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日本の染め物

Bynikkansan

2月 23, 2019

染めの技法

 

纐纈(こうけち)

纐纈は奈良時代に始まった絞り染めのことです。布を小さくつまんで糸でくくり、染液に浸して白抜きの鹿の子文様を出します。正倉院には、この纐纈で縞状の文様に染めた上衣、袍(ほう)が収められています。

 

 

臈纈(ろうけち、ろうけつ)

現代のろうけつ染めと同じで、模様の部分を蝋で防染して染める染色方法です。蝋を溶かして布に模様を描いたり、文様が彫られた版型に蝋を塗って布を押し付けた後、染色し、蝋を落として水洗いをします。蝋を塗った部分が白く染め抜かれ、模様が現れます。

 

蝋を乾燥させてひびを入れ、臈纈染め独特の亀裂模様を表すことも多いです。飛鳥時代、奈良時代の臈纈染には、唐から輸入された蜜蝋が使用されていました。  

 

正倉院にはこの時代に作成された「象木臈纈屏風(ぞうきようけちのびょうぶ)」などが収められています。現在は反物の染色などに使われており、京友禅には「蝋纈友禅」という種類があります。

 

 

 

夾纈(きょうけち)

同じ模様を掘った2枚の木板の間に、布を挟んで染液に浸ける染色方法です。「板締め染」ともいいます。夾纈には左右対称の文様が多いため、布を2つに折って板に挟み、染めるのが一般的だったようです。

 

東大寺の正倉院に収蔵されている夾纈の遺物「紺地花樹双鳥文様夾纈絁(きょうけちあしぎぬ)」は、多色で複雑な文様が表されています。浸け染で多色を出すためには、布を繰り返し染液に浸す必要があります。  

しかし、この方法で多色の複雑な文様を失敗なしに染めるのは難しく、技法の詳細は長い間の謎でした。しかし1970年代にインドのアーメダバードにある古代遺跡で夾纈の板が発見され、詳細が明らかになりました。  

 

発見された夾纈の板は、異色に染める部分はそれぞれが輪郭で区切られ、ほかの区切りと混色しないようになっていました。それぞれの区切りには染料を流し込むための穴があり、防染する場合は穴に栓をし、染料が流れ込まないようにして染色しました。正倉院の遺物である夾纈にも同じような板が使われたと考えられています。

 

 

泥染(どろぞめ)

大島紬に見られる美しい黒茶色の染め方です。テーチ木と呼ばれる車輪梅(シャリンバイ)の枝や樹皮を細 かく割って釜に入れ、煮立てて染液を取り、布ををつけ込むという工程を30回繰り返します。この過程で、布は、白、オレンジ色、茶褐色と徐々に濃い色になっていきます。

 

テーチ木染をした布を泥田の中に入れ、泥をなじませながら染めていきます。泥の中に含まれた鉄分が、テーチ木のタンニンに反応して黒茶色に変わっていきます。奄美大島の大島紬は、通常、テーチ木染め30回、泥染め1回を1セットとし、これを4セット行って染められます。

 

 

藍染 (あいぞめ)

藍染の染料は、原料の蓼藍を発酵させて作られます。色が褪せにくい上、消臭、抗菌、虫除けの効果があることが特長です。江戸時代は藍染めが盛んに行われていましたが、特に現在の徳島県にあった阿波藩での生産が盛んでした。藍染は、現在も徳島の特産品として販売されています。

 

 

摺染 (すりぞめ)

布の上に型紙や木の版型を置き、染料を含ませたハケで模様を摺り込むようにして染める方法です。古代から行われている伝統的な染め方で、昔は、布に草、木の葉、花などを置き、型紙の上から叩いて形を生地に写したり、葉や花の汁を摺りつけたりしていました。

 

 

紅型 (びんがた)

沖縄県首里市周辺で生産される染織品で、琉球紅型とも呼ばれます。江戸時代頃に作られた「古紅型」の柄には、中国の吉祥文様が多用されています。

 

1500年代の琉球王朝時代、王族や士族の女性や成人前の男子が礼装として着ていたものが起源といわれており、多様な素材、色、模様は、年齢、性別、階級などによって区別されていました。紅型には、型紙を使う「型付け」、手で模様を描く「筒引き」など、複数の染め方があります。一般に、型付けは着物や帯に、筒引きは風呂敷などの小物用の生地に使われていました。

 

 

茶屋染 (ちゃやぞめ)

江戸時代、大名家や公家の女性の夏の衣装、帷子(かたびら)に用いられていました。白の麻布に糊で模様を描いて防染し、模様を藍で染め上げるという技法です。

 

藍染は2回行い、藍の濃淡をつけ、楼閣山水や花鳥風月を表しました。部分的に刺繍をし、差し色として黄色を入れることも。「御所解(ごしょどき)模様」といい、『源氏物語』に由来する意匠、風景なども用いられました。

 

 

(日刊サン 2019.02.23)