アイヌの食
オハウ ― アイヌの食の中心
狩猟と漁労で職を得ていたアイヌには、コメのような主食がありませんでした。オハウは、野菜、肉、魚などを鉄鍋で煮込んだ鍋料理。アイヌの食生活の中心となったメニューでした。北海道の郷土料理である石狩鍋や三平汁は、オハウが起源とも言われています。
魚を使ったオハウ(チェプ・オハウ) の作り方
① 水を入れた鍋に小魚の焼き干しを入れて火にかけ、出汁を取る。
② ①に乱切りした魚を入れて煮る。魚の種類は何でもOK。乾燥魚でもよい。
③ 野菜を入れる。根菜→山菜→葉物の順に入れ、根菜に箸が通るまで煮る。
④ 塩と魚油で味を整える。
⑤ 焼き昆布の粉末と乾燥ギョウジャニンニクを加えて出来上がり。ギョウジャニンニクはネギやニラ、普通のニンニクの茎で代用可。
チェプ・オハウの他、獣肉を使ったカム・オハウ、熊肉を使ったカムイ・オハウ、野菜のみを使ったキナ・オハウがあります。材料として特に好まれた山菜、ニリンソウは、アイヌ語で「汁の草」と呼ばれていました。
ラタシケプ ― 野菜の煮物・和え物
ラタシケプは、アイヌ語で「混ぜたもの」という意味。普段の食卓にも乗りますが、儀式の際にも宴の料理としても作られるハレノヒのメニュー。下記に紹介しているラタシケプのほか、アイヌ語で「我々人間が食べる土」という意味のチエトイ(珪藻土)で山菜や魚卵を和えたラタシケプも作られていました。
ラタシケプの作り方
① 野菜、山菜、豆などを汁気がなくなるまで煮込む。
② ①を軽く潰す。
③ 少量の塩と魚油、または獣油で味を整えてできあがり。
●カンポチャ・ラタシケプ:柔らかく炊いた豆に、水で戻した切干カボチャを入れてさらに炊きます。塩と油で味を整える際、あれば黄檗(キハダ)の実で香りづけをします。
●チポロ・ラタシケプ:茹でて皮を剥いたジャガイモを厚切りにし、別の鍋で潰しながら半煮えにした筋子を混ぜたもの。「チポロイモ」とも呼ばれます。
●プクサ・ラタシケプ:柔らかく炊いた豆にギョウジャニンニクの茎を加え、さらに炊きます。
サヨ ― 薄味のお粥
アイヌのお粥、サヨは、主にヒエやコメで作られていました。山菜などを入れることもあります。穀物ですが主食ではなく、オハウや焼肉、焼魚などの脂っこい料理の後に飲まれる口直しという位置付けです。他の料理が脂っこいため、味や脂が混じらないようにサヨ専用の小鍋とお玉が使われました。
●イルプ・サヨ:オオウバユリの澱粉で作った団子を入れたもの。
●エント・サヨ:独特の香りがする山菜、ナギナタコウジュを入れたもの。
●キキンニ・サヨ:エゾノウワミズザクラの樹皮を入れたもの。
●サッシラリ・サヨ:濁酒を作る際にできる酒粕を入れたもの。
●チポロ・サヨ:米で粥を炊き、生のイクラを入れます。生のイクラは秋だけのご馳走で、それ以外の季節には乾燥筋子が使われました。
●トゥレプ・サヨ:オオウバユリから澱粉を採った際に出るカスを醗酵させた保存食、「オントゥレプ」を入れたもの。乾燥したオントゥレプを臼でひいて水で戻し、小さな団子を作り、ヒエのサヨに入れて炊きます。
シト ― 団子
シトは、イオマンテやイチャルパと呼ばれる祖霊祭など、ハレノヒの供物やご馳走して作られていました。日本でもそうでしたが、昔、精白や製粉が全て手作業のシトを作るのは手間のかかるものだったため、特別な日の食べ物、贅沢品として扱われていました。シトの材料はキビ、ヒエ、コメ、ジャガイモ、カボチャなど。春先は、ヨモギを混ぜた草餅も好まれていました。
シトの作り方
出来上がったシトは、供物の場合、漆塗りの桶・木鉢・膳に盛り付けるか、ミズキの串に刺して神前に捧げます。食べる際は、イクラを半潰しにしたものか、焼いた昆布を砕いて脂で練ったタレをつけて食べます。
チタタプ ― 肉・魚のたたき
チタタプは、鮭を材料としたものがよく作られていました。そのほかの材料は、鱒、カジカ、ウグイなどの魚や、ヒグマ、鹿、たぬき、うさぎ、シマリスなどの獣肉。少し古くなったチタタプは、つみれ状にし、オハウに入れて火を通してから食されていました。
鮭のチタタプの作り方
鮭の頭、白子、アラを丸太を輪切りにして作ったまな板に乗せ、重さのある刃物で叩きながら刻みます。ペースト状になったら、ネギ、ノビル、ギョウジャニンニクのみじん切りを加え、塩と焼き昆布の粉で味を整えてできあがり。
◯ 神聖な食べ物、熊の脳のチタタプ
アイヌのイオマンテでは「チノイペコタタプ」と呼ばれる熊の脳のチタタプが作られました。このチタタプは、儀式で飾り付けられた熊の頭から脳を出し、茹でて刻んだ熊の頬肉と混ぜ、塩とネギを加えて味を整えたもの。イオマンテの時しか作られず、貴重な料理とされていました。作られたチノイペコタタプは、イオマンテを司る有力者によって人々の手のひらに直に下賜されました。
トノト ― アイヌの濁酒(どぶろく)
アイヌの酒はヒエを麹で醸した醸造酒。見た目と味は濁酒に似ています。アイヌでは、酒はカムイと共に、仲間と楽しむものとされていました。神に捧げるときは、天目台に載せた酒に「イクパスイ」という人間とカムイの仲立ちをする木製のヘラを浸します。イクパスイを介すると、一滴の酒が一樽分の量になって天界へ届くと考えられていました。
トノトの醸し方
酒造りは女性の仕事で、次のように行われました。まず大鍋でヒエをお粥にし、人肌くらいに冷めたら麹を混ぜ込み、シントコという漆塗りの桶に仕込みます。桶には魔除けとして熾火(おきび・熱して赤くなった炭)を沈めますが、これはアペフチという火の神の分身をもらうことで酒を悪いものから守り、酒造りの成功を祈るというもの。桶の上には山刀などを載せ、家の一番奥にある神聖な窓の傍に10日間置きます。発酵が進んだら、熾火の炭を炉に返し、もろみをザルで越して、酒粕を分離させて完成。
茶
アイヌの人々は、自生する木の実、皮、葉、根、薬草などを煎じた茶外茶をよく飲んでいました。茶外茶として使われたのは、ホオノキ、コブシ、クロモジ、エゾノウワミズザクラ、イソツツジ、ナギナタコウジュ、イブキボウフウ、オオハナウド、エゾオオバセンキュウ、クスノキ、カバフトツツジ、ハマナス、エゾイチゴなど。
アイヌの食事風景
食事はアイヌ語で「イペ」と言います。1日の食事はクネイワイペ(朝食)とオヌマンイペ(夕食)の2回でしたが、大正時代にトケシイペ(昼食)が加わり3食になりました。夜に漁などの仕事がある場合は、クンネイペ(夜食)も採っていました。アイヌ人は、家族で井戸端を囲みながら食事をしました。鍋の汁物をお玉ですくい、イタンキという大型の漆器に盛りつけます。大きな魚や肉の塊は、アシで編んだ敷物に乗せました。団子や串焼きは手づかみで食べ、汁物や煮物は、木製のパスイと呼ばれる箸や、パラパスイと呼ばれるスプーンを使って食べました。
家族での食事
特に何も言わずに食べ始めますが、食事が終わったら、「ごちそうさま」という意味の「フンナ」と言います。食事は、昔の日本と同じく残さず食べるのがマナーでした。食事の最後には、人差し指でお椀の内側をぬぐい、残った汁気を舐めます。そのため、人差し指は「腕を舐める指」という意味の「イタンキ・ケム・アシケッペ」と呼ばれていました。
お客がいる時の食事
【参考文献】 バーナード・コムリー、スティーブン・マシューズ、マリア・ボリンスキー、片田房(訳)(1999)『世界言語文化図鑑 ー 世界の言語の起源と伝播』東洋書林
【参考URL】 北海道アイヌ協会 https://www.ainu-assn.or.jp/
(日刊サン 2019.03.09)