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「かわいそうなぞう」「ガラスのうさぎ」などの名作で知られる児童図書出版の「金の星社」が11月に創立100年を迎える。子どもの文化が花開こうとしていた大正時代に、日本で最初の児童雑誌「赤い鳥」創刊の1年後に発刊されたのが「金の船」(後に「金の星」と改題)だった。

 

現在、集まった作品を審査中の青少年読書感想文全国コンクール(来年2月に入賞発表)にも数々の課題図書を提供してきた。27日からの読書週間を前に、金の星社の歩みを通して日本の童話の100年を振り返る。

 

筆者が金の星社の存在に関心を持ったのは、毎日新聞社会部の先輩、小林弘忠さん(故人)が「『金の船』ものがたり」を上梓した2002年だった。

 

前後して金の星社・斎藤健司社長と、門前仲町の和風の店でお酒を介して知り合いになり、同社の出版活動に興味を持った。 読書感想文コンクールは毎日新聞社も主催者として参加、表彰式などの機会に、広報担当の社員とも知り合いになり、親しみが増した。

 

金の星社は今年7月に「金の船・金の星 子どもの本の100年展」を東京・上野の森美術館で開催し、その歴史を、作品の原画などの展示で再現した。創業者の斎藤佐次郎氏は上野公園に近い根津に自宅を構え、現在の金の星社は公園に近い台東区内にあり、こうした縁もあり上野で回顧展を開いた。

 

大正8年(1919年)の創業にあたって、佐次郎氏は詩人、西条八十の紹介でまだ無名に近かった童謡詩人、野口雨情と会ってその作品を掲載、のちに初代編集長を要請する。 先行した「赤い鳥」は鈴木三重吉が生み出した児童雑誌で、賛同者に森鴎外、島崎藤村、北原白秋、小川未明、芥川龍之介などが名前を連ねていた。

 

新しい童話と童謡を創作する活動を支援し、文学者たちに発表の場を提供して、子ども文化の発展に寄与した。 「金の船」はこの運動に触発され、より庶民的で、子どもらしさを重視し、「赤い鳥」が拒んでいた曲譜を当初から取り入れた。

 

島崎藤村、若山牧水や西条八十らが協力し、作曲家でピアニストの本居長世は、野口が作詞した「十五夜お月さん」「七つの子」などを作曲、長女みどりが日本で最初の童謡歌手として初めてレコードに吹き込み、草創期の活動を盛り立てた。

 

「『金の船』ものがたり」で小林さんは「大正十年は、童謡が最高潮にさしかかった時期」と指摘している。同書に掲載された大正時代の童謡運動略史によると、「赤い鳥」「金の船」を追いかけるように、「おとぎの世界」「こども雑誌」「少年少女譚海」「童話」などの児童雑誌が次々に発行されている。 「金の船」が社名を「金の星」に変更したのは大正12年(1923年)。

 

この年の9月1日、関東大震災が起き、出版界にも大きな犠牲を強いた。金の星社では、雑誌のほか単行本などの出版部を設けて営業を拡大してきたが、大震災で出版部が全焼、在庫もすべて焼けた。児童雑誌も一時休刊が相次ぎ、当時の世相を反映して流行したのが野口雨情作詞、中山晋平作曲の「船頭小唄」だった。

 

翌年には金子みすゞの童謡詩「大漁」が雑誌「童話」に掲載された。竹久夢二も挿絵とともに作品を「金の星」に寄稿している。しかし大正末期から昭和にかけて、少年少女向けの雑誌は変化の時期に直面する。

 

その一つの理由は、「少年倶楽部」(講談社)などを舞台に少年読み物の全盛期となり、昭和4年に「赤い鳥」が休刊を宣言(廃刊は1936年)。「金の星」も直後に休刊した。

 

社会的背景としては、関東大震災による打撃、不況に加えて、中国大陸への勢力拡大を進めた軍部による暗い時代、統制の時代が、大きく日本社会を覆った。

 

雑誌の時代が終わった後も、金の星社は児童文化の担い手として存続し、戦後は「硬派な出版方針」の下、戦時中に動物園で殺処分にされたゾウの実話に基づく「かわいそうなぞう」など社会的な問題意識に裏打ちされたベストセラーをいくつも世に出してきた。

 

創刊期に生まれた「青い目の人形」「証城寺の狸囃」などの童謡は、いまも懐かしく口ずさまれている。 創立100年にあたり、斎藤社長は毎日新聞のインタビューで児童書の将来についてコメントしている。

 

「少子化による児童図書の縮小は、先代社長の父の時代から進んでいましたが、2000年の子ども読書年から読み聞かせなどの読書推進活動が広がり、環境は変わりました」 「児童書は絵本など見開きで大きな挿絵を使い、電子書籍リーダーになじまない。

 

絵本の場合、紙の質感は大きな価値。幼い時に手にした『紙の本』を子どもに手渡したい、という親心は変わらないようです。電子化の準備は整っていますが、絵本に対するニーズは、今も紙なのです」 金の星社は100年展で、「100年の笑顔―、夢 100年先の未来も」とキャッチフレーズを掲げた。

 

児童書籍専門店「クレヨンハウス」を1976年に立ち上げた落合恵子さんは「7代先の子どもの未来を考えて」と子どもたちに本を届ける活動を続け、両者に通底する志を感じる。

 

 


高尾義彦 (たかお・よしひこ)

1945年、徳島県生まれ。東大文卒。69年毎日新聞入社。社会部在籍が長く、東京本社代表室長、常勤監査役、日本新聞インキ社長など歴任。著書は『陽気なピエロたちー田中角栄幻想の現場検証』『中坊公平の 追いつめる』『中坊公平の 修羅に入る』など。俳句・雑文集『無償の愛をつぶやくⅠ、Ⅱ』を自費出版。


 

 

 

(日刊サン 2019.10.22)