ジョナ・クヒオ・カラニアナオレ王子のハワイアンコミュニティーへの献身を称え、ナナクリ・ビーチパークをカラニアナオレ・ビーチパークに改名すべきだと住人たちは長年に亘って主張をしてきた。
市議会の議員の一人キンバリー・パイン氏が「とても重要なことが起きているのです」と動議を提案し、4日水曜日に市議会は名前の変更を認めた。彼女はさらに、公園のサインを変更するために、コミュニティーの意見を求めると話した。
「住人たちは、クヒオ王子をホームステッド・コミュニティーの父とみています」と水曜日の議会でパイン氏は述べた。「彼は一生をハワイアンカルチャーに捧げました。王子に敬意を表することはその地域に住む住民にとって、とても意味のあることなのです」。
決議によると、市は1940年に40エーカーの広さの公園をカラニアナオレ公園と名付けた。しかしその後ナナクリ・ビーチパークに変更したとパイン氏は主張する。
2009年に、ナナクリ・マイリ自治会は、カラニアナオレ・ビーチパークへの改名への支持を確認する決議を行った。
議長のシンシア・レゼンテス氏は、改名することは「我々のコミュニティーの重要な一部として過去の歴史を讃えることになるのです」と、評議会宛のメールで述べている。
自治会役員メンバー、リチャード・ランドフォード氏も、「コミュニティーは名前を元に戻すことを心から望んでいます」と市議会議員に訴えた。
「この土地に古くから住む私たちは、辛抱強く本物の名前がそこに戻ってくるのを待っているのです」
カラニアナオレは、カラカウア王とカピオラニ女王の甥で、アメリカ下院議員を長年務めた。カラカウアとカピオラニが、彼と彼の兄デイビット・カワナナコアを養子にした後で、王子と呼ばれるようになった。
ハワイアンコミュニティーの擁護者として、現在においても何千人ものハワイアンファミリーにそのサービスが提供されているホームステッドプログラム創設のために戦った。
彼はまたネイティブハワイアンの社会的、経済的、市民的ステータスの向上のために、ハワイアン・シビック・クラブを創設した。カラニアナオレは、モロカイ島に最初のホームステッドができる前の1922年1月に他界した。
州は、ハワイアンホームランド省が2008年にカポレイに移動した時、2階建てのビルにハレ・カラニアナオレと名付け、敬意を表し、プリンスクヒオの日の祝日を設けた。 2010年の全米国勢調査によると、ナナクリの住人の12.700人のうち31%が、マイリの住人9,500人のうち15%が、ワイアナエの住人13,200人のうち22%がネイティブハワイアンである。
ナナクリ・マイリ自治会のメンバーであるキャレン・アヴァナ氏は、「彼の名誉を称え、ビーチパークを改名するのがふさわしい」と評議会に手紙を送っている。