日刊サンWEB

過去記事サイト

日本の無形文化遺産

Bynikkansan

8月 10, 2019

伝統芸能、工芸品、和食など さまざまな無形文化遺産

無形文化遺産とは「無形文化遺産の保護に関する条約」のもと、国際的に保護されている無形文化遺産のことです。この条約は、グローバル化などで社会の変化が進む中、各国や地域の伝統的な無形文化遺産を守る目的とし、ユネスコ総会で2003年に採択されました。2019年現在、世界178か国がこの条約を締結しています。対象となる無形文化遺産は、芸能、社会的慣習、伝統工芸技術、口承による伝統や表現、儀式や祭礼行事、自然や万物に関する知識と慣習などがあります。

 

 

2008年登録    能楽、人形浄瑠璃文楽、歌舞伎

人形浄瑠璃文楽

人形浄瑠璃文楽は、三味線音楽の義太夫節に合わせて人形を操る音楽劇で、江戸時代初期、人形芝居が三味線音楽、浄瑠璃と結びついて生まれたと言われています。文楽の劇は、太夫太夫、三味線、人形遣いの三業で成り立っています。義太夫節を語る太夫とその伴奏をする三味線方は、回転式の盆に乗り、客席の上手側に張り出す演奏用の場所「床」に現れて、登場人物の性格や喜怒哀楽の心情を語り分けながら浄瑠璃を演奏します。人形遣いは3人で、「手摺」という腰から下が隠れる板の向こう側で人形を操ります。

 

三業

太夫  

劇中で浄瑠璃を語る役をする人のことです。始めは情景描写を語り、その後は複数の登場人物を語り分けます。基本的に一人で語りますが、長い作品では途中で別の太夫と交代することもあります。 三

 

味線  

太棹の三味線を弾く人のことです。座る時は、膝を広めにし、両足の間に尻を落とした正座を崩したような座り方をします。三味線の響きが重いことから「ふと」とも呼ばれます。

 

人形遣い  

人形をあやつる人のことです。元々は1つの人形を1人の人形遣いが操っていましたが、18世紀半ばくらいから1つの人形を3人で操るようになったと言われています。主遣い(おもづかい)が首(かしら)と右手、左遣いが左手、足遣いが脚を操ります。主遣いは「頭(ず)」とも呼ばれ、3人が呼吸を合わせるための合図を出しています。3人共黒衣を着ており、よく主遣いだけが顔を出していますが、左遣い、足遣いは常に顔を隠します。

 

『艶容女舞衣』 冨田人形共遊団(滋賀県長浜市)

 

文楽人形  

文楽人形の素材は木曽檜です。人形の豊かな表情は、眉(アオチ)・目(ヒキ目・ヨリ目)、「うなづき糸」などの仕掛けによるもの。首(かしら)を動かすための綱(操作索)には鯨のひげが使われています。人形を保管するときは、衣裳を脱がして、かしらとは別々にしておきます。使う時は、人形遣いが遣う人形の衣裳を付けますが、これは「人形拵え」と呼ばれます。

 

改良の変遷

17世紀後半 ― 足をつけるようになる。山本土佐椽角太夫(やまもととさのじょうかくだゆう)の時代に上演された『源氏烏帽子折(げんじえぼしおり)』の舞台から。

 

1733年 ― 指先を動かせるようになる。『車返合戦桜大森彦七(くるまかえしかっせんざくらおおもり ひこしち)』から。

 

1741年 ― 眉を動かせるようになる。『武烈天皇艤(ぶれつてんおうふなよそおい)』から。

 

1745年 ― 帷子衣装を着せるようになる。『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』から。

 

1861年 ― 髪を逆立て、目、舌、腹が動かせるようになる。

 

 

かしらの種類  

文楽人形の「首(かしら)」の種類は、性別、身分、年齢、性格によって分けられています。

【男性のかしら】

検非違使・剣菱(けんびし) ― 男性的で哀愁を帯びた強さがあらわれている立役。

 

陀羅助(だらすけ) ― 嫌味で卑屈な表情の端敵役。

 

与勘平(よかんぺい) ― 三枚目の敵役。

 

又平(またへい) ― 正直な町人

 

鬼一(きいち) ― 慈愛に満ちた心を持つ老武士

 

源太(げんだ) ― 20代前後の二枚目役

 

若男(わかおとこ) ― 10代の恋愛ものの相手役

 

金時(きんとき) ― 聡明繊細な表情を浮かべた40〜50代の豪快な武将。

 

 

【女性のかしら】

娘(むすめ) ― 初々しい表情の14、5歳の未婚女性。

 

老女形(ふけおやま) ― 20〜40代の幅広い年代の女性。

 

傾城(けいせい) ― 最高位の遊女。最も華麗な女性のかしらで、気品と色気、芯の強さを持ち合わせている。

 

お福(おふく) ― 三枚目役。

 

 

2009年登録    雅楽、奥能登のあえのこと、チャッキラコ、小千谷縮・越後上布、 早池峰神楽、秋保の田植踊、大日堂舞楽、題目立、アイヌ古式舞踊

 

雅 楽

日本古来の歌舞音楽である雅楽は、大まかに以下の3種類に分けられています。

 

①日本に古くから伝わる「神楽(かぐら)」「東遊(あずまあそび)」などの国風歌舞(くにぶりのうたまい)

 

②外来の管弦音楽と舞楽

●唐楽(とうがく) ― 中国、インド(天竺)、南ベトナム(林邑)などから伝来した、器楽で合奏する管絃と舞が舞われる舞楽(ぶがく)。

●高麗楽(こまがく) ― 朝鮮半島や中国北東部から伝来したもので、昔は管絃もあったが、現在では舞楽のみが演奏される。

 

 

③平安時代に作られた歌曲

●催馬楽(さいばら) ― 民謡などの歌詞に拍節的な(リズムのある)節をつけて歌う。

●朗詠(ろうえい) ― 漢詩に非拍節的な(リズムのない)節をつけて歌う。  

現代の雅楽に代表される宮内庁式部職楽部の演奏は、宮中の儀式、饗宴、園遊会などで披露されるほか、春と秋の定期公演や地方公演などでも聴くことができます。

 

『春日権現験記絵巻』第2巻(部分)1309年

 

奥能登のあえのこと

(石川県:珠洲市、輪島市、鳳珠郡能登町、穴水町)

「奥能登のあえのこと」は稲の成長と豊作を司る田の神を祀る石川県の農耕儀礼です。毎年、収穫後の12月と田植え前の2月に行われます。  

 

家の床の間には、男女の田の神を表す種もみの俵が2つ置かれ、それぞれの前に二股大根と箸を前に置いて祭壇が作られます。家の主人は紋付袴の正装で家の田へ赴き、夜は提灯を持って田の神を家に招き入れます。家族全員が出迎え、主人は田の神を炉端で休息させた後、風呂に入れて祭壇に招きます。

 

そして、小豆飯、大根、里芋、ハチメ(魚)などを二膳、甘酒の入った徳利二本を捧げ、1つずつの膳の内容を丁寧に説明します。1時間後、田の神が食べた後の御下がりとして、家族で備えた膳の物を食べます。田植え前の2月になると、再び田の神を風呂に入れ、食事を供えた後、家から田に送り出して豊作を祈ります。

 

 

チャッキラコ

(神奈川県 三浦市三崎)

「左義長の舞」「初瀬踊」ともいわれるチャッキラコは、神奈川県三浦市三崎の仲崎・花暮地区に伝わる小正月の舞踊芸能行事です。三崎の海南神社で毎年1月15日に行われ、晴着姿で扇やチャッキラコ(綾竹)を持った少女たちが女性の歌に合わせて踊りを披露。その後は町内の家々を回りながら踊ります。踊りには「はついせ」「チャッキラコ」「二本踊」「よささ踊」「鎌倉踊」「お伊勢参り」の6つがあります。

 

奉納の様子:三浦市ホームページより http://www.city.miura.kanagawa.jp

 

小千谷縮・越後上布

(新潟県 魚沼地方)

新潟県の魚沼地方(塩沢・小千谷地区)では、古くから質のよい麻織物が作られていました。江戸時代には「上布」として幕府へ上納され、帷子として着用されていました。  

 

江戸時代以降は、布の原料の苧麻(ちょま)は福島県会津地方産のものが使われ、ひねりが強い緯糸で織った平織りの布を湯もみして「しぼ」を出した「縮」も作られるようになりました。  

 

織物が作られる際は、雪で苧麻の繊維に適度な湿気を与えたり、晒しを雪の上で行って漂白する雪晒しなどが行われますが、この加工技術の背景には魚沼地方の雪国文化や自然環境があります。2、3月の快晴の日に雪の上に布が晒される「越後上布の雪晒し」は、新潟県の初春の風物詩になっています。  

 

越後上布は、1955年に重要無形文化財に指定されており、越後上布・小千谷縮布技術保存協会の会員のみが製作できるものになっています。重要無形文化財指定の条件は以下の通りです。

1)すべて苧麻を手うみした糸を使用すること。

2)絣模様を付ける場合は、手くびりによること。

3)いざり機で織ること。

4)しぼとりをする場合は、湯もみ、足ぶみによること。

5)さらしは、雪ざらしによること。