所は、今も名所となっている上野公園で、当時は忍岡(しのぶがおか)と呼ばれていました。

 

花火

江戸時代初期、花火と言えば線香花火やねずみ花火などの個人で楽しむものでした。『和漢三才図会』には「鼠花火」や「狼煙花火」などが紹介されています。最初に行われた打ち上げ花火は、1733年に徳川吉宗が隅田川で開催した「川施餓鬼」と言われています。

 

旅行

道路の整備や、早駕籠、馬などの交通手段が発達するにつれ、庶民の旅行が活発になって行きました。特に人気があったのは、伊勢神宮への参拝(伊勢参り)や温泉での湯治でした。移動手段は徒歩が多く、江戸から伊勢神宮までは片道15日も掛かりました。

『伊勢参宮 宮川の渡し』歌川広重画

 

 

 

♦♦♦♦♦♦♦♦ 江戸時代の職人 ♦♦♦♦♦♦♦♦

職人の中にも階級があった

江戸時代の職人は、士農工商の工に属していましたが、その中にも階級が存在していました。まず自営業としての職人には、自分の店に住んでいる「親方職人」や、お客から直接注文を受けて仕事をする職人がいました。その下に、親方から仕事を分けてもらい出来高で手間賃を受け取る「手間職人」、親方の店に住み込んで働く「雇われ職人」、親方の下で技能の修業をする「弟子職人」、日雇いで仕事をもらう「渡り職人」「日用取(ひようどり)」、技能があまりないため主に雑用をする職人などがいました。また、その職人が持つ技術によって、上職人、中職人、下職人に分けられました。  また、大工や左官など、外で仕事をする職人は「出職(でしょく)」、指物師など、自宅の仕事場で仕事をする職人は「居職(いじょく)」と呼ばれました。また、幕府直属の「御用達職人」、大名屋敷や寺院の「お出入り職人」、大名直属の職人、農村に住む兼業職人などもいました。

職人の種類

分業制が盛んだった江戸時代には、140種類を超える職人がいました。

◯建物と家具 大工・壁塗・左官 、檜皮葺・屋根葺・瓦焼・瓦師 石切・石工、 畳刺・畳師・敷物職人 、木挽、戸障子師、 翠簾(すいれん)師・翠簾屋、指物師・指物屋、表具師

◯日用品 桶結師、檜物師、乗物師 、水囊師、箸師、茶杓師、楊枝師 塗師、塗物師、堆朱師、蒔絵師、木地師、轆轤(ろくろ)師 、土器師 、陶物師、火桶作、竈(かまど)師 、籠屋、箒師、 葛籠(くずかご)師、皮籠造・革師・滑革師、 植虎革(うえとらかわ)師 、幾世留師 羅宇竹(たけらう)師 扇売・扇所、団扇師 、龕(がん)師 *龕―棺桶のこと。*羅宇竹―キセルの火皿と吸い口をつなぐ竹管。ラオス産の竹を使ったことからこの名がついた。

◯小間物 白粉師、櫛挽、眉作、針磨、針摺、糸組、紙入師、縫針師、 印籠師、茶入袋師・茶壺網師、巾着師

◯着物 機織・織屋、麻布織、紺搔・紺屋、紫師・紅師、鹿子結、 帷子屋、洗濯屋、摺師、布晒、練物師・張物師 湯熨斗(ゆのし)屋 *湯熨斗―アイロンのこと 組師と足打、縫物師・ 縫物屋、合羽師、羽織師

 

糸組『彩画職人部類(さいがしょくにんぶるい)』橘岷江(たちばなみんこう)(1770年)より

 

 

 

◯被り物、履き物 烏帽子折、冠師 、笠縫・笠編、傘張・傘屋、足駄作 尻切(しきれ)師 沓造、雪踏師、下駄屋、足袋師 行縢(むかばき)造 *行縢―旅行や狩りの際、足を覆う布や皮。 鬘(かつら)師

◯紙、本 紙漉、水引師 、唐紙師、張子師 、紙子つくり、経師(きょうじ)―障子や襖などの表装をする職人 板木彫・板木師、刷毛師、表紙屋、形彫

◯文房具・遊具・装飾品・楽器など 筆結、墨師、硯師、貝磨と青貝師、玉磨、念珠挽、数珠師 鞠括(まりくくり)―鞠をかがる職人 角細工、嘉留多師 簺(さい)磨・簺師 *簺―2人用のボードゲーム 楊弓師、絵師 、衣裳人形師、絵馬師、羽子板師 胴人形師、雛師、人形師、仏師、木彫師、額彫、印判師 撞木師、琴師、面打、造花師 蟇目刳(ひきめくり)

◯食べ物 酒造、索麺売、索麺つくり、香煎師、庖丁師、割肴師、 蒲鉾屋

◯金属工 庖丁鍛冶、刀鍛冶、銀師・銀細工、鋳物師、金彫師、錫師、象眼師、錺(かざり)師 *餝― 仏具、神具に使う金具 金粉師、薄打、薄師、仏具師、鈴張、刀研、鏡磨、砥屋、 針鉄師、焼継師、継物屋

◯武具・武器 鞍細工、鎧細工、鎧師、鞘巻切、鞘巻師、弓作、弓師 箙(えびら)細工 *箙―矢を入れて右腰に提げる武具 矢細工、矢師

◯道具工 鞴(ふいご)師、車作、篗(わく)師 *篗 ― 紡いだ糸を巻き取る道具 梭搔(おかさき)、龍骨車師、臼師、鋤鍬柄師、物指師、枡師、秤師、天秤師、器械細工師、時計師

 

左は屋根屋、右は鏡磨。『宝船桂帆柱』より

 

花形職人だった大工

江戸時代以前は「秘伝」だった大工技術

 

 

「木割術」と呼ばれた中世の大工技術は、親から子へ代々受け継がれていく秘伝の技術でした。江戸時代に入ると、秘伝だった木割術が公開され、明暦元年(1655年)に『新編雛形』という技術書が発行されました。これを皮切りに、規矩術(きくじゅつ)」という立体幾何の図式解法や、大工が仕事を取るときの要領を記したものなど、さまざまな種類の技術書が刊行されるようになりました。 大工の種類  社寺建築専門の堂宮大工(宮大工)、商人の商家などを建てる町大工、家大工、屋形大工、船大工、車大工、水車大工、機(はた)大工、農具大工、遊郭大工など、いろいろな種類に分かれていました。その中でも数の多い「家大工」は大工の代表でした。このほか、「渡り」「西行(さいぎょう)」と呼ばれた大工は、親方と数人の弟子のグループで地方から都市へ出稼ぎに来る大工でした。

 

(日刊サン 2018.05.12)