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私の生きる道 「違う能力が、僕の誇り」

Bynikkansan

7月 19, 2014

Issac Lau

アイザック・ラウ

 

歩く事ができない代わりに 多言語を独学で習得

僕はハワイ生まれのハワイ育ち、生粋のローカルボーイ32歳です。カラニハイスクールを卒業しました。僕は「先天性白内障」で、生後すぐにレンズ(水晶体)を取る手術をしたので、赤ん坊の時から分厚い眼鏡をかけて過ごしていました。その眼鏡を頭に巻きつけがなら遊び回っているようなやんちゃな子供でした(笑)。また、生まれつき「小脳性運動失調症」で、運動をつかさどる小脳が発達せず、バランス感覚もないので歩くことができず車椅子生活です。遺伝によるものと言われ、僕の姉も実は同じ病気で車椅子なんです。でも、(その運動をつかさどる小脳が発達しないことで)たくさんの機能に影響を及ぼすと言われていますが、僕は多言語を話すことができます。日本語、韓国語、中国語そして手話をほぼ独学で習得してきました。

 

 

きっかけはテレビゲーム 今では夢も日本語でみるように

小学生の時に任天堂のテレビゲームで遊ぶようになり、日本語の意味が知りたくて母に聞いたら、「日本語だからわからないわ。そのゲームをやりたいんだったら日本語勉強しないとね」と言われ、それから日本語の勉強を始めたんです(笑)。8歳から12歳にかけて、両親が日本語のテープや本、ビデオを買ってくれて、それで勉強しました。両親は、僕が本気で勉強するとは思っていなかったみたいですけどね(笑)。韓国語と中国語は、日本と近い国だったので興味を持ち、本などで勉強しました。

 

 勉強方法として、日本語を書いたら、韓国語と中国語の同じ意味のものを書いて比べたりします。もしわからない日本語の漢字があったら、韓国語と中国語を調べてみると、その漢字の意味がわかったりする時もあるんです。

 

 それから、漢字の勉強ではよく「そのまま全部を覚えなさい」って言われますが、僕の場合、例えば「好」という字だったら、「女(の子)」と「子(ども)」と左右に分けて覚えたりします。あとは、「清」や「晴」という漢字の場合、「左側(部首)を換えると違う意味になる」と覚えたりします。これは英語の接頭辞や接尾辞のようなものと思っています。学校ではこういう風に教えてくれません。僕独自の勉強法です。今では、夢を日本語で見るようにもなりました。来世は日本人として生まれるかもしれませんね(笑)。

 

 

人が大好きで 人と話すのが好き

手話は小さい頃から見ていて、とても面白そうと思って学びたくなったんです。カピオラニ•コミュニティー•カレッジ(以後KCC)で、101から202までのクラスを取りました。そのクラスの先生は全く耳の聞こえない方でした。また、カイムキのアダルトスクールでも手話のクラスをとって勉強しました。それくらい手話が好き。手話だけでなく、色々な言語を学ぶことが好きです。でも、それ以上に僕は人と話すのが大好きなんです。例えば、日本人の方と最初に英語で話して、どうしても会話がうまくいかない時、僕が日本語を話すと、お互い打ち解けられます。その打ち解けられる瞬間がとても嬉しいんです。皆さん、僕がまさか日本語、韓国語や中国語を話せると思っていないので、話せるってわかると驚かれます。その反応を見るのが楽しいんです(笑)。

 

 僕は、人が大好きで、皆を尊敬しています。子供の頃から、人と話すのが好きだったこともあったので、語学にとても興味があったんです。今では、6つのサークルに属していますが、母はよく「息子は、私が入れないサークル(他の国の言葉で話すサークル)に所属しているのよね。歩くことはできないかもしれないけど、他の事は全部できるわ」って言っています。

 

 

得意の手話と織物で 日本への旅実現

語学の他にも、僕は「織物」が得意なんです。母に連れられてクラスを取ったのがきっかけで始めました。フリースタイルで、自分の思うままに色を選び、またその日の体調にあわせながら作っています。だいたい2~3ヶ月で一つのタペストリーを作ります。また、買い物先でもらう袋をリサイクルして、ペットボトルカバーを作ったり、毛糸を使ったレイも作ります。それから、日本の伝統工芸品の組紐も作ります。これは、ある日モイリイリの日本文化センターで見て興味をもち、YouTubeで調べて習いました(笑)。皆さん、それをキーチェーンにつけたりしてくれていますね。ちなみに、姉は水彩画のアーティストなんですよ。  2004年に、VSA(Vision, Strength & Artisticの略で、身体障害者の日々の生活に芸術を取り組む推進をしている団体)のカンファレンスが日本であり、それに「手話」と「織物」を教える講師として招待されて、初めて日本に行くことができたんです。そこで、大阪で織物を教えているさおりさんと知り合い、交流が始まり、年に一回ハワイで彼女の織物クラスを開くお手伝いをするようになりました。そして、彼女との交流がきっかけで、2008年に母と従兄弟と一緒に、大阪に遊びに行ったんですよ。  初めての日本は、どこに行っても混んでいるという印象でした(笑)。でも、とっても楽しくて、食べ物もどれも大好きです。食べること自体が好きなんですけど、その中でも日本食が本当に好きです(笑)。

 

 それ以外にも、2006年に教会のコンファレンスで日本に行った事があります。だから日本には全部で3回行きました。大阪、東京、神奈川、熱海を訪れました。USJ や東京ディズニーランドも行きましたよ(笑)。

 

 

万里の長城も登山 夢は、世界中を旅行

日本だけでなく、韓国と中国も行ったことがあります。中国はハワイ大学の織物のルーツを巡るツアーで父と行きました。万里の長城ではさすがに父も僕の車椅子を押すのが大変なようでした(笑)。もちろん頂上までは行っていませんが、途中まで登ることができました。中国はとにかく景色がとても綺麗という印象です。また、父が韓国系の保険会社で働いている関係で、去年家族で韓国に遊びに行くことができました。

 

 その他にも、サモア、フィージー、ニュージーランド&オーストラリアの南太平洋を回るクルージング旅行にも行ったことがあります。2週間かけて回ったのですが、ハワイと比べると寒かったです(笑)。ヨーロッパはまだですけど、いろんな国を旅行しているんです。夢は、世界中を旅行することです!

 

 あとは、水泳も趣味で、家にプールがあるので毎日泳いでいます。いいものを食べて、運動する健康プログラムを取り組み、自己管理にも気をつけています。

 

 

人間一人一人違うことは不変 世界をもっとよりよいものに

 

僕はモルモン教徒なのですが、その教えに「自分がしてもらいたいように、相手にもしてあげなさい」というのがあり、僕はその通りに人に親切であるようにしています。また、教会でのチャリティーを通して、人とシェアする心や他の人を思いやる心を学んでいます。

 

 今までに色々な国に行って思うのは、各国違う景色があり、違う美しさがある。人間も同じで、一人一人違います。でも、それでいいんです。一人一人違うというのは不変なことなのですから。

 

 僕が所属しているハンディーキャップのサークルで知り合った友達で、全盲で難聴の方がいます。その方が訴えているのは、全盲の人は、どこに行くにもベルが必要なのですが、そうしたベルが備わっているところはとても少ないのです。また、僕のような車椅子の人間からすると、看板やサインがどれも高すぎるんです。例えば、フードコートやプレートランチのお店に行っても、まず注文するところのテーブルが高すぎる上に、メニューはさらにもっと高いところの壁にあるので、いつも首を後ろに曲げて見上げないといけません。つまり、どれも健常者の目線から全てがデザインされてあり、一人一人違う物の見方があるのだということに気づいて欲しいと思って、その友人と一緒に今その運動をしています。

 

 アメリカは「身体障害者の人も健常者と同じライフスタイルを送れる」という認識のもと、様々なテクノロジーを提供する施設もありますが、それでもまだまだ、何をしたらいいのかわかっていなかったり、わかっていても変えるのにとても時間がかかります。僕の知っている全盲の人たちを見ていても、周りの人は、全盲の人たちは外に出歩かないものだと思っていて、結局その人たちも、年をとり車椅子生活になっています。僕は、そうした環境を変えていきたい。世界をもっとよりよいものにしたいと思っています。