日本の伝統的な染め物、織り物は染織工芸と呼ばれています。その歴史は大変長く、縄文時代の漁網やポシェットなどの編み物が、今日の染織工芸の起源と言われています。日本の染織は、古墳時代に大陸から伝来した技術を取り込みながら独自の発展を続け、現代にまで受け継がれてきました。今回のエキストラ特集では、染織工芸の日本史や、天然染液の原料、染めの技法などをたどりながら、日本の伝統的な染物についてご紹介したいと思います。
歴 史
縄文時代 (紀元前1万3000〜紀元前1000年)
縄文時代前期の日本では、縄で編物が作られていましたが、これは後に登場する織り物の原型となりました。縄文時代末期の遺跡からは布目で付けた痕のある土器が出土しているため、既に布製品が作られていたと考えられています。
この時代の織物には、麻や刺草などの草から採取された繊維や、科の木、屑、山藤の樹皮繊維が使われていました。樹皮を使い、簡単な染色が行われていたという説もあります。
弥生時代 (紀元前1000〜250年)
弥生時代には養蚕が行われるようになり、絹織物が生産されるようになりました。中国で3世紀末に記された『魏志倭人伝』には、「倭国では麻を植え、養蚕を行っていた」「倭が魏に斑布、倭錦、絳青縑、異文雑錦などを献上した」という一節があります。
また、佐賀県の吉野ヶ里遺跡からは、日本茜と貝紫で染められた弥生時代の絹が出土しています。『魏志倭人伝』には「日本茜で染められた絹布が大陸に献上されていた」という記述があり、その頃から日本独自の染織が存在していたことがうかがえます。
古墳時代 (250〜592年)
古墳時代に入ると、中国や朝鮮半島から染織工人たちが来日し、日本にその技術を伝えました。『日本書紀』には「応神天皇20年(289年)、阿知使主(あちのおみ)父子が来朝、大和檜隈で綾を織った。」「天皇37年(306年)、呉の職工の呉織(くれはとり)、穴織(あなはとり)が移住した」「雄略天皇7年(462年)には百済の織工・定女那錦(じょうあんなこむ)が来朝し韓様錦を織った」という記述があります。
飛鳥 (592〜710年) 奈良 (710〜794年)時代
6世紀半ば、大陸から仏教が渡来すると共に、染織品とその技術が本格的に日本に伝わり始め、日本の染織工芸は飛躍的な発展を遂げました。法隆寺と東大寺正倉院には、8世紀にシルクロードを通って伝来した布が収められています。
収蔵されている布には、錦、綾、羅などの織物、臈纈(ろうけち)、纐纈(こうけち)、夾纈(きょうけち)などの染物があります(「染めの技法」の項参照)。これらは上代三纈と呼ばれ、当時の日本で主だった染織技法。そのほか、シルクロードを通って伝来した古代オリエントや大陸の染織品があります。当時の日本の染織デザインは、これらに大きな影響を受けていました。
平安(794〜1185年) 鎌倉(1185〜1333年)時代
9世紀末に遣唐使が廃止されると、貴族を中心に日本独自の国風文化が盛んになり、染織技術も日本独自のものへと変化していきました。鎌倉時代の武家文化・茶の湯文化では、日本製の染織品と共に、10世紀半ばから再開した中国との貿易でもたらされた宋、元、明の織物品も使われました。
室町(1336〜1573年) 安土桃山(1573〜1603年)時代
15世紀末期には綿の栽培が始まり、江戸時代中期にかけて木綿の染織品が普及していきました。また、16世紀半ばには、羅紗と呼ばれるヨーロッパの毛織物、更紗と呼ばれるインドの木綿の染物などが輸入されるようになりました。 日本では「辻が花」という染物が登場し、江戸時代初めまで盛んに生産されました。
江戸時代 (1603〜1868年)
17世紀後半、扇絵師の宮崎友禅に由来する友禅染が登場します。それまでの染めの技法は布全体を染液に浸す「つけ染」でしたが、友禅染の技法はハケで染料を塗る「ひき染め」で、絵画のような模様を染められることが特徴でした。
また、各藩が地元の産業を奨励したため、日本各地に特産物やその地方独自の工芸品が興ります。 染織文化を担う層も、公家や武家だけでなく、町人や農民へも広がり、各地で作られた木綿の絣(かすり)、絞り染め、型染めなどが名産品として販売されるようになりました。
染 料
江戸時代中期以前の日本の染織工芸では天然の染料と繊維が使われており、その大半が植物由来のものでした。植物の花、葉、幹、根などから色素を抽出します。糸や布に色を定着させるため、灰汁(あく)や明礬(みょうばん)などの媒染剤も用いていました。
紅花 ベニバナ(赤)
多くの植物染料は葉と根から抽出されますが、キク科の紅花は花の部分が染料になります。赤と黄の色素を含んだ紅花の花は、水洗いで黄色の色素を落としてから赤色の染料が作られます。
日本茜 ニホンアカネ(赤)
アカネ科の茜は、根から赤い色素が採られます。茜の根も赤と黄の色素があるため、黄色の色素を落としてから赤が抽出されます。
蘇芳 スオウ(赤、紫)
蘇芳は、インド南部、インドネシア、マレー半島などの南国に生育するマメ科の木。染料は、幹の芯から抽出されます。アルミニウム系の媒染剤で赤色、鉄系の媒染剤で紫色の染液が作られます。東大寺の正倉院文書には、蘇芳で染めた和紙「蘇芳紙」についての記述があります。江戸時代には、蘇芳で染めた木綿が多用されていました。
蓼藍 タデアイ(青)
乾燥させた葉に含まれる藍色の色素が染料として使われます。日本には飛鳥時代に中国から伝わりました。現在は徳島県、北海道、青森県などで栽培されています。藍の染料は、水色の浅葱(あさぎ)、藍色の縹(はなだ)、紺色など、さまざまな濃さの青色を出すことができます。
黄檗 キハダ(黄、黄緑など)
ミカン科の樹木で、漢方薬としても使われる黄檗は、樹皮から染料を採ることができます。
柿渋 (茶)
柿は、飛鳥時代頃に中国の揚子江沿岸から日本に渡来しました。熟す前に採取される渋柿の染料は、古代から魚網などを染めるのに使われていました。染めたものを太陽に当てることで繊維の強度が増すという特徴があります。防水・防腐性があるため、柿渋で染めた和紙は古美術品の箱を包むのに用いられたりします。
鬱金 ウコン(黄)
インド原産の植物、鬱金にはクルクミンという黄色の色素が含まれています。染料に使えるのは、色素の濃い夏ウコンのみ。日本には室町時代に日本に伝わり、主に沢庵漬けの着色料として使われていました。
桜 サクラ(ピンク・茶など)
染色には大島桜から作られた園芸品種・里桜や染井吉野が使われます。葉、樹皮、幹材、枝、花など、さまざまな部分が染色に利用されます。花の場合、蕾が色づく直前に枝を煮出して染液をとります。
茶 チャ(薄褐色)
乾燥させた茶葉は、飲用だけでなく染色にも使われます。
ラックダイ(ピンク・薄紫)
インド東部のガンジス川流域に生育するラック虫という虫は、樹木に寄生し、養分を吸い上げて樹脂状の分泌物を出します。この分泌物はラックと呼ばれ、シェラックという樹脂と、ラックダイと呼ばれる染料として精製されます。「ラック」は古代ヒンズー語で「10万」という意味。極小の虫が大量に集まって寄生しているため、ラックとつけられたのだそう。江戸時代は、友禅や和更紗に用いられていました。
丹殻 タンガラ(黄〜赤茶)
マングローブでおなじみの蛭木(ヒルギ)属の木の樹皮から採れる染料で、紅樹皮とも呼ばれます。タンニンを含み、媒染剤を用いて染めます。鉄の媒染材では褐黒色に、石灰の媒染材では赤茶色に、銅では赤茶色、錫やクロムでは黄色、ミョウバンではオレンジがかった黄色に染めることができます。日光にさらすことで、発色がよくなります。
五倍子 ゴバイシ(黒)
白膠木(ぬるで)の芽や若葉に寄生するヌルデノミミフシが作った「虫こぶ」を五倍子と言います。50%以上の成分がタンニンのため、黒色の染料として使われます。昔はお歯黒にも使われていました。