ハワイでは、フラダンスの衣装、キルト、ハワイアンジュエリー、壁や床など、いろいろなもののデザインに伝統的なモチーフを使った模様があしらわれています。花、植物、海の生き物、ティキ像などさまざまな種類がありますが、その一つ一つに神話や歴史にちなんだ意味が隠されていることをご存知だったでしょうか。また、ローカルの人々のタトゥーにも古代から受け継がれた伝統的な意味が含まれています。今回の特集では、ポリネシアの成り立ちや歴史と共に、ポリネシアのモチーフやシンボル、トライバルタトゥーについてご紹介したいと思います。
ポリネシアの島々
ポリネシアとは、ハワイ諸島、ニュージーランド、イースター島を結んだ三角形内にある島々の総称で、ギリシャ語で「多くの」を意味するポリ(πολύς)と「島」を意味するネソス(νῆσος)が語源です。1832年、フランスの海軍提督ジュール・デュモン・デュルヴィルが、近隣の島々であるメラネシア、ミクロネシアと区別するため、ポリネシアという名前を付けました。ポリネシアン・トライアングルとも呼ばれています。
歴 史
【祖先は台湾出身のモンゴロイド】ポリネシア人の祖先はモンゴロイド系の民族で、その民族の祖先は台湾に定住していたと考えられています。紀元前2500年頃、一部の祖先が台湾から南へ下り始め、フィリピンを経て、紀元前2000年頃にインドネシアのスラウェシ島に上陸しました。
【ポリネシア文化の構築】原ポリネシア人となったスラウェシ島の人々、ラピタ人たちは、その後も東へ移動を続けました。ニューギニア、メラネシアを経由し、紀元前1100年頃にフィジー諸島に到達し、紀元前950年頃にフィジーからポリネシアへの移住を開始しました。サモアやトンガに到達した彼らは、以後約800年間、一時的に東進を止めますが、その間に原ポリネシア文化が構築されたと考えられています。
【高い航海技術を持っていた】文化を確立したポリネシア人たちは、1世紀頃から再び東へ移動を始めます。彼らは、カタマラン(双胴船)やアウトリガー・カヌーを使って航海をし、エリス諸島、マルキーズ諸島、ソシエテ諸島に移住しました。その後、紀元300年頃にイースター島に、400年頃にハワイ諸島に、1000年頃にクック諸島とニュージーランドに到達し、定住しました。太平洋に拡散したポリネシア人たちは、天体、海流、風向き、生物の動きなどの自然観察によって航路を推測するウェイファインディングという航海術を使って互いに行き来をし、交易を行っていました。
ポリネシアの主な国・地域
ハワイ諸島(アメリカの州) 143万人
ニュージーランド 469万人
イースター島(チリ領) 7千人
アメリカ領サモア 5万4千人
サモア 20万人
ツバル 1万人
トンガ 11万人
キリバス 11万人
タヒチ島 (フランス領・ソシエテ諸島の島) 17万人
マルキーズ諸島(フランス領) 8千人
トラケウ(ニュージーランド領) 1400人
ミッドウェー島(アメリカ領) 60人
ピトケアン諸島(イギリス領) 60人
»»»カパ(タパ)«««
カパとは、ハワイの伝統的な樹皮布のことです。タヒチ語ではタパと言います。
タパは、ワウケ(桑)の木の内側の樹皮を水にさらし、棒で叩いて引き伸ばし、天日で乾燥させるという工程で作られます。カパの模様は、竹の棒やラウハラの実を使い、下記のような自然の染料で描かれました。
♦赤 ― ノニ、コレアの木、コウ、アマウマウの葉
♦黄色 ― ウコン、ノニの根、ホレイの根や皮
♦青やピンク ― ベリー類
♦紫 ― ウニの墨
♦緑 ― マオの葉
♦黒 ―タロイモの泥
また、でき上がったカパには、ココナッツオイル、ラウアエ・ファーン、マイレの葉、白檀などの香りを付けることもありました。