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 8月と12月は、深く頭(こうべ)を垂れて、戦争と平和に思いをいたす月です。言うまでもなく、1945年の敗戦、そして1941年の日本軍によるハワイ真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まった月だからです。

 

 先ごろローマ・カトリックの教皇としては38年ぶりに日本を訪れたフランシスコ教皇は、被爆の地、長崎と広島を相次いで訪れました。「この場所は私たち人間がどれだけひどい苦痛と悲しみをもたらすかを深く認識させる」(長崎の爆心地公園で)、「戦争のために原子力を使うことは犯罪以外の何ものでもない」(広島の平和公園で)。いつでも弱者の側に立ち、質素な暮らしを続け、「平和の巡礼者」として核兵器反対を訴えてやまない82歳の教皇の祈りは、どこまで世界に届いたのでしょうか。

 

 冷戦真っただ中の頃に比べると、世界の核兵器の数は劇的に減ったとはいえ、ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によると、米英仏中ロに加えてインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮の9か国が保有する核弾頭は、いまなお1万3865個にのぼると見られています。そのうちの約9割を米ロ両国で占めています。原爆投下から74年。核廃絶への道ははるかに遠く、険しいと言うほかありません。

 

 毎年、地球滅亡までの「終末時計」を公表している米国の科学者らは「世界は新たな異常事態になっている」と警告しています。しかし、第2次世界大戦中にナチスのアウシュヴィッツの強制収容所を生き抜いて『夜と霧』を書いたことで知られる心理学者のヴィクトール・フランクル(1905―1997)が言うように、人間というやつは残念ながら、どんな異常な状況にもたちまち慣れてしまうものかもしれません。

 

 とりわけ考えたいのは、教皇みずからが各国に批准をよびかけている核兵器禁止条約に、日本が参加していないという現実です。唯一の被爆国としての立場と、同盟国米国の「核の傘」に頼らざるを得ない安全保障上の立ち位置との間で、日本はジレンマに陥っています。そのことを深く問うことなく、日本人は「慣れて」しまっているのではないか。その点では、教皇は胸の内に失望を抱いて日本を離れたのではないかと想像します。

 

 長崎でのスピーチで教皇は「多くの子どもたちが非人間的な状況で生活している」中にあって、武器取引によってお金が浪費され、一部の人が財をなしていることは「天に対する公然たる侮辱だ」とも批判しました。その折も折、教皇の来日と前後して、世界最大級の「武器見本市」が千葉の幕張メッセで開かれたのです。

 

 ロンドンで2年に1度開かれてきましたが、日本での開催は初めて。日本企業約50社を含めて、国内外から兵器や危機管理関連の企業約150社が参加。会場には高性能の銃器や戦車、最新の自動誘導ミサイルなどがところ狭しと並べられ、イスラエルの軍事企業はドローン撃退対策機器「ドローン・ドーム」を展示して注目を集めました。

 

 日本政府は2014年、従来の武器輸出3原則を見直し、平和貢献・国際協力や日本の安全保障に資する場合に限って、紛争地を除いて防衛装備品の輸出を認める方向にカジを切りました。「日本の防衛技術力の高さを世界に示せば、抑止力になる」と見本市を誘致した防衛関係者は鼻高々ですが、わたしは、どうしてもうなずけません。それが、ほんとうに平和国家として日本が進むべき道なのでしょうか。会場の最寄り駅の周辺では、見本市に反対する人々が「死の商人を許すな」と抗議活動を続けていました。

 

 数年前の12月、冷たい雨がそぼ降る京都南郊の寺を訪ねました。イチョウの落ち葉が散り敷いた人気のない境内の片隅に、太平洋戦争にまつわる一つの碑があります。京都帝国大学在学中に学徒兵として陸軍に召集され、敗戦後のシンガポールで、逃げ去った上官の罪をかぶせられて戦犯となり、絞首刑になった木村久夫さん(享年28)をしのんで建てられたものです。その碑には、彼が刑死する前に残した歌が刻まれています。

 

「音もなく我より去りしものなれど書きて偲(しの)びぬ明日という字を」

 

 学業の半ばで戦争という不条理に未来を奪われた青年の無念は、いかばかりだったでしょう。この国に再びこうした悲劇をもたらさないために、いま、わたしたちは何をすべきか。何をしなければならないか。あわただしい年の瀬ですが、心静かに考えたいものです。

 

 


木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。


 

 

 

(日刊サン 2019.12.21)