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ハワイの最後の製糖所 最後の収穫を完了

Bynikkansan

12月 17, 2016

ハワイで唯一残った製糖所が12日月曜日に最後のサトウキビを運び、最後の収穫作業を完了させた。 ハワイアンコマーシャルアンドシュガー社(以下HC&S社)プウネネ工場で行われた記念イベントの間、何百人もの従業員、元従業員、地域のメンバーが、運搬作業を見つめていた。 営業が徐々に縮小されるうちに、多くの従業員は次に何をすべきか不安になっていた。

 

「人生の全てをこれに捧げて来ました。他に何をするかを考え出さないといけません」と工場の運営副代表ロバート・ルウワイ氏は話していた。 同社の親会社であるアレクサンダーアンドボールドウィン社(以下A&B社)は、2015年の農業関連の営業赤字が概ね$30 millionとの報告をうけて、砂糖の製造を今年で段階的に廃止させると1月に発表した。

 

「ハワイは50年以上の間、毎年百万トンを超える砂糖を生産してきました。一時はアメリカで消費される砂糖の20%を担っていた事もあります」と元ハワイ農業リサーチセンターのコンサルタントで、“サトウキビの王様から最後の製糖所へ”の共著者ロバート・オスグッド氏は話す。

 

1社、また1社とハワイの製糖所が閉業したり合併整理され、プウネネ農園を残すのみとなった。A&B社の投機事業は徐々に弱り始めた。単純に世界中の低コストの砂糖製造者たちと競争するのが難しくなり過ぎたのだ。さらにHC&S社は、収穫の前にサトウキビの葉を焼き落とす事で及ぼす公衆衛生上の影響と水利権を争う裁判にも直面した。

 

「マウイ島のコミュニティはかなり変わりました。都市化したエリアが多くなり、農業に対し困難な状況を与えてています。特にサトウキビは確実に影響を与えています」とHC&S農園のジェネラルマネージャーであるリック・ヴォルナー氏は説明していた。

 

ハワイを人種のるつぼに形作る要因となった世界中からの移民による農園キャンプも大昔の話となった。ロビン・フェルナンデスさんとリッキー・ワティマーさんの曽祖父はポルトガルから来た。最終的には彼らの家族6世代が砂糖産業に従事した。 「もう砂糖を見る事は無いでしょう。

 

そして私達が知っているのは砂糖の事だけです」とフェルナンデス氏。 従業員が砂糖製造の次の人生に順応する為の手助けを、業務移行チームが行う。HC&S社はすでに650人の従業員のうちおよそ半分を解雇した。そのうち140人以上が次の職を見つけたと同社は発表している。

 

60歳のマニュエル・ヴィエラさんもすぐに新しい雇用主を探し始めるだろう。彼は高校を出て直ぐHC&S社に入社した。 「私は18歳でした。ずっとここで働き続けて来ました。仕事をしない日なんてありませんでした。ここでの全てが終われば、今から仕事の無い日々を経験するのです」とクレーン運転手の彼は述べた。

 

A&B社は36,000 エーカーの所有地を多角的な農地に変換させる計画だ。 「変換後を見るのはワクワクするような気分です。変化があり、彼らがまた異なる種の農業に挑戦する事が嬉しいです」とHC&S社の収穫マネージャーであるマーク・ロペス氏は述べた。 ハワイの最後の製糖所が記憶の中へと消え去り、景色の変化を目にするのは、たくさんの人にとってほろ苦いものだ。

 

「今までとても良くやってきました。何年間も苦労しましたが、人々の愛情のおかげでここまで長く続ける事ができました」とルウワイ氏は述べた。