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お正月の食習慣

Bynikkansan

1月 1, 2019

 

本来「正月」は1月の別称ですが、1日が元旦、3日までを三が日、7日までを松の内といい、さらに1月15日(地方によっては20日)の「小正月」まで、さまざまなお正月行事が行われます。1月を「睦月」と呼ぶのも、正月に一家揃って睦みあう様子を表したもの。  

 

昔、元旦には「年神様」(としがみさま)という新年の神様が、1年の幸福をもたらすために各家庭にやってくるとされていました。その年神様を迎え入れてお祝いし、たくさんの幸せを授けてもらうために、 様々な正月料理や風習が生まれました。  

 

おなじみの「明けましておめでとうございます」という挨拶には、無事に年を越し、 神様をお迎えできた慶びと感謝の気持ちが込められています。

 

 

 

お正月の食習慣には、家族の平安と健康を祈る思いが込められています。

 

 

元日の朝、家族が顔を揃えて、新年のあいさつを済ませたていただくお屠蘇(とそ)。 御神酒(おみき)と同じ清酒のように思われがちですが、漢方薬を浸した 薬酒で、家族の健康を願う気持ちが込められています。  

 

日本には平安時代の宮中儀式として取り入れられ、江戸時代に庶民の間に広がりました。  

 

現在でも、山椒(さんしょう)や桔梗(ききょう)、肉桂(にっけい)、蜜柑の皮などを調合したお屠蘇の素が、「屠蘇散」「屠蘇延命散」として日本では薬局やスーパーなどで販売されています。

 

ティーパックのようになっている場合が多いので、これを大晦日に日本酒かみりんに浸し、元旦に引きあげればできあがりです。日本酒に浸すとスッキリ味、みりんに浸すと甘くなります。

 

 

おせち 料理

平安時代、宮中で元旦や五節供などの大切な節日を祝うため、神様にお供えした食べものを「御節供」(おせちく)といいました。

 

本来、おせち料理はお正月だけのものではなかったけれど、江戸時代に一般大衆に広がると、節日の中で正月が最も重要だったため、「おせち料理」といえば正月の料理をさすようになったのです。  

 

お正月は、五穀豊穣を司る年神様をお迎えし、新年の幸福を授かる行事です。そしておせち料理は年神様に供える縁起ものの料理ですから、五穀豊穣、家族の安全と健康、子孫繁栄の祈りを込めた、海の幸、山の幸を豊富に盛り込みます。  

 

もともとは収穫物の報告や感謝の意をこめ、その土地で採れたものをお供えしていましたが、暮らしや食文化が豊かになるに従い山海の幸を盛り込んだご馳走となり、現在のおせちの原型ができました。

 

重詰の由来  

おせち料理はどうして重箱に盛るのか?それにはこんな理由があるようです。

 

●重箱を重ねることが「福を重ねる」「めでたさが重なる」という意味につながる。

 

●昔は祝い肴を「喰積(くいつみ)」と呼び、重積めにしていたことに由来。

 

●年賀に来るお客様にも振る舞いやすい。 また、正月3が日はおせち料理を食べることが通例で、保存が利くように重箱に詰めておくのがべんりだったようです。

 

 

お雑煮

お雑煮(ぞうに)の主役はお餅。餅は昔から日本人にとってお祝い事や特別の日に食べる「ハレ」の食べ物でした。一年で最もハレの日である新年を迎えるにも、餅をついて他の産物とともに歳神様にお供えをする習わしがあります。そして元日にそのお供えをお下がりとしていただくのがお雑煮です。  

 

雑煮の歴史は古く、室町時代頃にはすでに食されていたようです。当時、武士の宴会では必ず一番初めに酒の肴として雑煮が振舞われていました。すなわち雑煮は宴の一番最初に食べる縁起のよい料理で、雑煮を食べなければ宴が始まらないほどだったとか。    

 

この習わしをもとに、一年の始まりである元日に雑煮を食べるようになったといわれています。当時、餅の原料である米は高価なものであったため、一般庶民のお雑煮には餅の代わりに里芋が入っていたようです。

 

江戸時代に入ると、一般庶民でも簡単に餅が手に入るようになり、北海道や沖縄を除いて全国的にお雑煮で正月を祝うようになりました(北海道では明治以降、お雑煮の 食文化が入ったようです)。    

 

日本各地、その土地、 その家庭ならではのお雑煮があり、餅の形や出汁、具材の種類までさまざま。あなたの家ではどんなお雑煮を食べていますか?

 

 

(日刊サン 2019.01.01)