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正月行事と正月アイテムの由来と意味(年越し蕎麦、注連縄、 鏡餅、お節料理 etc.)

Bynikkansan

1月 1, 2018

 元旦は、新年の神様である「歳神様」が各家に降りて来て、1年分の幸福を授けてくれる日と考えられています。この歳神様は、田や山の神、家族や祖先の祖霊とされ、五穀豊穣や子孫繁栄などをもたらします。1月の別称「睦月」は、「むつびづき」「むつましづき」とも言い、新年を迎え、人々が集まって睦みあうという意味があります。 あと1週間と少しで新年を迎えます。今年最後のエキストラ特集では、お正月とその前後のさまざまな行事や、お正月の必需品などについてご紹介します。

 

『日本の礼儀と習慣のスケッチ』(1867年)

 

正月前の行事

大掃除  

 大掃除は、江戸時代、毎年12月13日に江戸城で行われていた「すす払い」が由来です。歳神様を迎える前に家を清めるという意味があり、1年の間に溜まったほこりを払い、念入りに掃除をすると、多くのご利益を授けてもらえると言われています。また、12月13日が「正月事始め」と呼ばれるのは、すす払いの後でお正月の準備を始めていたことに由来します。

餅つき

 古から、日本には穀霊が宿る稲を神聖なものして崇める「稲作信仰」があります。稲から取れる米は生命を維持する神聖な食べ物で、米から作られる餅や酒には、特に強い力が宿っているとされていました。このことから、普通の日である「ケ(褻)の日」に対する特別でおめでたい日「ハレ(霽)の日」に餅つきをするようになりました。ハレの日に供される餅は、お正月の鏡餅の他、桃の節句の菱餅、端午の節句の柏餅などがあります。正月は、その中でも特に大事な行事だったため、年末の正月準備として餅つきをするようになりました。

年越し蕎麦

 江戸時代、月末の忙しい時に町人たちが手っ取り早く蕎麦を食べるという「晦日そば」という風習がありました。この風習が大晦日にだけ残り「年越し蕎麦」と呼ばれるようになりました。蕎麦の薬味として使われるネギは、ねぎらうという意味の「労ぐ(ねぐ)」、祈るという意味の「祈ぐ(ねぐ)」、お清めなどをする神職を指す「祢宜(ねぎ)」に掛けられています。

 

正月の遊び

羽根つき  

 羽根つきには1年の厄を跳ね、子供の健やかな成長を願うという意味があります。室町時代、中国から日本に、硬貨をつけた羽根を蹴るという遊びが伝わりました。室町時代の皇族の暮らしが記録された『看聞日記(かんもんにっき)』には「羽根つきに負けた人は酒を振舞うこととされた」という旨が記されています。その後、羽根つきは厄祓いになると信じられるようになり、江戸時代には、年末、邪気を祓うための羽子板を贈るという習慣が生まれました。また、羽根に使われる無患子(ムクロジ)の実は、子が患わず、魔除けに通じるものとされたことから、女の子の初正月には羽子板が贈られました。

 

凧揚げ

 古の中国では、凧は占いや軍事目的で使われるものでした。平安時代に日本に伝わり、貴族たちが遊びとして使うようになりました。戦国時代には、敵の陣までの距離を測定したり、遠方へ火を放ち攻撃する兵器として活用されていました。江戸時代には、男の子の誕生祝いに凧揚げをする風習が生まれ、庶民の遊びとして広まっていき、正月の遊びのひとつとなりました。凧を高く揚げ、新年の願い事を神様に届けるという意味があります。

 

独楽(こま)回し

 エジプトで発掘された世界最古の独楽は、約4000年前のものと言われています。奈良時代、唐から高麗を経由して日本に独楽が伝わりました。当時、高麗が「こま」と呼ばれていたことが、独楽という名前の由来です。伝わった当初は貴族の遊びでしたが、江戸時代には庶民の遊びとして広まっていきました。「物事が円滑に回る」に通じ、縁起がよい遊びとされています。

 

いろはかるた

 かるたの起源は平安時代の貴族の遊び「貝合わせ」です。語源はポルトガル語で「掟」を意味する「カルタ」です。いろはかるたは、江戸時代後期、子供が遊びながら諺や字を学習するという目的で作られました。

 

双六(すごろく)

 双六は、飛鳥時代に中国から日本へ伝わりました。『日本書記』には、双六が賭博に使われたため「689年、持統天皇が双六禁止令を出した」と記されています。また、東大寺の正倉院には聖武天皇(701〜756)が愛用した「木画紫檀双六局(もくがしたんのすごろくきょく)」が納められています。

 双六には「盤双六」と「絵双六」があります。「盤双六」は1対1で遊ぶボードゲームで、それぞれが白と黒の駒を15個ずつ持ち、さいころに従い、盤上で駒を動かして遊びます。「絵双六」は紙に升目と絵が描かれた双六のことです。絵双六の起源は、極楽浄土への道を現した「浄土双六」というもので、江戸時代初期から庶民に親しまれていたと言われています。その後、東海道五十三次を進む「道中双六」や人生ゲームのような「出世双六」が登場し、正月の遊びのひとつとして定着しました。

盤双六で遊ぶ様子「彦根屏風」(17世紀前期)

 

正月後の行事

鏡開き

 1月11日に行われる鏡開きには、正月に区切りをつけ、仕事始めをするという意味があります。江戸時代、武家では武具などを納める櫃(ひつ)を開き、農村では田打ち、商家では蔵開きの行事を行なっていました。鏡開きは武家で行われていた行事が起源であるため、切腹を連想させる刃物は使わず、手か槌(つち)で餅を割ります。また、縁起のよくない「割る」という言葉の代わりに、末広がりを意味する「開く」を使います。おめでたい時、樽酒の蓋を割ってお酒を振る舞う行事も「鏡開き」と呼ばれますが、これは、昔、酒屋で樽酒の蓋が「鏡」と呼ばれていたことに由来します。

 

左義長

 左義長は、1月14日の夜か15日の朝に行われる火祭りです。地方によって、どんと焼き、さいと焼き、ほっけんぎょう、鬼火とも呼ばれます。各家庭から正月に飾られた松飾りや注連縄などを一箇所に集めて焼きますが、この時の火は神聖なものとされ、餅などを焼いて食べたり、灰を頭や体にかけると縁起がよいと言われています。また、日本の正月は魂祭でもあるため、祖霊の供養をするという意味もあります。左義長の起源は、平安時代にさかのぼります。平安貴族の正月の遊びのひとつに、杖で毬(まり)を打ち合う「毬杖(ぎっちょう)」がありました。宮中では、毎年1月15日に、庭に葉竹を束ねて立て、毬杖の杖3本を結び付け、上部に扇子、短冊、天皇の吉書などを飾り、これを陰陽師が太鼓を打って謡いながら焼き、その年の吉兆を占うという行事がありました。毬杖(ぎっちょう)を3本結ぶことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれたこの行事が、現在の左義長の起源と言われています。また、漢代の中国が起源の「元宵節(げんしょうせつ)」が起源という説もあります。現在の中国でも、旧暦1月15日の夜に、提灯や灯籠をを飾って元宵節を祝う習慣があります。

 

正月アイテム

お節料理

 お節料理の起源は、弥生時代にまで遡ります。稲作中心だった弥生人たちは、季節ごとの作物の収穫を神様に感謝することで、生活の節目を作っていました。神様には、作物や魚など、その季節に採れた食べ物を供えていました。供え物は「節供(せっく)」と呼ばれ、供えた後に料理をして豊作を願い、自然の恵みに感謝しながら食べました。この料理は「節供料理」と呼ばれ、現在のお節料理の原型となりました。奈良時代、節句行事が中国から伝わり、宮中では、元旦や五節句の行事で「節会(せちえ)」という宴が催されるようになりました。節会で神様に供えられたり、宴で人々に振舞われた料理は「御節供(おせちく)」と呼ばれ、これが略されて「おせち」と呼ばれるようになりました。  江戸時代、宮中行事が庶民の生活に取り入れられると共に、お節料理も全国に広がっていきました。3段重ねの重箱に詰めるのは「めでたさが重なるように」という意味があります。

 

お節メニューの意味

黒豆:「まめ」は、体が丈夫なことや動作が達者なことを意味します。

田作り:五穀豊穣を願いながら、肥料として小魚を田畑に撒いたことがこの名の由来です。片口鰯の小魚(ごまめ)を使った田作りが一般的です。

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数の子:ニシンの卵である数の子は、二親(にしん)から多くの子が出るのでめでたいとされました。

紅白蒲鉾:紅はめでたさ、白は神聖を表します。

栗きんとん:黄金色の財宝に例えられ、食べることで豊かな1年となるよう願います。栗の実を干し、臼で搗(つ)いて殻と渋皮を除いたものは、「搗つ(かつ:「臼で搗く」の古語)」が勝つに通じることから「勝ち栗」と呼ばれ、縁起がよいとされていました。

伊達巻:江戸時代、長崎の「カステラ蒲鉾」が江戸に伝わり、伊達巻と呼ばれるようになりました。名前の由来は、着物の帯の伊達巻に似ていたため、伊達政宗の好物だったためなど、諸説あります。

昆布巻:「よろこぶ」に掛けられる他、昆布の古語「広布(ひろめ)」から、「喜びが広がる」、また、夷子布(えびすめ)という別名から、七福神の恵比寿にも掛けられます。

海老:長いひげをはやし、腰が曲がるまで長生きすることの象徴です。

錦玉子:黄身と白身が金と銀に例えられています。

小肌粟漬:「コハダ」は「コノシロ」が成魚になる前の名前で、出世魚と呼ばれています・クチナシで染めた粟を入れ、五穀豊穣も願います。

ごぼう:細く長く、地中に根を張ることから、縁起がよいとされています。

 

鏡餅  

 鏡餅は、年神様の依り代、居場所であり、年神様が新年に分けてくれる魂の象徴でもあります。鏡餅の餅玉は、その年に神様が分けてくれる魂、「年魂」を表しています。その餅玉を、家長が「御年魂」「御年玉」として家族に分け与えたことが「お年玉」の起源になりました。鏡餅という名前は、日本神話で天照大神がニニギに授けた三種の神器のひとつ「八咫鏡(やたのかがみ)」の丸い形に由来します。大小2段で、陰と陽、月と太陽を表しており、夫婦円満、万事においてバランスのとれた生活などという意味があります。江戸時代初期は黒米が主流だったため、一般的な鏡餅の色は黒だったようです。

お鏡の飾り方

 折敷に台がついたお供え用の器「三方」に、白い奉書紙か四方が紅く彩られた和紙「四方紅」を敷き、紙垂(かみしで)、裏白(うらじろ)、譲り葉の上に鏡餅を乗せて、昆布、橙などを飾ります。串柿、勝栗、五万米、黒豆、するめ、伊勢海老などの縁起物を一緒に乗せることもあります。

 

縁起物 裏白:ウラジロ科の常緑性シダ植物で、葉の表が緑、裏が白いことから、後ろ暗いところがない清廉潔白な精神を表しています。

譲り葉:ユズリハ科の常緑高木で、新しい葉が出てから古い葉が落ちるという特徴があることから、家督を次代に譲ることで家が続いていくということを表します。

橙:冬に熟す実は、そのまま落ちずに数年残ることがあります。1本の木に何代もの実が付くことから「代々」とも表記され、家族の繁栄や代々家が続くことを表しています。

串柿:干し柿を串に刺したものです。柿は「嘉来」に通じ、干し柿は「始めは重宝されない渋柿でも、修行を重ねると床の間の飾りにもなれる」という哲学を表しています。また、鏡は鏡餅、玉は橙、剣は串柿として、三種の神器を表しています。

 

雑煮

 雑煮は鏡餅の餅玉を食べるための料理で、食べることで、体に魂を取り込むという意味があります。また、生命維持に欠かせない歯が固く丈夫になるよう、願いを込めて固い餅を食べる「歯固め」という意味もあります。

 

門松

 門松は、年神様が迷わず家まで来るための目印です。常盤木の松は神が宿る木とされており、門松が登場する前は、庭に一本松が飾られていました。その後、門前に雄松と雌松を対にして置くようになり、縁起物の竹や梅が添えられるようになって、現在に至ります。門松を飾る1月1日から7日までの7日間は年神様が家にいるとされているため、この期間は「松の内」と呼ばれるようになりました。

 

注連縄(しめなわ)

 注連縄は、神社の鳥居のように、神の領域と現世を隔てる結界という意味があります。注連縄は、天照大神が天の岩戸から出た時、もう天の岩戸に入らないよう注連縄で入り口を塞いだという日本神話のエピソードに因んでいると言われています。このことから「注連」には「神様が占める所」という意味があります。注連飾りは、注連縄に裏白や橙などの縁起物を飾り付けたものです。  注連縄のひとつ、牛蒡注連(ごぼうじめ)はごぼうのように細長く括った形をしています。普段の生活で使う縄は右へねじられた「右綯い(みぎない)」ですが、注連縄は、特別なものとして左へねじられた「左綯い」にが使われます。左が神聖、右が俗と考えられていることから、神様側から向かって見たとき、元の太い部分が左に来るように飾ります。人間側からは、向かって右側に元の太い部分がきます。注連縄には、牛蒡注連のほか、太めの大根注連や、小型の輪飾りなどもあります。  伊勢神宮のある三重県伊勢地方では、「蘇民将来子孫之門」「笑門」「千客万来」などと墨書きした門符がついた「右綯い」の注連飾りを1年中飾っておく習慣があります。