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和紙の世界

Bynikkansan

11月 30, 2018

日本の和紙の歴史は古く、製紙は3世紀中頃〜7世紀末の古墳時代には始まっていたと言われています。現在にまで受け継がれている日本の手漉き和紙技術は、2014年、ユネスコ(国際連合科学文化機関)の無形文化遺産に登録されました。洋紙と比べると繊維が長く、柔らかくて耐久性があることが特徴で、便箋などの日常使いから文化財の修復まで多くの使い道があります。ここハワイでも、障子紙、書道紙、和紙テープなどとして多くの人々に愛用される生活用品のひとつになっています。

 

歴史ーーー古墳時代から江戸時代まで

 

古墳時代 紙が作られ始める

 

日本では、古墳時代から紙が漉かれていたと言われています。紙漉きが日本で自然に始まったとされる説、渡来人によって伝えられたという説の2つがあります。5世紀初頭から紙による公の記録が始まりました。これは『日本書紀』には「403年に初めて国史(ふみひと)を配置し、言事(ことわざ)で出来事の記録を始める」という一節から窺うことができます。  513年、五経博士が百済から渡来し、日本に漢字と仏教が普及し始めましたが、仏教の普及には写経が欠かせませんでした。このことから、仏教の伝来と共に百済の製紙技術が伝わり、その技術による紙漉きが行われていたと言われています。

 

 奈良時代には製紙のことを「造紙」と呼んでいましたが、平安時代には「紙漉き」と表現されるようになりました。平安時代初期には紙戸が廃止され、官立の製紙工場として紙屋院(かんやいん)が置かれました。ここで、日本独特の製紙法「流し漉き」の技術が確立されました。

【流し漉きとは】紙料(漉く前に処理された原料)を水、つなぎと合わせて水槽に入れ、繊維同士を絡ませるために細かい目の簀(すのこ)で汲み込んで捨て戻すという動作を繰り返します。これは簀を振って紙層を作り、不用な紙料を捨て、また次の紙料を汲み込むという動作で、必要な紙の厚みができるまで繰り返し行われます。

 

後期 ― 和紙文化の成立  紙屋院の設立と流し漉きの確立により、和紙が大量生産されるようになり、和紙をふんだんに利用した王朝文化が花開きました。紙屋院とその他の44ヶ国で製紙が行われ、日常の筆記に使用されるものが木簡から和紙へと移行していきました。

 

MEMO 

懐紙

懐紙は平安時代の貴族の必需品で、畳んだものを常に懐に入れていました。ハンカチのように使う他、盃の縁を拭ったり、お菓子を取ったり、即席で和歌を書いたりすることに利用されました。懐紙は「ふところがみ」「かいし」「たとうがみ」「てがみ」などと呼ばれていました。

 

 

奈良時代 紙の量産が始まる

 

本格的な紙の国産化が始まったのは奈良時代。701年に制定された大宝律令によって、『古事記』や『日本書紀』などの国史編纂のための図書寮(ずしょりょう)が設置され、紙の製造が本格化されていきました。図書寮には34人が所属し、そのうち4人が紙漉きを担う造紙手でした。また、図書寮の下にあった「紙屋院」「紙戸」には、紙漉き専業者50戸が所属していました。  山城国(現在の京都府南部)にあった「紙屋院」「紙戸」は租税が免除され、1年間に2万張の政用の紙を作ったといいます。また、その他の土地でも紙を漉かせて、「調」として徴収していました。『正倉院文書』には、737年頃から、美作、出雲、播磨、美濃、越などで紙漉が始まったと記されています。  739年に写経司が置かれると、ますます紙の需要が高まりました。『図書寮解』には、774年の紙の産地として、美作、播磨、出雲、筑紫、伊賀、上総、武蔵、美濃、信濃、上野、下野、越前、越中、越後、佐渡、丹後、長門、紀伊、近江が挙げられています。しかし、この時代の紙はまだ貴重なものだったため、日常には安くて丈夫な木簡が使われていました。また「紙背文書」といい、1度使った紙の裏面を別の筆記に使ったりしていました。

 

MEMO 

『正倉院文書』に見る和紙の種類

正倉院文書には、当時使われていたさまざまな紙のことが記されています。中でも、植物の花、実、葉、皮、根などの天然色素で染色した彩色紙には多くの種類があります。文書中に見られる紙名は、五色紙、色紙、紅紙、浅紫紙、浅黄紙、蘇芳紙、黒紫紙、胡桃紙など。植物はスオウ、トチ、ハス、フヨウ、カキツバタ、キハダなどが使われました。

 

 

平安時代 

 

前期 ― 紙屋院と流し漉き  奈良時代には製紙のことを「造紙」と呼んでいましたが、平安時代には「紙漉き」と表現されるようになりました。平安時代初期には紙戸が廃止され、官立の製紙工場として紙屋院(かんやいん)が置かれました。ここで、日本独特の製紙法「流し漉き」の技術が確立されました。

【流し漉きとは】  紙料(漉く前に処理された原料)を水、つなぎと合わせて水槽に入れ、繊維同士を絡ませるために細かい目の簀(すのこ)で汲み込んで捨て戻すという動作を繰り返します。これは簀を振って紙層を作り、不用な紙料を捨て、また次の紙料を汲み込むという動作で、必要な紙の厚みができるまで繰り返し行われます。

 

鎌倉時代 武家文化と和紙

 

鎌倉幕府が成立すると、貴族や僧侶だけでなく、武士も紙を使うようになりました。装飾的な薄紙よりも厚くて実用的な丈夫な紙が主流になり、播磨の杉原紙や美濃和紙が多く使われました。鎌倉時代に入っても貴重品だった和紙は、寺院へのお布施などの贈答品としても利用されていました。紙を贈答する風習は武家社会に広がり、贈答品を和紙で包むという習慣なども生まれました。

 

杉原紙:鎌倉時代、武士が特権的に使う紙としてステータスシンボルになった。明治時代に姿を消したが、近年、原産地の兵庫県で、伝統工芸品として生産が再開された。

 

室町時代 紙座の成立

 

南北朝時代(室町時代初期)に紙屋院が廃されると、和紙作りの舞台は地方へと移っていきました。そしてこの頃、「紙座」と呼ばれる和紙の生産、流通業のシステムが登場します。  本来、紙座は紙を生産して公家や寺社に納入する供御人、神人のグループだったのですが、寺社の保護を受け、一般の生産と流通も請け負うようになりました。紙座には、元紙屋院の職人達が結成した「宿紙上座(しゅくしかみざ)」、新規の業者による「宿紙上下座」、六波羅蜜寺を本所とした「紙漉座」、近江小谷、美濃大矢田の紙の販売権を独占した「枝村紙座」などがありました。しかし、この時代も和紙はまだ貴重品で、杉原紙1束の値段が職人2日半分の日当に相当するほど高価なものでした。

 

 

江戸時代 和紙文化の成熟

 

製紙技術のさらなる発達により、全国各地で和紙の大量生産が行われるようになりました。生産量が大幅に増すと共に一般庶民も紙を使うようになり、紙の需要は飛躍的に伸びていきました。和紙は筆記用具としてだけでなく、障子や襖などの建具、傘、着物、鼻紙などあらゆるものに使用され、江戸時代の庶民の生活になくてはならないものでした。江戸時代後期の経済学者、佐藤信淵は「紙は一日もなくては叶わざる要物」という言葉を残しています。  一方で、出版業が発展したことも紙の需要が大きく伸びた理由の1つでした。元禄年間(1688〜1704)には浮世草子が隆盛を極め、洒落本、人情本、滑稽本、談義本、黄表紙などが流行。京都で始まった出版業は、江戸、大坂へと拡大していきました。

 

 

 

原材料と種類

麻 ― バラ目アサ科アサ属

麻紙(まし)麻紙の抄紙技術は日本で最も古く、一説には3〜4世紀頃から作られ始めたと言われています。原料は、麻の種類の中でも大麻(ヘンプ)や苧麻(ちょま・ラミー)が多く使われます。衣服などとして使った後の古い麻布や漁網を細かく刻み、それを煮つめるか臼で擦り潰し、さらに漉いて作られました。漉き上がった麻紙は、「紙砧」という紙を平らにするための槌で打つ工程を経て、巻貝や石、動物の牙などで磨かれました。また、遊水現象と呼ばれる墨のにじみを防ぐため、陶土、石膏、石灰などの白い鉱物性の粉末や、澱粉の粉末が塗布されることもありました。

 

楮(こうぞ)― バラ目クワ科コウゾ属

の皮の繊維は、古代から現代まで和紙の原料として使われ続けています。古くは「紙麻(かみそ)」と呼ばれ、楮の名の語源になったという説もあります。楮の紙は粘りがあり、強く揉んでも破れにくいことが特徴です。 穀紙(こくし)  楮を原材料とした和紙です。若枝の樹皮の繊維を煮詰めて漉き、製紙されます。麻紙に比べ、扱いが簡単で増産に適しています。繊維が長く丈夫なため、昔は写経用紙、政の記録用紙、建築材料などとして使用されました。

 

桑(くわ)― バラ目クワ科クワ属

紙の原料として外皮の下にある柔らかい内皮「靭皮」の繊維が利用された他、葉は蚕の餌、実は食用として古代から親しまれてきました。 桑紙  桑を原料とした和紙で、桑皮紙(そうひし)、桑枝紙(くわえだがみ)とも呼ばれます。飛鳥時代、既に桑紙が作られていたといわれており、江戸時代初期の文献などにも桑紙のことが記されています。麻や楮に比べてあまり一般化しませんでしたが、その理由として、原料と製品の分量の割合「歩留まり」がよくないこと、葉が養蚕のために使われたことなどがあると考えられています。

 

三椏(みつまた)― フトモモ目ジンチョウゲ科ミツマタ属

三椏という名前は、木の枝分かれの部分が3つになることからつけられました。日本固有の製紙原料として使用され始めたのは室町時代(1336-1573)頃、生産物として栽培され始めたのは、江戸時代(1603-1868)後期の静岡県、山梨県といわれています。現在、生産量が最も多いのは岡山県。印刷に向いているため、大蔵省印刷局に納品され、世界一の品質といわれる日本のお札の原料として使用されています。 三椏紙(みつまたがみ)  三椏紙の歴史は江戸時代前期に遡ります。楮や雁皮の代替品として使われた三椏紙は、甲斐国(山梨県)や駿河国(静岡県)で作られ、「駿河半紙」と呼ばれていました。江戸時代後期、駿河国で三椏の群生地が発見され、本格的な生産が当地で開始されたと言われています。このことから、静岡県富士宮市には、お札の原料として三椏を仕入れている大蔵省印刷局が建立した記念碑があります。

 

雁皮(がんぴ)― フトモモ目ジンチョウゲ科ガンピ属

日本独自の製紙原料として奈良時代から利用されており、「カミノキ」という別名があります。 斐紙(ひし)  雁皮を原料とした紙で、「雁皮紙」「鳥の子紙」とも呼ばれます。繊維が短くきめ細かで、半透明で艶があることが特徴です。平安時代(794-1185)には薄様、中様、厚様の3種類の斐紙が流行しました。この時代の上流階級の人々は、男性は厚手の檀紙を、女性は薄様の斐紙を懐紙として使っていたといいます。また、かな文字を書くのに相応しい紙として女性たちに愛用されていました。

 

檀(まゆみ)― ニシキギ目ニシキギ科ニシキギ属

日本独自の製紙原料として奈良時代から利用されており、「カミノキ」という別名があります。 斐紙(ひし)  雁皮を原料とした紙で、「雁皮紙」「鳥の子紙」とも呼ばれます。繊維が短くきめ細かで、半透明で艶があることが特徴です。平安時代(794-1185)には薄様、中様、厚様の3種類の斐紙が流行しました。この時代の上流階級の人々は、男性は厚手の檀紙を、女性は薄様の斐紙を懐紙として使っていたといいます。また、かな文字を書くのに相応しい紙として女性たちに愛用されていました。

 

檀(まゆみ)― ニシキギ目ニシキギ科ニシキギ属

古代から、若い枝の樹皮繊維が製紙に使われた他、強くしなる材質のため弓の材料として使われてきました。現在は印鑑や櫛の材料にもなっています。新芽は食用になり、おひたしや天ぷらにして食べられています。

檀紙(だんし)白色・厚手の和紙で、ちりめん状のしわがあることが特徴です。「陸奥紙」「みちのくのまゆみ紙」とも呼ばれます。楮を原料とした檀紙様の和紙を檀紙と呼ぶこともあります。平安時代に書かれた『源氏物語』や『枕草子』にも陸奥紙として登場する他、江戸時代は徳川将軍の朱印状にも用いられていました。

 

苦参(くじん)― マメ目マメ科クララ属

苦参は一般に「クララ」と呼ばれ、その防虫効果が和紙に応用されたと言われています。根は生薬になり、消炎、健胃作用などがある苦参湯という漢方方剤として使われています。全草を煎じた汁は、農作物の害虫駆除、家畜の皮膚寄生虫駆除にも使われます。 苦参紙  苦参紙は、平安時代注記に編纂された格式『延喜式(えんぎしき)』の中の「図書寮(ずしょりょう)式」に製紙の方法が規定されています。しかし、紙の製法などが詳しく記された『正倉院文書』を始め、その他の文献には全くみられず、幻の紙と言われています。

 

蕗(ふき)― キク目キク科フキ属

春先に見られる蕗の薹(フキノトウ)は蕗の芽(花茎)のことです。雌雄異花で、受粉後の雌花には綿毛のついた種が付き、タンポポの綿毛のように飛ばされます。 富貴紙  山菜としての蕗が有名な北海道音別町の特産品です。かつて、音別町の山菜加工施設からは年間30トンもの蕗皮が廃棄されていました。しかし、蕗皮には良質なパルプが含まれていることから漉き上げの技術が開発され、和紙の原料として利用されるようになりました。

 

MEMO

他にもまだある、紙の原料になる植物

紙は、基本的に繊維のあるどの植物からでも作ることができます。ここで紹介している植物の他、棉(わた)、ケナフ、芭蕉、い草、オクラ、桑、バナナ、パイナップル、小麦、大麦、サトウキビ、トウモロコシ、ココヤシ、藤、科(しな)の木、葛、葭(あし)、笹、杉、竹などでも紙が作られています。

サトウキビの絞りかす「バガス」。非木材紙の原料として注目されている。(wikipedia)

 

製紙の工程

 

水槽の中で紙を漉く「流し漉き」という和紙の製法は、奈良時代(710-794)から続く日本独自の製紙工程です。ここでは、最も一般的な和紙の原料、楮(こうぞ)での製紙方法をご紹介しましょう。

 

1.刈り取り 11月末〜1月にかけて、楮をかり取ります。

 

2.蒸し 刈り取り後1週間以内の楮を同じ長さに切った後、甑(こしき)という蒸し器を被せ、3〜4時間蒸します。

 

3.皮剥 蒸した後、冷水をかけて皮を縮め、冷めないうちに幹から皮を剥ぎ取ります。剥ぎ取られた皮は「黒皮」と呼ばれます。

 

4.乾燥 取れた黒皮を天日で乾燥します。

 

5.川晒し 乾燥した黒皮の外皮を取り除きやすくするため、川の流水などに一昼夜晒します。冬の雪国では、雪に晒すこともあります。

 

6.手繰り(たくり)「タクリコ」というナイフ状の道具で外皮を剥ぎ取り、内皮を出します。この内皮は「白皮」と呼ばれます。剥ぎ取られた外皮は、質が落ちる「ハッサキ」と呼ばれる紙を作るのに使われます。

 

7.煮熟(しゃじゅく) 白皮をソーダ灰に入れて3〜4時間煮詰めます。余分なものが取り除かれると共に、繊維が柔らかくなります。

 

8.川晒し・2回目 ソーダ灰を洗い流すため、川の流水などに一昼夜さらします。また、天日にさらされることによって繊維が白くなります。

 

9.ちり取り 繊維にある節、傷、汚れなどを手作業で取り除きます。

 

10.叩解(こうかい) 「バイ」という樫の木の角棒で、繊維が細かくなるまで叩きほぐします。

 

11.攪拌(かくはん) 綿のように細かくなった繊維を「舟」と呼ばれる水槽の中に入れます。そこに水とトロロ(つなぎ)を加え、櫛状の道具、馬鍬(ませ)で撹拌します。この作業は「ザブリ」と呼ばれ、ザブリが終わった繊維は舟水と呼ばれます。これらの工程で使う水は、カルシウムやマグネシウムの含有量が少ない軟水が適しています。

 

12.流し漉き 紙漉きの道具「スケタ」を動かしながら紙を漉きます。この作業で紙の厚さを調節します。

 

13.紙床(しと) 漉き終わった紙は、紙床という台に寝かせます。間に空気が入らないように和紙を重ねていき、水切りのために一昼夜放置します。

 

14.圧搾 紙床の紙に重石などで圧力をかけ、そのままの状態で一昼夜放置します。これでさらに水を切って、トロロの粘り気を取り除きます。

 

15.板張り 紙床から、圧搾を終えた紙を一枚ずつ剥がして、銀杏などの木板に張り付けます。木板に張り付けられた面が滑らかで光沢のある表になります。

 

16.天日乾燥 天日で乾燥します。ここで、紙はより白くなります。

 

17.検品 木版から剥がし、検品後に出荷します。

 

神宮御用紙としての伊勢和紙を作っているところ

 

(日刊サン 2018.11.24)