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人間みなチョボチョボや

 年の瀬に、ここ数年、日本を覆ってきた「安倍一強」の政治状況を振り返る時、学生時代のデモ体験から始まり、新聞記者としてもその行動や発言に接する機会が多かった作家、市民活動家の小田実さん(1932~2007年)の大きな存在が思い起こされる。「いま、小田さんがいたら」と後ろ向きの繰り言を口にするのではなく、小田さんの志と思いをともにして、閉塞した政治状況に、明るい道筋を開きたいと願う気持ちを強くする。

 

 「古今東西 人間みなチョボチョボや」。小田さんの自筆を刻んだ石碑が兵庫県芦屋市の高齢者総合福祉施設「あしや喜楽苑」の庭に立っている。2016年5月に除幕式があり、筆者も東京から駆け付けた。ここは阪神・淡路大震災(1995年1月)により、オープン直前に被害を受け、小田さんたちが展開した「市民救援基金」の援助を受けて再建された施設だ。

 

 モニュメントは「人」の字をモチーフとし、「人間皆チョボチョボ」の言葉は、式典で挨拶した「人生の同行者」である妻の水墨画家、玄順恵さんによれば、「小田の活動の底流にあったのは、誰もが平等で対等という意識だった。小田は常に民の側に立ち、『人間皆チョボチョボ』という言葉を生涯、愛していた」という。

 

 除幕式には、作家、澤地久枝さんも出席し、「小田さんを受け継ぎ、語り継ぐことで志が生かされる」と述べた。澤地さんは小田さんらとともに、日本国憲法を守り生かす「9条の会」の呼びかけ人に名前を連ねた。小田さん亡き後も、俳人金子兜太さん揮毫のポスター「アベ政治を許さない」を掲げた国会デモにも参加している

 

 大阪生まれの小田さんは、少年時代に大阪大空襲を経験し、その体験は反戦の原点になる。フルブライト奨学金で米国に留学し、旅行記「何でも見てやろう」(河出書房新社、1961年)がベストセラーになって作家として出発したが、すでにこの旅行記に「常に弱者に対する温かいまなざしがあり、根底にこの考えが流れていた」と玄さんは語っている。

 

 玄さんが1年ほど前に刊行した「トラブゾンの猫 小田実との最後の旅」(岩波書店)には、亡くなる3か月ほど前に時間をともにしたギリシャやトルコへの旅を舞台に、小田さんの民主主義への思いが綴られている。この旅で小田さんの遺灰はギリシャの海に散骨された。ギリシャは小田さんにとって東京大学文学部の学生時代から、デモクラシーの源泉となったゆかりの地だった。

 

 「トラブゾンの猫」は、未完に終わった小田さんの寓話のタイトルで、玄さんは旅の随所に顔を出す猫に仮託して、小田さんの生涯と思想をたどっている。「HIROSHIMA」「難死の思想」など数多くの著書を残した小田さんだが、著作活動だけではなく、自分も西宮市の自宅で被害者となった阪神・淡路大震災では、市民立法制定に力を尽くした。筆者の学生時代に重なる1960年代に遡れば、「ベトナムに平和を!市民連合」(べ平連)のリーダーとして、米国のベトナム戦争に「ノー」の意思を突きつけ、脱走米兵の援助にも奔走した。

 

 学生時代、ベ平連のデモに参加した頃は、小田さんと個人的な面識はなかったが、1980年前後に韓国の金大中氏救出運動や韓国民主化運動の中心メンバーとして活動していた頃、社会部記者として、たびたび顔を合わすことになった。西独(当時)ケルンで開かれた文学者の反核国際会議などで小田さんを取材する機会もあった。

 

 若い運動員たちと焼き肉の店で語り合って気勢を上げ、箱根にあった毎日新聞の寮で“合宿”した際には、朝食を待つ間も原稿用紙に万年筆を走らせていた姿が記憶に残る。筆者が浦和支局長当時には、市民講座の講師として熱弁をふるってもらい、なじみのスナックにも気軽に同席。やや猫背気味の迫力ある大きな身体と太い声が、いまも記憶に新しい。

 

 小田さんの政治活動には、社会党委員長だった土井たか子さん(2014年死去)との交友が関係していた。二人の申し子のような存在が、立憲民主党前国対委員長、辻元清美さんである。

 

 辻元さんは予備校在学中に小田さんの講義に共感、学生時代から、海外の戦跡などを巡るピースボート運動を立ち上げた。今月初め、幹事長代行になった辻元議員と「ともにあゆむ会」が憲政記念館で開かれ、「来年は還暦」と聞いて、時の流れに感慨があった。初めて取材をしたのは、彼女が早稲田大学の学生だった頃だった。

 

 パーティーで辻元さんは、薄いピンクのスーツに胸の飾りも薄いピンクの装いで、マイクの前に。「私は4月生まれで、桜が大好き。その桜を汚す政治は許せない」と安倍首相の「桜を見る会」を批判し、2020年を、野党が結束して現政権を倒す年にしたいと声を大にした。

 

 かつての自民党なら、不人気の首相にとって代わる派閥のリーダーたちが、常に後継の座を争ったが、いまの自民党にはその気配もない。国民の中に深く潜在する安倍不信の政治を、野党が変革出来るか。有権者も問われる年になる。

 

 


高尾義彦 (たかお・よしひこ)

1945年、徳島県生まれ。東大文卒。69年毎日新聞入社。社会部在籍が長く、東京本社代表室長、常勤監査役、日本新聞インキ社長など歴任。著書は『陽気なピエロたちー田中角栄幻想の現場検証』『中坊公平の 追いつめる』『中坊公平の 修羅に入る』など。俳句・雑文集『無償の愛をつぶやくⅠ、Ⅱ』を自費出版。


 

 

 

(日刊サン 2019.12.23)