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わたくしごとですが、この春に母をなくしました。大正の最後の年に生まれ、激動の昭和を駆け抜け、平成の最後の年に旅立った92年の生涯でした。

 

死亡に伴う母の年金支給停止手続きのために川崎市の年金事務所を訪ねたときのことです。社会保険労務士さんから、思わぬことを尋ねられました。「あれ、お母さんは会社勤めをされていた時期があるのですか?」

 

サラリーマンだった父や子どもを支えて専業主婦だった母が会社勤め?いぶかしい思いでいたら、母の旧姓で古い台帳をたどると、昭和19年2月から翌20年1月まで、ある会社で働いた、という記録が残っているというのです。はたと、生前、母が語っていた話を思い出しました。

 

母は戦時中、香川県高松市の高等女学校に通う女学生でしたが、戦況が厳しくなると「銃後」の若い女性らも勤労奉仕に駆り出されます。同級生らとともに「女子挺身(ていしん)隊員」として市内の造船所に送り込まれ、庶務係として9か月働いていたのでした。現在の「四国ドック株式会社」の前身です。当時、未婚女子は軍需工場などに根こそぎ動員され、昭和20年には全国で36万人に達していたそうです。

 

調べてみると、太平洋戦争が始まる昭和16年、軍事費ねん出や国民の戦意高揚の思惑も込めて、労働者年金雇用法が制定され、19年10月からは厚生年金法に名が改まるとともに、女性労働者にも初めて加入の道が開かれました。母の場合は3か月間の加入実績があったのです。当時の標準報酬月額は約60円。これをもとに、いろんな計算式をあてはめて現在の貨幣価値に換算すると、年金総額は約1万円になる、ということでした。

 

「消えた年金」が数年前には大きな社会問題になり、急速に進む少子高齢化のもとで年金以外に2000万円の蓄えがないと安心して老後を送れない、という試算が騒ぎになったのも記憶に新しいところです。母のケースはさしずめ「発掘された年金」なのでしょうが、加入から75年たって母の年金を発見した日本のお役所はやっぱりエラいと言うべきか、それとも、放置した怠慢のそしりを免れないのか。うーん、そのあたりはちょっと微妙。

 

さて、戦争に縁どられた母の青春にまつわる話をもう少々。

 

戦争も末期になると、日本全国の各地が米軍の猛烈な爆撃にさらされます。高松市は昭和20年7月4日のB29爆撃機116機などによる空襲で、壊滅状態になります。母の生家も、勤労奉仕に出かけた造船所も焼け落ちました。母は泣きべそをかく妹の手を引いて、猛火の中を逃げまどいました。生前、「ザザーッという焼夷弾(しょういだん)の音が今でも耳から離れない」と言い、夕立や夜空に大輪の花火が開いた後の音を嫌いました。多くの同級生がグラマン戦闘機の機銃掃射の犠牲になりました。

 

焼け野原にポツンと残った、血の色のように紅いキョウチクトウの花が咲いていたこと、向かいの歯医者が、気がふれたかのように焼け跡で金歯を探していたことを、なぜだか、いつまでもよく覚えていました。

 

それから半世紀たった1995年の夏。新聞社のワシントン特派員だったわたしどもを、高松から両親が訪ねてきました。7月4日のアメリカ独立記念日には、ホワイトハウスの南庭が記者やその家族らにも特別に開放され、芝生の上にごろりと寝ころんで楽隊の演奏を楽しみました。すると、記念日を祝う花火が何発も上がるではないですか。ふと傍らの母に目をやると、目を閉じて合掌しています。

 

その日はくしくも、高松空襲からちょうど50年にあたりました。因縁の日、かつての敵国の首都の中枢で、あの空襲を思い出させるように花火がさく裂する音を聞きながら、母にはどのような思いが去来していたのでしょうか。晩年を介護施設で送った母は「爆音を聞く度(つど)想ふ空襲の日よ」「空襲をうけしあの日よ風化させまじ」といった句を詠(よ)みました。平和に対する思いはひときわ強かったと思います。

 

さて、彼女の失われた青春の日々のわずかな代償ともいえる年金の1万円。何にどう使うべきやら、お供えすべきやら。 先日のお彼岸に線香をあげながら尋ねてみても、遺影のなかの母は穏やかに微笑むだけで、何も答えてはくれません。

 

 


木村伊量 (きむら・ただかず)

1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。


 

 

 

(日刊サン 2019.10.12)