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元合衆国上院議員 ダニエル・アカカ氏が逝去

Bynikkansan

4月 14, 2018

連邦議会に30年以上貢献した元合衆国上院議員ダニエル・アカカ氏が6日朝に逝去。

 

療養のために4カ月に渡り入院を続け、ザ・ヴィラス聖フランシス療養施設で息を引き取った。アカカ氏はネイティブ・ハワイアンを先祖に持つ初の連邦議員として1976年から2013年まで連邦議会議員を務め、ネイティブ・ハワイアンや退役軍人者の代弁者として活躍した。政治的には穏健派として知られ、そのアロハ・スピリットはハワイやワシントンで支持された。しかし同氏の名が国内の注目を集めることは滅多になかったが、取り上げられないような活動を幅広く行いハワイにとって重要な問題に注力していた。ネイティブ・ハワイアンの教育や福祉に貢献上院議会ではハワイ選出のダン・イノウエ議員とタッグを組み、ネイティブ・ハワイアンの教育、健康、福祉プログラムへの連邦資金の拠出を実現した。またハワイ王朝転覆から100年後の1993年に当時のビル・クリントン大統領による謝罪声明の発表の裏には両議員の尽力があった。アカカ氏は誠実な民主党議員であったが、時に党の方針に反対する姿勢を見せたこともあった。北極野生動物国家保護区の石油掘削問題に対しては、先住民イヌピアツの権利を支持し掘削に賛成。

 

イラク戦争に際しては上院では少数派だった反対の立場を早期からとり、復興計画や明確な退却戦略が欠けていることを指摘していた。アカカ氏は1924年9月11日にホノルルで生を受け、プヌア・ヴァレーの貧しく信仰深い家庭で育つ。兄のエイブラハムさんは有名なカワイアハオ教会の牧師になっている。アカカ氏はネイティブ・ハワイアンと中国系の先祖を持つ。カメハメハ・スクール卒業後はアメリカ陸軍工兵隊に入隊。第2次世界大戦後はハワイ大学で学士と修士の課程を卒業。1953年からはカメハメハを含む複数の公立学校で教師を務め、校長にも就任した。エヴァ・ビーチのポハケア小学校の初代校長であり、校名を名付けたのも同氏。1974年に当時のジョージ・アリヨシ知事から副知事に立候補するよう勧められたが、民主党予備選挙で敗退。その後第2選挙区から出馬し1976年に下院議員として初当選を果たした。連邦上院議員のスパーク・マツナガ氏が1990年に逝去し、アカカ氏が共産党候補から後任の席を勝ち取った。私生活ではメリー・ミルドレット・チョン氏と結婚し、4人の子供をもうけ15人の孫のほか、ひ孫も誕生している。

 

(日刊サン 2018.04.14)